第五話 若衆歌舞伎

 その夜、張孔先生のところに一人の男が訪ねてきた。取り次いだ妻の話では、玄関で待っているという。

「うむ、客? 聞いておらんな。誰じゃ? 例の幕府の士官の話なら時間が無駄なので帰っていただきなさい」

 実は、軍学者として有名な張孔先生のところには、各地の大名から士官の話が多くあり、今度はついに幕府から大きな話が舞い込んだのだった。でも、幕府や大名の側に入ってしまっては、純粋な研究ができないと、先生は断り続けていた。一つには今やっている軍学の塾がうまくいっていて、いろいろ制約を受ける仕官の必要もなかったからだ。

「…いいえ、大名家や幕府の方ではありません。初めての方で、森村白堂と申しております。いかがいたしましょう?」

 張孔先生は一瞬眉をひそめたが、考え直して会うことにした。

「お通ししてください」

 やがて、一人の浪人がやってきた。歌舞伎者らしく、派手な衣装なのだが、特にやたらと金色のものが多く、豪華、絢爛な風情だ。なかなかの賢そうな二枚目だが、その目の奥は何を考えているのか分からない。

「森村白堂にございます。夜分突然失礼いたします」

 涼しげにほほ笑みかける美青年ではあるが、張孔先生は、どこか冷静な冷たい何かを感じていた。

「森村殿、巷では今日の辻相撲の事件、そなたが黒幕ではないかともっぱらの評判だが」

「さすがは、江戸で一、二を争う軍学者。お耳が早いようですな。でもお叱りをうけて当然、あの三人に大金を渡して、本戦に出場しろと言ったのは私です。まあ、もちろんそのやり方が、私も思いもよらない方法でございましたが…」

 なんとも素直で大胆不敵である。

「それで、わしに何か…」

 すると森村白堂は懐から丁寧に包んだ書状を取り出し、うやうやしく頭を下げた。

「十日後、浪人のまとめ役を集めて酒の席を設けようかと思っております。何かと評判の悪い浪人の今後を考える時期に来ているのではないかと考えまして。皆で話し合おうと…。先生にもぜひご出席いただき、ご高説をお聞かせ願えればと思っております。急なことで無理は承知の上でございます。詳しくは書状をご覧ください」

