第七話 長命

「では、これより料亭百瀬のお庭の内覧会を行います」

 あの五階建ての天守閣のような百瀬の裏庭に、数人の男が出てきた。

「紫門さんは、どこにおいでかな」

 上品さと威圧感をもつこの老人こそが、百瀬九衛門、百瀬を一代でここまで大きくした大人物である。

「あちらに控えております」

 番頭が指差す方に、猫面の紫門はひざまづいて皆を待っていた。

「今回は離れの改装に伴い、明るいこぎれいな庭を、深山の静けさに包まれた幽玄な庭にしたいとのご注文でした。でもここは一歩表に出れば大通りの喧騒もあり、そのままでは深山の静けさは難しく思われました。それで、いくつかの仕掛けをご用意しました」

 離れのある中庭はかなりの広さではあるが、やはりここは町中ではあるのでそれなりの音は聞こえてくる。紫門はどうしたのであろう。

「では、離れへの渡り廊下を進んでください」

「わかりました。番頭さん、まいりましょう」

 すると、もともとこの庭には湧水から引いたせせらぎが流れていたのだが、その流れが渡り廊下に沿って、流れを変え、離れの入り口で、大きな水車が動いていた。水車はゆるやかな音を立てしっとりした風情を醸し出していた。

「ほほう、これは面白い。少なくともこんな町中ではどこにいっても水車などみられませんなあ」

 百瀬九衛門は大きくうなづいた。そして新しくできた趣のある山荘風の離れに入っていく。離れに入っても横の窓から、水車の動いているのがまだ見える。

「では、離れの正面を開けて庭をご覧ください」

 紫門の声に障子が左右に大きく開く。

「おお、これは…!」

 モミジやカエデなどを中心に秋に色づく樹木が丁寧にたくさん植えられ、その前を変岩奇岩で大胆に作られたせせらぎが流れる。だがなんといっても目を引くのが、そのせせらぎの一番上流にある、コケやシダの蒸した人の背丈ほどの滝である。どうやるとこの深山にあるような苔むした滝が作れるというのだろう。

「あの水車をつかって、水を上にあげ、滝の上の池に水をためます。水があふれてくると、いくつもの細い流れとなって、池から行く筋もの白糸のように落ちて行きます。その細い流れは、あの岩を覆うコケやシダに水を行きわたらせ、うるさすぎない白糸の水音を作ります。そしてその絶え間のない水音が、雑踏の音を消し、静けさを呼ぶのです」

 理屈はなんとなくわかるのだが、そんなことはどうでもよくなってしまう。この一カ月ほどの突貫工事ではあったが、まるで別の世界のように庭の表情が変わってしまった。ここが江戸の町中とは思えない深山の風情となり、しかも大きな岩で大胆に組まれた水路は、実に洗練された様式美を感じさせる。

 見事な仕事ではあったが、百瀬九衛門はすぐに首を縦には振らなかった。

「紫門さん、今新緑の季節はけちのつけようがありません。しかし、夏の日差しで、このコケやシダが平気なのか、また秋になった時、紅葉の色具合はどうなのか? それを見せてもらってから、あとの半金をお出ししましょう。いかがです?」

「恐れ入ります。よろしくお願いします」

 紫門は深く頭を下げた。それで十分すぎるほどだった。前金を相場の三倍ほどすでにもらっているからだ。やっと番頭たちが小声で話し始めた。

「いやあ千代田城の二の丸の庭園を造ったというのはうそじゃないなあ」

「深山のような趣もあるが、工芸品のような大胆さもある。動きもあって見飽きないなあ」

 猫面の紫門は、それらの言葉を傍らで静かに聞き、すべてを受け止めていた。

 そして百瀬九衛門にそっと言った。

「数日後に、ここの離れで大きな酒宴があるとのこと、この庭のお披露目となりますので、朝から庭の手入れをしたく思いますが」

 すると九衛門はにこっとわらった。

「それは心強い、ぜひお願いいたします」


 ここは町はずれにある浄土宗の大きな寺、西嶽寺、浪士砦や森村白堂の金の鯱と肩を並べる江戸の騎馬の本拠地だ。滅亡した豊臣の残党を中心に幕府に不満を持ついろいろな浪人が集まる、武闘派として知られている。

