第六話 一本釣り
「おっと、また釣れたぞ」
「海堂、おまえうまいなあ。そのカマツカっていう砂潜り、食べるとおいしいぞ」
この辺で一丁、大物でも狙ってみるか? でも、そういう天の助もなかなかの腕前だ。あれから七五郎がすぐに釣り道具をもう一式用意してくれた。
「よし、大物を狙うかな」
それを受け取ると、天の助はすぐに川の曲がり具合いから、流速や深さ、そこの様子まで一瞬で読み取り、的確に連れそうな的を狙って竿をふる。
「おれの里では,ヤスで突いたり、水の中にもぐって手づかみしたりもする。一人で、大きな岩魚を二十匹以上手づかみで穫ったこともある」
うまく追いつめて取るコツがあるのだという。へえっと感心すると、今度はイノシシやクマを狩る方法まで飛び出す。彼は里で一番の狩りの名手でもあるようだ。話を聞いていて分かった。この男は深い山の奥から出てきた猟師であり、川漁師でもある。年に数回は魚貝だけでなく、塩や海藻を手に入れるために海にも行くという。
「じゃあ、あんた、田んぼや畑はやらないのかい?」
「ああ、ひとっところにいるのは性にあわない。それに生まれてから耕したことは一度もないな。もっぱら、季節にもよるが、山や川を一日中走り回ってるよ」
最近は熊の胃が漢方薬として高く売れるし、いのしし鍋の店もでき、熊イノシシを狩ることが多いそうだ。海堂は冗談のつもりでこう言った。
「熊やイノシシの肉を食ってるから、こんなにいい体してんのかい?」
でも天の助は大きくうなずいた。
「ああ、その通りだ。おれも木の実や野菜も食べるが、肉や魚はたっぷり取っている。でも、江戸に来たらみんな銀シャリの白い飯ばっかり食ってるから驚いたよ。あんなんじゃ強い体は作れない。いろいろな色のついたもの、苦みのあるものをうまく体に取り入れることが、実は体にいいんだぜ」
話を聞くと、この男は薬草や元気の出る食べ物にも相当詳しく、かなりの知識も持っている。山の民は思った以上にかしこい。味噌や納豆は滋養がつくとか、漬物もしっかり食べろとか、けっこううるさい。
「おい海堂、おまえ、まさか銀シャリばかりをうまいうまいって毎日食ってんじゃないだろうな」
「え、なんかいけなかったかい?」
「いくらひまな浪人だって、それじゃあだめだよ。米を喰うなとは言わんが、せめて一日一回玄米にしろ。肉は手に入らないとしても魚や貝はたくさん食え。うまいものばかり食ってると体がなまるぞ。まちがいない」
なんか天の助に言われると説得力がある。そうなのだ、こいつとは食べてるものから違うのだ。だから骨格から肉の付き方までまるで違う。
「そ、そうします」
海堂は、まだ事件の核心には触れなかったが、なんでこの男が、辰之進のところを飛び出したかがなんとなく分かってきた。本当に野生児で、純粋な男なのだ。しかも田や畑をもたず、ひとところに縛られることを一番嫌う。金儲けや、浪人の野心のために何かをがまんしろと言われて、はい、そうですかと首を縦に振るような男ではない。
今日は、もしかしたらこのまま別れてもいいのかもしれない…海堂はそう思い始めていた。
「あ、そうだ、天の助ってすごく強いよな。でも山の中でどうやってあんな技覚えたんだい?」
「ああ、それはね。技を覚えないと、命を落とすことになるんだ」
「へえ? 命を落とす?」
「おれたちはしょっちゅう、イノシシや熊を山の中で穫っている。でも、動物の肉を一番おいしく新鮮なまま運んで食べる方法を知っているかい。」
「なるほど、最近は銃も行きわたって、狩りも楽になったと思ったのだが、考えてみてると、その後すぐに運ばないと腐るだろうし…。血抜きなどの下処理も必要だと聞いたこともある…」
「簡単だよ。生け捕りして、生きたまま村に運ぶ。腐ることもないし、下処理だって村で落ち着いてできる。頃合いを見計らって、しめて、きちんとした処理をすればいいのさ。銃や槍などを多用すると毛皮もいたんで売り物にならなくなる。新鮮でおいしい肉も食べられて、毛皮もいたまないいい方法さ」
「生け捕るって…ワナとか?」
「ああ、でも結局は素手で四本脚をフン縛らなくてはいけないんだ。おいらの村の男は、だれでも素手で暴れ回る大イノシシを縛り上げることができる」
「素手で? そりゃあ、すごいな」
「問題は、熊を素手で縛り上げる時だね。追い詰められた熊は逆上してとんでもない攻撃を仕掛けてくる。その時に技がないと命を落とすことになる。村ではそのための技がいくつも伝わっていて…」
熊の厚い毛皮や筋肉を相手にするには、重い当て身や、確実な急所攻撃ができないと、命を落とすことになるのだという。
だが、その時だった。後ろに何か強い気配を感じて振り向いた。
「なんで、あの二人が…」
それは海堂もよく知っている二人だった。
一人は普段着に着替えた女歌舞伎のお浜、そしてもう一人は顔の上半分を覆面で隠した謎の武術使い、黒獅子ではないか…?