 張孔先生はじっくりと書状に目を通し、予定をかんがみ、文月の会や一の槍、江戸の騎馬、金の鯱などあちこちの会派が出ることを確認の上、出席することを了承した。

「ありがたき幸せ」

 白堂は大きく頭を下げて、そしてさわやかに帰って行った。

「やつめ、何を企てているのか…。ただでは済まないだろうが、しかし浪人のまとめ役が集まるとなれば、出席せねば…なるまい」


 それから数日後、海堂は夕刻に風呂から出ると、お浪に声をかけた。

「お浪さん、すまないが折り入って話したいことがあるのだが…ちょっと部屋まで来ていただけないだろうか?」

 するとお浪はちょっと嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

「あら、分かりました。仕事が片付きましたらすぐ行きますのでお部屋でお待ちください」

 そしてお浪は鼻歌を歌いながら、厨房で片づけを始めていた。そこにやってきたのはお絹だった。

「あら、お絹ちゃん、ここのところ何日間かは歌舞妓のお仕事がないんだったわね」

「はい、お浜姉さんたちが若衆歌舞伎に呼ばれて昼の公演なんで、風呂の手伝いが終わるともう暇なんです。それで海堂様のお世話をしようかと思って」

 なに? こんな小娘に海堂様との貴重な時間を横取りされたら大変だわ。

「仕事がないって? お絹ちゃんは湯女もやってるんでしょ、まだ、夜の客を取らないのかい…?」

「歌舞妓の仕事で今のところ食べていけそうなので…。それよりお浪さん、鼻歌なんか歌っちゃって…どうしたんですか」

「それがねえ、なかなかなびかないって思っていたら、いや、その海堂様がね、一人で部屋に来いってさ…。今あちらはお風呂から出てお待ちかねさ…うふふ」

 かなりの部分は脚色してあるが、そんなことはお絹は知るはずもない。飯炊き女は小遣い稼ぎに、夜も客の相手をするとは聞いていたので、お絹は心配になってきた。

「…わたしも用事があるから、一緒に行きます」

「もう、しょうがないわね…。用事が終わったらすぐに帰るのよ。邪魔しないでね」

 海堂は風呂からあがり、浴衣姿でくつろいでいたのだが、突然、お浪とお絹の二人が入ってきたので驚いた。海堂と同い年か、一つ上ぐらいのおちゃめなお浪、ずっと年下の純粋なお絹、二人とも美人と言えば美人だが…。

「お話をうかがいに参りました。おりいって話があるとはなんでございましょう」

「お洗濯が乾きましたのでお持ちしました。今ここですぐにたたみますので…」

 二人が一度に話すので海堂はちょっと困った。まあ、お絹には着物をたたんでもらうことにしてお浪には、早速用件を話し始めた。

「すまないね、お浪さん。実は昨日の寄り合いで藤田陣内から話があった通り、数日後に料亭百瀬の離れで、浪人たちのまとめ役の会議がある。だが、今日私が浪人たちの噂話しを耳にしたところによると、金の鯱の浪人たちの間で不穏な動きがあるようなのだ。それを藤田陣内に報告したところ、料亭の中にこちら側についてくれる人がいないか、お浪に聞いてほしいというのだ」

 なあんだ、そっちの用件か、お浪はちょっとがっかりしたが、すぐ気をとりなおして話し出した。

「ああ、百瀬ね…このあたりで一番大きい料亭ですよね。大きな庭園の中に長い廊下でつながってあるのが離れです。うちの相模女はあそこにももちろん行ってます。三人いますから、何とかなるでしょう。明日の朝一番に連絡を取ります。そして、何か情報があれば藤田様にお伝えするように手はずを整えておきましょう。そして当日、藤田様のお役に立てるように体制を整えるように申し伝えます」

「さすがお浪さんだ。これから頼もうと思っていたことをみんなわかってる。だてに経験は積んでいないですね。ではよろしくお願いします」

 用件が終わってもお浪はすぐには帰ろうとしない。着物をたたみ終わったお絹もそうだ。

「海堂様、よければ肩でもお揉みしましょうか?」

 お浪が言うとお絹もすぐに対抗する。

「じゃあ、私は足をお揉みします」

 なぜか二人がお互いにつんけんしているので、面倒に思った海堂はやんわりと断って二人を帰した。

「全くお絹ちゃんのおかげで、帰されちゃったわ。でも、やっぱり、一緒に同じ屋根の下に寝起きして、同じもの食べていると、その、なんていうか、海堂様とも自然になるようになるのよね…きっとそのうち」

 するとお絹も負けてはいない。

「あら、海堂様の身につけているものはみんな私が心をこめて洗濯したものだし、それになんといっても私たち何度も裸の付き合いをしていますから…。背中も流したし」

「え? そうか朱雀の湯ね。それで海堂様と裸の付き合いね。ところで、海堂様ってどんな…?」

「ええ、それはそれは、とてもご立派な…そんなこと言えませえん」

 二人は見つめあって大笑い。そんな風にして、時枝屋の夜は更けていくのであった。


 次の日、時枝屋で例の寄り合いがあり、海堂は時枝屋の主人、お浪ともども出席していた。時枝屋がおだやかに話の舵ををとる。

「実は夕べ、海堂様にも関係したことで大きな騒ぎがあったそうです…。笛太鼓堂さんお願いします」

 時枝屋の主人の言葉に、あのぽっちゃりした男がしゃべりだした。

「へえ、昨日の夕刻、事前の予告なしに飲み屋街で、辻相撲が始まったそうなんです」

 なんでも、一の槍のあの人気者の辰之進と勝ち抜き戦にも出た天の助という男が、飲み屋街にある小さな神社で一試合だけ相撲を始めたそうだ。たった一つの松明に照らされるだけの薄暗い境内で凄まじい試合があったそうなのだ。