「なに、森村白堂が…ぬぬぬ、一方では浪人をまとめる会議を行うとしておきながら、その一方でそんなことを? どういうつもりだ」

 江戸の騎馬の総長、土岐雄山は激怒した。

「なんとなれば、会議の席上で切り捨ててやります」

 鑓術の達人桂木双鶴がいきりたった。

「その心意気やよし。だが、しばらくは己の胸の内にしまっておくがよい。今、江戸の浪人集団は力が拮抗して居る。最大にして、もっとも統制力のある文月の会は腰ぬけばかりで問題にならんが、浪士砦、金の鯱はなにか理由をつけてこちらをつぶそうと虎視眈々と狙っている。今は表だって大きな動きはできぬ」

「承知。しかしこのまま手をこまねいているのも癪に障ります」

 すると土岐雄山はにやりと笑って言った。

「こちらも手をこまねいてばかりはおらぬ。これを見よ」

 そう言って、パンパンと二回手を打った。すると障子がさっと開いて、寺の本堂が奥に広がる。金色の阿弥陀如来や西方浄土を現したきらびやかな蓮が薄暗い本堂にあやしく光り、その前に三人の男が座っていた。

「こ、これは…」

「今まで黙っておったがのう。こ奴らは実はこの江戸の騎馬が送り込んだ刺客じゃ」

 土岐雄山の言葉に桂木双鶴は驚きを禁じ得なかった。

「な、なんと…。確かこ奴らは黒鉄(くろがね)ではないか…」

 それは、辻相撲の年二回の本戦のしかも、「天」の部に出場が決まっている強豪チームではないか。三人とも甲冑兵法と言って、鎧・兜をつけたまま行う戦国時代の格闘技の達人であった。

「だが辻相撲なので、堅い武具は体につけられぬ。脅し鎧と革の小手、そして能の舞台で使う面を着用いたして居る」

 軍師の風格を持つ威圧感のある精悍な男は「翁」の面をつけ、細身ですさまじき殺気を持つ男は「怪士(あやかし)」の不気味な面、そして大柄で筋骨隆々の男は勇壮な「獅子口」の面をつけていた。

 戦う相手やその時の状況で面を変えることもあり、強敵に会った時は面を取って、素顔で戦うと言う。だが、予選では三人とも一度も面を取らずに戦い抜いた。まだ、その素顔は、一度も見せていない、不気味な集団である。

「江戸幕府は、自分たちであちこちの大名家を取りつぶしておきながら、行き先をなくした浪人たちをないがしろにしておる。お庭番の隠密は邪魔な浪人を力で排除しようと暗躍し、何か理由をつけて、押さえつけようとやっきになっている。我々は幕府の御正道を正し、浪人たちを救済していかなければならない。そのためには武力をもいとわない。黒鉄よ、必ず優勝し、我々の悲願成就の力になってくれ」

 翁の面が静かに答えた。

「はは、必ずや」


 その頃、為三郎親方の相撲道場に京都よりうれしい知らせが届いた。為三郎親方はその書状を手に、道場で立会稽古をしている、車組の花車たちのところに駆け付けた。

「花車、返事が来たぞ。みんなも集まっておくれ」

「親方…で、どうなったんですか?」

 花車は神妙な顔をして、その大きな体で近づいて行った。

「相撲奉行の五条実慶さまが、直々に八角部屋の力士を連れて江戸に来られるそうだ」

「それで…兄弟子は…?」

 花車の言葉に為三郎親方はにこっと笑った。

「来るぞ。日本一の力士、雷慶は、お前の兄弟子は間違いなく来る。ほかの二名の力士を選んで、本戦に出場するぞ」

「本当ですか? やったあ!」

 すると若い力士が花車に聞いた。

「…花車さん、雷慶と言いますと…」

「おれが京都の新弟子時代に一度も勝てなかった相手だ。今から五年前に、公家の鳴り物入りで、九州から東北までの全国の強豪力士が京都に集められ、大相撲があったのだが、ダントツで優勝した日本一の横綱さ。体は力士としては中肉中背だが、技の切れ、多彩さ、闘志、品格、どれをとっても申し分のない兄弟子だ」

「本当ですか? すごい人なんだ」

 為三郎親方は喜ぶみんなに最後に言った。

「この間の辻相撲の鉛の拳事件は本当にひどかった。あんなことが続いたら、もう、観客はそっぽをむいて、江戸の相撲も滅びてしまうだろう。我々は本当の相撲を江戸で復活させねばならない。本当の相撲はこういうものだと知らしめねばならない。その為に、あれからすぐ書状を京都の五条様のところに送り、雷慶のいる八角部屋の出場を懇願したのだ。五条様に我々の熱意が伝わりこのたびの結果となった。だがそれは我々の本来の相撲道を江戸に知らしめるための布石なのだ。品格もある、本当に強い力士が本戦にくる。皆の者はますます相撲に励み、相撲本来の名勝負を期待するものである」