「楽しそうに釣りをしているとこをすまないねえ。頼みごとがあるんだよ」
すると天の助は振り返って答えた。
「お浜さん、昨夜は温かい晩飯と寝床を世話してくれてありがとうよ。あんたとは昔は同じ一族だったってことも分かったしな。なんでもできることならやってやるよ。言ってみな」
そういえば河原者とエタはもともと同じ者たちだ。動物の解体を行うエタは馬や牛の肉も食べているという。動物を追いかけて山の中を走り回っている天の助も、根っこは一緒なのだろう。
「天の助、あんた、あの辰之進にも勝ったって言うじゃないか。お願いだ、ここにいる黒獅子と組んで、辻相撲に出てほしいんだ。言っておくけど金目当てじゃないよ。最近喰いつめた浪人どもに私たち河原者は追い立てられている。このままでは、女歌舞伎や若衆歌舞伎の興業まで、やつらの食い物にされかねないんだ。あたしらの代表が優勝して、やつらを見返して、手出しができないようにする必要があるんだよ」
たとえばあの浪士砦の辰之進が一の槍という組を作って辻相撲で準優勝など、好成績を残すようになってから、一の槍にたてつく者はめっきり減り、にらみも効くようになってきたという。辻相撲は多額の賭け金だけでなく、勢力争いにもてきめんの効果があるというわけだ。
なんでも最近、お浜の一座が人気なのを見て、浪人の一味が、金を出すからおれたちの言うことを聞けと、一緒に興業をやろうと近付いて来たというのだ。でも話を聞くと儲けの大半を持っていかれるような話だった。馬鹿にするなと断ると、その手下たちが脅しをかけてきたのだという。女は弱い、脅せばどうにでもなるというとんでもないやつらだったというのだ。強い力士が後ろ盾だということになれば、一発でやつらも手出しをしなくなるだろうと頼みに来たのだという。
「あんたのためなら出てもいいが…その黒獅子って男は、どういうやつなんだい? 確かに強いが、本当にシナ人なのかい?」
すると黒獅子は顔の上半分を覆っていた覆面を取り、海堂と天の助に歩み寄った。
海堂より十か十五ぐらい年上かもしれない。額には大きな傷跡があり、これを隠していたようだった。
「天の助、お前さんも正体のわからない怪しい男と組むなんてできないよな。包み隠さず話そう」
黒獅子の言葉に、海堂は自分を指差して言った。
「おれもいてもいいのか?」
「お浜さんからも、あと紫門さんにも聞いていますよ。海堂さんは信頼できる人だと」
「そういえば勝ち抜き戦のとき、紫門がお前たちについていたな」
「紫門さんは有名な庭師で、儲けたお金で私たちの後ろ盾をしてくれているんです」
「なるほど…」
「海堂さん、ぜひ、一緒に聞いてほしい」
「まあ、すわれや」
天の助が、二人に椅子代わりの石を用意した。湧水の流れ込む小さな川の河原で女歌舞伎の役者と謎の武術家、狩人の若者、浪人姿の隠密が向き合っていた。
「おれは九州の山の中の小さな村の生まれだ。シナ人ではない。ただ、長崎の平戸でシナ人に拳法を習っていたのでシナ語も少しはしゃべれる。なぜ、顔を隠しているかと言えば…」
黒獅子は少し間をおいてから告白した。
「…隠れキリシタンだからだ。平戸のあたりでは、眉間の傷も顔も知られている。江戸でも、いつばれやしないかとびくびくしながら暮らしている」
黒獅子は子どもの頃の話をポツリポツリと始めた。彼が暮らしていた九州の山の中では戦国時代から、村が、村人全員がある日突然消えてしまうという事件が起きていたという。
「それが自分の村にも起きるとは思っていなかった。ある日おれはまだ幼かった姉と一緒に隣村の親戚にお使いを頼まれて出かけて言った。だが、帰ると、父や母や、村人全体が消えていた。我々は隣村の親戚に引き取られてそこで育った。当時は何も分からなかったが、大きくなって噂が耳に入ってきた。村人たちは銃を伝えたポルトガル人との闇貿易に使われたのだ」