「あの二人は同じ一の槍の仲間じゃなかったのか?」

「それが天の助という男が、ぶすっとして吐き捨てるように、もうこんな連中のいるところにはいたくないと言ったらしい。すると辰之進が、いいだろう、だがその前におれを倒してから行けと怒鳴り返したんだと。それで戦いになったのだが、まさかの天の助が勝って、そのままどこかへ消えて行ったらしい。みんな、あの辰之進が負けたっていうんで大騒ぎだったらしい」

「いったい何があったというのだろう…?」

 海堂が首をかしげると、笛太鼓堂の代わりに今度は女衒の鉄が話し出した。

「遊女に裏の話を漏らした男がちゃんといたぜ。昨日、飲み屋にいた辰之進のところに、あの森村白堂がやってきて、何やら儲け話を持ちかけたらしい。なんでも辻相撲の賞金の山分け話だという事だ。辰之進は悪い話ではなかったので一応引き受け、その中身をほかの力士にも話した。だが、天の助は、おれは金儲けのために江戸まで来たんじゃねえと怒りだし、喧嘩になったんだとよ」

 この間、あんな騒ぎを起こしながら、金の鯱の森村白堂はもう動き出しているのか? いったい何のために?

 すると今度は猫面の紫門がそっと言った。

「そして、消えた天の助ですが、私たち河原者の関係に今匿われています。もし、海堂様がお会いになりたいのなら、お力になれるかもしれません」

 なぜ、河原者のところに…? まあいい、海堂は会えるものならと、さっそく紫門に頼むことにした。天の助に会えば、事件の真相や森村白堂のねらいも分かるかもしれないと思ったのだ。

 すると今度は、エタのお頭、団衛門が発言した。

「実は先日、私どものところに、かなりの大金を借りに来たあやしい浪人がいてのう、結局は商談はまとまらず、その浪人はかえっていきましたがのう。その男が気になることを言っていたのです。ばかなエタどもだ、この金を渡せば白堂様のところで何倍にもなって返ってくるというのに…。それで何がそんなに儲かるかと聞いてみたところ、ちょろっと口を滑らせましてね…新しい富くじだそうです」

 富くじ? どういうことだ、あれにはお上の許可もいるし、いろいろ決まりがあって浪人が始めようと思っても、簡単にはいかないはずだが…。

 なんだか話がとんでもない方向へと大きく膨らんできた…。するとあの目力のある犬目屋がぽつりと言った。

「確か富くじは寺社奉行の管轄ですな。そういえば森村白堂が、それに関係した有力な旗本に会っていたとの噂ですよ」

 本当にきな臭い話になってきたようだ。寄り合いの終わった後、海堂は飴売りの七五郎を呼んで、新しい富くじに関しての不正がないかと老中に報告と確認を依頼した。のんびりしてはいられなくなってきた。海堂の地道な捜査の日々が始まる…。


 その翌日、海堂はまた七五郎と歩いていた。今日も変装道具と趣味をかねて、釣り竿をかついでひまそうに歩いて来た。

 猫面の紫門の話では、河原者の仲間に匿われていた天の助は、今日最後の幕が降りた後、片づけの人足として手伝いに来るらしい。

「海堂様、今日の会場の裏には湧水から湧いた小さな川がありましてね、なかなかの穴場ですよ」

「じゃあ、今日は仕事がうまくいかなかったら、そこで釣りでもして帰るかなあ。ははは」

「では、私めはこれから別行動をして飴を売っていますが、目の届くところにいますので、何かあったらお声をおかけください」

 目的地の神社が近づいてくると、七五郎は飴売りの歌い文句を口ずさみながら離れて行った。

 江戸には奥に歌舞伎踊りのころから、若衆歌舞伎や人形浄瑠璃、曲芸小屋などがあり、最初は境内や瓦などの簡単な舞台で行っていたが、海堂が江戸に来る十五年ほど前には町中に常設の芝居小屋ができ、江戸の庶民に芸能を届けていた。やがて歌舞伎が定着するようになると、防火や管理の点から芝居小屋はいろいろ規制されるようになり、最後には江戸四座が官許の芝居小屋として認められるようになる。海堂のころはまだまだ自由でいろいろな場所で興業がうたれていた。