「おおー!」

 肉体と肉体がぶつかるすごい音が響く。為三郎親方の相撲道場では、熱気あふれるたち稽古が再開されたのだった。


「ご主人様、すいません、今日の海堂様のお帰りは遅くなるんですかね。夕食を用意する段取りがあるので…」

 お浪の言葉に時枝屋は逆に聞き返した。

「海堂様はなんとおっしゃっていたんだ?」

「それが…わからないって…」

「そうだろうな。森村白堂と最近会った有力な旗本の目星がついたって言って、今日は大きな旗本の屋敷に行くと言ってたからなあ」

「え、どうやって旗本の屋敷に入り込んだんだか?」

 すると時枝屋が言うには、あの犬目屋の番頭という設定で大きな荷物を担いで犬目屋の後ろからついて行ったそうだった。するとお浪は興味津々で

「よりによって犬目屋さんかい? じゃあ何かい? あの堅物の海堂さんが、犬目屋秘薬すっぽん丸や、上方でも大人気の長命丸だのを背負って歩いていたっていうわけ?」

「ああ、いきがけに張形の入った箱が重たいとこぼしていたよ」

「張形って、殿方のあれでしょ…? それが重いってどれだけ入っていたの…ああ、おかしい」

 お浪はよほどおかしかったらしく、腹を抱えて笑い転げていた。そこに来たのはお絹だった。

「なにがそんなにおかしいんですか? すっぽん丸とか長命丸とか、張形だとか、いったい何なんですか?」

 お浪は笑いながら、やっと答えた。

「はいはい、子どもは知らなくてもいいのよ…ああ、おかしい?」

「子どもじゃありません、私だってちゃんとした娘なんだから…」

 するとそこに、大きな箱を背負って海堂が帰ってきた。

「いやあ犬目屋の商売はうまいなあ。犬目屋の占いってのが良く当たると評判でな、鑑定料は高いのだが、商品を一つでも買うと、ただで見てくれるというわけだ。すると本当は夜の秘薬や張形がほしいのだが、恥ずかしくて商品がほしいと言いだせない人も、占いをしてほしいとの口実でどんどんお買い上げさ。夜の秘薬も張形もいくつ売れたことか…。明日また行くことになってな。犬目屋さんが、荷物を持ち帰った方が楽だろうって言うから、そのまま来たんだ」

 そして海堂は時枝屋にささやいた。

「証拠は握れなかったが、森村白堂が訪れたのは事実だということが分かった…。成果はあったよ。犬目屋のおかげだ」

「やはり、やつが動いていましたか…」

「そういうことだ。…さあ今日は疲れたからまずは風呂かな…」

 するとお浪が答えた。

「ちょうど、今前のお客さんが出るところだから、先にお部屋に用意していてくれますか?」

「ああ、そうするよ」

 海堂が荷物を担いだまま部屋に戻ると、なぜかお絹がこっそりついて来た。

「ふむ、お絹、どうした? 何か用かい?」

 部屋に着くとお絹は大きな荷物を見ながら話しだした。

「海堂様、お浪さんが意地悪で教えてくれないんです。お願いです。すっぽん丸ってなんですか?」

 まあ、犬目屋の売り物なので海堂もすっとうまく答えられない。すっぽん丸は男性の精力増強剤なのだが…。

「ううむ、すっぽんとマムシを粉末状にしたものに、高価な漢方薬を配合したものだ。まあともかく体にいい薬で体のあちこちが元気になるのだそうだ」

「ふうん、体のあちこちが元気にねえ。では、長命丸と言うのはどういう薬なんですか?」

 長命丸は長生きとは関係ない。夜の男女の強力な和合薬だ。さすがにこれは説明が難しく、海堂が口ごもっていると、お絹が先に口を開いた。

「わかった。長命だから、長生きするお薬なんでしょう。私もお金をためて買おうかな?」

「なんだお絹、おまえ長生きしたいのか?」

「私の兄は遠くに働きに出ているんだけど、すぐ上のお姉ちゃんは、浪人に詰まらないことで切り殺され、下の妹は病気で死んじゃったから…。私はみんなの分も、がんばって長生きしたいの」

 …そうか、お浜も、河原者はひどい仕打ちを受けていると言っていたが…。

「じゃあ、お絹は歌舞妓をがんばってお金をためて長生きしろよ」

「うん、がんばって長生きする、そして海堂様のお世話をしないとね」

「ああ、よろしく頼むよ」

 するとお浪が風呂が空いたと呼びに来た。お絹は楽しそうに部屋の片づけを始めた。

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