「闇貿易?」
「銃や日本では入手しにくい火薬の原料などを大量に受け取る代わりに、代価としてキリシタン大名たちは領民を差し出したのだ。その数は数千人では済まないだろう…」
「差し出すとはどういうことだ?」
海堂が訊くと黒獅子は答えた。
「詳しくは知らないが、女の多くはポルトガル本国に、男たちはポルトガルの植民地のブラジルというところに運ばれて、そこの開拓にあたったらしい。開拓とは名ばかりの奴隷売買だった。日本の民はよく働くと重宝されたという。もう最近は鎖国されてしまったのでそれもないらしいが、おれはそれで家族を失った」
そして黒獅子は姉とも別れ、貧しい暮らしを転々と渡り歩き、長崎の港で仕事を見つけた。とにかく生き抜くためにもっと強くなりたくて、知り合いになったシナ人に一生懸命武術を習った。そして、そこで世話になった家族の関係でキリシタンになったという。
「つらいことばかりの人生だったので、心のよりどころが欲しかったのかもしれない。だが、今から十年ほど前からは長崎でも踏み絵が始まり、そしてついこの間、三年前の天草・島原の乱だ。ここ江戸ではあまり知られていないが、それはそれは悲惨な戦いだった。たんなる地方の農民一揆ではなかった。一歩間違えば、外国を巻き込んだ戦争になるところだった。あの時籠城した反乱軍を助けるために、ローマ教皇の密約を受けたカトリックのポルトガル軍が上陸を開始する寸前だった。だが、ポルトガルと覇権争いをしていた、プロテスタントのオランダ軍が幕府側につき、ほんの少しの差で鎮静化された。平戸にいたおれたちのまわりもどんどん状況は厳しさを増していった。おれの世話になっていた家族もおれの外出中にどこかに連れて行かれ、二度と帰ってこなかった。幕府の取り締まりがますます厳しくなり、ついにこのおれも江戸に流れてきたというわけだ」
海堂も天の助もその数奇な運命を聞いて、黙ってしまった。
「もちろん江戸に来てもキリシタンの知り合いもなく、逃げて生きて行くだけで精いっぱいだった。でも、そんな俺を紫門さんやお浜さんはキリシタンでもないのに、仲間として助けてくれた。今はこの人たちの役に立てたらと思っている…」
すると天の助もぽつりと自分の話を始めたのだった。
「昔、平将門と言う武将がいてな、そいつは、おれたち山の民が持っていた優秀な馬に目をつけ、われわれの一族に近づいてきた。平の一族の中には山の民を嫁にとるものもいた。その結果、侍の中におれたちと同じ星の信仰を持つ一族まで現れた。やつらは星の信仰を北辰信仰と呼び、妙見菩薩と名付け、小田原にいた北条につかえていた。その一族と我々はつながりを持ち続け、毛皮用品などの交易も続けていた。あの辰之進のいる浪士砦と言うのは、小田原で滅ぼされた北条系の浪人がその根っこになっている。北辰一刀流と言う銅条も江戸にある。そのつながりでおれははるばる江戸まで連れてこられたんだが…。やつらは銀しゃりを腹いっぱい食わしときゃあ、何でも言うことを聞くぐらいに思っていたわけさ。食べ物の知識もないし、くだらないので、もう明日にも山に帰ろうと思っていたが…」
するとお浜がもう一押しとしゃべり始めた。
「あたいたち河原者はねえ、いいように朝廷や幕府に利用されっぱなしさ。昔、海の向こうからやってきたやつらがどんどん攻めてきて平和だったあたいらを追い立て、征服した。そしてもともと獣を取ったり毛皮をなめしたりする技術のないやつらは、その仕事をこちらに押し付けただけではなく、動物を解体するけがれた一族だと烙印を押しつけてきた。そのくせ、兜や鎧、武具などには、毛皮が多量にいるので、われわれをいつもそばに住まわせてきた。だがその間に芽生えてきた差別意識はもう我慢ならない。私たちを必要としておきながら、履物は履くな、派手な服は着るな、一緒に住むなとか、そりゃあひどいものさ。