「へえ、なるほど大きな能楽堂があるんだなあ」

 大きな神社の境内なのだが、その傍らには青い芝の大きな広場が氏子や地域の住民によって整備されている。そこは、数百人は入れそうな大きな野外の能楽堂であった。もちろんその当時には現在のような花道もなく、能の舞台そのままであった。時間が近づくと、あの町中の屋台通りから、いくつもの屋台が会場の入り口に入ってくる。いい場所を取ろうと、敷物を持ってやってくる気の早い屋からも出てくる。

 会場の入り口には小さな櫓が設けられ、その周りには布が巻かれ一抹一座という文字と、一座の松の紋が描かれていた。一抹一座とは、今日ここで若衆歌舞伎を行う一座の名前である。なかなかの人気らしい。櫓の上には太鼓が置いてあり、時間が近づくと人が登って太鼓を鳴らすのだ。

 やがて開始を知らせる太鼓が打ち鳴らされる。ドンドコドンドコ音が響きだすと、あちらこちらから、人々が続々と集まってくる。敷物を貸す敷物屋や、麦茶やお菓子を売る茶屋、あと何に使うのかいろいろな和紙を売る店などが繁盛し始める。七五郎の飴売りもちゃっかり儲けているようだ。海堂は、三幕までが終われば天の助がくるという能楽堂の裏を念のために見に来た。すると、裏には大きな幕が張られ、大勢の役者が着替えたり、舞台の用意をしているようだった。すると遠くから海堂を呼ぶ声がする。何だろうと近付くと、男装をしたお浜ではないか。今日もゾクっとする美しさだ。

「海堂様、来てくれたんですね」

 海堂は仕事で来たともいえず、にこやかにうなずいた。

「海堂様、実は今日は若衆歌舞伎と手分け・協力して公演を行う、初めての試みなんです」

「ほう、若衆歌舞伎と手分け・協力する?」

「今までは、若衆歌舞伎の幕間に私たちの狂言をいれさせてもらったりして長年やってきたんです。でも今回は、第一幕は若衆歌舞伎、第二幕は私らの女歌舞伎狂言、第三幕は合同でやるんです。もちろん海堂様が気にいってくれたように、昔のような歌舞伎踊りではなく、物語をとりいれ、きちんとやってますよ。しかも今回は少年たちを相手に厳しい剣劇の特訓までしましたから」

「ほう、それは楽しみだな」

 やがてまた太鼓が鳴って、そこに三味線の音が加わりだすと、いよいよ開始だ。みんな席について静まって行く。

 今日の出し物は「源氏妖狐伝」だという。

 美しく女装した美少年がすーっと出てきて、演目を紹介し、始まりを告げる。賑やかな三味線と笛、そして鼓と太鼓が鳴りだす。会場が広いせいか、音楽はなかなか大規模で迫力がある。

 最初は女装したたくさんの一抹一座の若衆歌舞伎の面々が徐々に出てきて、豪華絢爛な歌舞伎踊りだ。顔立ちのいい美少年たちが長い髪をたらし、かわいげに踊る様はなかなかで、男性からも女性からも大きな声援がかかる。最初は一人、もしくは数人で踊り、それが全員の踊りの輪に広がっていく様は見事だった。そして盛り上がったところで、さらに美麗な衣装をつけたお姫様役の美少年が登場、その顔立ちも麗しく、踊りは当代一と評判の、あの菊丸の登場だ。会場全体から熱い声援が飛び交う。だが、少しして上手に怪しい白装束の狐面のもののけが現れ、怪しい踊りを踊ると、姫は悲鳴をあげて吸い込まれるように上手に消えていく。

 すると下手から源氏のなにがしと言う立派な武将とその家来がやってくる。

「あれ? これはどうなってるんだ? 逆じゃないか!」

 先ほどの踊りや姫は美少年がやっていたのに、今度の源氏の武将たちは、あのお浜たちの女歌舞伎の面々が演じているのだ。一緒に踊っていた女装の従者に頼まれ、武将たちは姫を助けに出かけるのであった…。

 なるほど、このあたりから二つの一座が交流していくわけだな…。これで第一幕が終わる。少しの休憩の間、持ってきた弁当を食べるもの、茶屋でお菓子やお茶を買うもの、屋台料理を食べるものなど様々だ。すると会場の隅で見ていた海堂のもとに飴売りの七五郎がそっと近づいてくる。

「海堂様、あちらをご覧に…。あの森村白堂が着てますよ」

 言われたほうをさりげなく見ると、さわやかな二枚目が数人の仲間を連れてさーっと歩いて行く。上品で派手な着物で、金箔の扇子を持っている。だがその身のこなしは武術の心得のある隙のなさで、やはり武士そのものだ。思ったより若くて華やかな男だと思った

 いったいこの若衆歌舞伎の会場に何の用だ?

「…なんでも若衆歌舞伎が最近大人気なので、森村白堂は興業権を狙っているらしいという噂ですよ。ほら、今挨拶をした目のギョロっとした男、若衆歌舞伎の座長の岳松っていう男ですよ…」

 そしてまた、太鼓が鳴りだす。あの司会役の女装した美少年が開始を告げる。第二幕は、狂言回しの笑いの絶えない幕であった。

 まず、姫を連れた妖狐が下手から出て、あちこちをきょろきょろしながら上手に消えていく。姫役の菊丸が哀れに助けを求め、涙を誘う。しかしそれも及ばず、連れ去られる。

「なるほど。あの妖狐はこのあたりに住んでおるようじゃ。皆の者、ここで待機じゃ」

 源氏の大将が、家来を残し、一人妖狐の住処を確かめに行く。

 その間、待っている家来たちは自慢を始める。槍が得意だと槍を振る家来、弓矢を命中させて自慢する家来、刀を気合いとともに振って自慢する家来。もちろんそれぞれの家来もすべて女歌舞伎の女性なのだがその見事なこと。技を見せるたびに、観客席から大拍手が沸き起こる。そして妖狐など軽くひねりつぶしてやるとだれもが豪語するのだ。

 だが、そこに白い装束を着た美しい娘たちがあやしく踊りながら何人もやってくる。今度はこの間鬼の仮面をかぶって踊っていた女歌舞伎の歌舞妓たちのようだ。一度客席に背中を見せて腰を振ると、短めの着ものの裾から長い尻尾が出ている。そう、この美しい娘たちは狐の手下だ。そして、控えている武将の家来たちの前で怪しい踊りを踊る。すると、家来たちは、何かおかしな気持ちになってきたと口々に言いだす。

「お侍さま、お酒を召されませ」

「お侍さま、ご馳走でございます」

「お侍さま、私とあちらへ参りましょう」

 狐娘たちは、尻尾を振り振り、家来を誘惑する、すると家来たちは見事に妖術に引っかかる。酒をおいしいと呑みほした家来は、すぐに酔っ払いあちこちをふらふら歩いて笑いを誘う。そして、そのままバッタリ倒れて大きないびき。ごちそうを食べた家来は、枯れ葉をもぐもぐ、木の枝にかじりつき、うまいうまいを連発だ。狐女に誘われた家来は、狐女と並んで座り、かわいい、かわいいを連発、手を取り、言いよる。そしてついに狐娘に抱きつくが、気がつくと石の地蔵に抱きつく始末…。

 腕自慢の武将の家来が、バカなことをするので会場は大笑いだ。

 そこに武将が帰ってきて、みんなを起こすと、みんなは寝ぼけて槍や刀をふりまわし、また大笑いとなる。女狐たちを退治しようとすると、女狐たちはもう余裕で逃げ去っていく。悔しがる家来たち。