仕事だって、決められたもの以外は選べないし、とくに女はいいとこ、下女か遊女になるしかない。特に浪人が増えすぎたこの江戸では、喰いつめた浪人どもの一派が、河原者の領分にまで食い込んできている。表には出ていないけれど、気に食わないというだけで、かわらものの仲間が浪人たちに切り殺される事件がいくつも起きている。でも、このわたしを見ておくれ!きれいな着物を着て、ちゃんと履物も履いている。私たちに許された数少ない仕事のうちの芸能のおかげだよ。能や狂言、歌舞伎があるからみんなから拍手もされるし、こんな格好をしていてもお咎めを受けない。でも、今、その芸能までが危なくなってきている。浪人たちにのっとられそうになってきている。お願いだよ、天の助、あたいらに力を貸しておくれ」
すると天の助は少し考えてから立ち上がって二人の手を取った。
「わかった、引き受けよう。だがこりゃあ参ったよ」
「なにがまいったというんだ?」
海堂がすかさず聞いた。
「おれは海堂と釣りをしてたつもりなんだが、どうも逆に釣りあげられちまったようだ。ハハ」
でもその時、海堂はふと思った。
「あれ、でも辻相撲の団体戦は三人必要だよな? あと一人はどうするんだい」
するとお浜が冗談っぽく声をかけた。
「海堂様、あなたよく鍛えた大きな体してますね…」
さすがにそれはできないだろうと海堂は断った。
「おれにもいろいろ事情があってな…。ちょっと勘弁してくれ」
この顔触れには秘密だが、立場は隠密である。すると黒獅子は笑って答えた。
「はは、それはさすがにないですよ。三人目はちゃんと考えてあります。あなたもよく知っているはずです」
そして、また再会することを約束して、この奇妙な顔触れの会議は終わりを告げたのだった。帰り際、天の助がぼそっと言った。
「じつはな、おれ、お浜に黙って山に帰るつもりだったんだ。でも海堂と釣りに来て、逆に釣りあげられて、なんか面白いことになってきたよ。せっかく、江戸まで来たんだからもうひと頑張りするかな。ありがとうよ。じゃあな」
だが、なぜ、天の助が辰之進のところを離れたのか訊かなかったのは、海堂の手落ちであった。その原因を作ったのが、森村白堂だったのだから…。
帰り道、事の顛末を七五郎に話すと七五郎はちょっと難しい顔をした。
「海堂様が力士にならなくてよかったです。でも、海堂様は河原者たちに少し深入りしすぎているかもしれませんね。まあ、あなたのそういう素直な性格だからでしょうが、あまり深入りして情が移ると、身動きが取れなくなってくるかもしれません。隠密のお立場をよく考えて、お気をつけください」
「うむ、気をつけよう」
「え、若衆歌舞伎見てきたんですか? なんか今日は楽しそうですね」
「うん、歌舞伎もそりゃあ、楽しかったし、仕事でもちょっといいことがあってな。いい知り合いができてね」
時枝屋ではいつもの通り、お浪が明るく迎えてくれた。
「そりゃあ、よかったですね。今日もおいしい料理用意しますから」
「ああ、その件なんだが…」
海堂は一日一回は玄米にしないとだめだと、薬草にくわしい男に言われたと説明した。
「なんでもおいしすぎるものばかり食べていると、体がなまるんだそうだ…」
そしてそれを教えてくれた男が、いかに強靭な体をしているかを具体的に話した。
「へえ、その人はすごいんですねえ。ほかに体の滋養にいいものは言っていませんでしたか?」
「味噌とか納豆はいいそうだ。あと魚や貝をたくさん取れと…。」
「え、そうなんですか? いいこと聞いたわ。海堂様にはもっと体力つけてもらわないとね…うふふ」
これからは朝は毎日玄米ご飯が出るようだった。
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