 これで第二幕は終わりだ。女歌舞伎は、それ自体は禁止されているが、若衆歌舞伎などとうまく組んでたくましく生き残っているようだった。今度の休み時間は、お客たちが、例の和紙を小さく破り、小銭をいくつも入れて、最後の幕に備えて準備を始めた。安い金は白い紙に、高い金は派手な和紙に包み、そう、おひねり、ご祝儀として舞台に投げるようだった。そしてついに三幕の開始だ。

 あの司会役の女装した美少年が、ついに妖狐の住処へと武将たちが入ったことを告げる。名刀を抜き、妖狐の住処にやってくる源氏の武将とその家来たち、だが今度は、女狐ではなく、忍者のような衣装をきた、狐面の軍団が現れる。どうも中身は一番最初に歌舞伎踊りをやっていた美少年たちらしい。男性の力強さと少年の身軽さを持って、前方回転、宙返り、逆立ちと自由自在だ。まずは刀を抜いて、武将たちに切りかかる。武将を演じている女歌舞伎のお浜たちも全然負けていない、華麗に舞いながら、刀や槍を振り回しての見事な殺陣で切り返して行く。忍者狐の体術の見事さは、見世物舞台の曲芸から着ているらしい。それだけで人を呼べる見事さだ。それを舞いながら切り返して行く女歌舞伎の華やかさも大喝采だ。さらにそこに、大音響の三味線や鼓が重なっていく。もう観客は手に汗握る大興奮だ。やがて、源のなにがしと妖狐の二人が舞台の前面で一騎打ち、二人が戦いながらお客に向かって大きくみえを切る。すると、雨が降り注ぐようにご祝儀の小銭が投げられる。

 十分金が来たと思ったら、二人はすごい勢いで殺陣を始める。妖狐はだれが演じているのか、連続宙返りや連続の剣の技を見せ、見応え充分だ。最後に源のなにがしに降参し、舞台には、武将、妖狐、姫の三人が残る。いよいよ最後だ。後に三人それぞれが、観客の歓声にこたえて、舞いを見せる。そしてまた雨のように降り注ぐご祝儀。すると、あの司会役の美少年が出てきて、ご祝儀が多いので、もう一舞いと言う。すると、今度は忍者狐も出てきて、全員で見事な体術を見せる。さらに降り注ぐご祝儀、それにこたえて司会がまた御礼を言うと、今度は着替えた女狐が出てきて踊りを見せる。ご祝儀が多いと豪華絢爛になっていく舞台、なかなかうまい手である。やがてかわいらしい美少年の踊り、女歌舞伎の美と笑い、男性の特性を生かした派手な剣劇、それらをいかした今日の演目は大喝采のうちに幕を閉じた。舞台の前では、役者が出てきて、さらにご祝儀を個人的にもらっている。海堂はさっそく能楽堂の裏に回り、片づけが始まった舞台裏へと急いだ。

「おお、いたぞ。あれぞ天の助だ」

 舞台で使われたいろいろな道具を運び出し、荷車に積んでいた。さて、どうやって声をかけよう。怪しまれたらそれまでだ…。

「手伝おう…」

 ほかに言葉も思いつかず、海堂は釣竿を置いて手伝い始めた。

「すまんな」

 それが天の助の初めての言葉だった。しかし一緒に仕事をすると、体は確かに大きな海堂よりも一回り以上は大きいのだが、食べている物が違うのか、その胸板の厚さ、骨格の太さが何か違うように思われるのだ。

 やがて積み込みが終わる、荷車は出て行き、やっと話しかける絶好の機会だ。

 だが、いざというと何もよい言葉が出てこない。共通の話題も思いつかない。変なことを言って警戒されても困る。海堂は置いておいた釣竿などの荷物をとって身支度を始めるしかなかった。するとなんと天の助から声がかかってきた。

「お前、釣りをするのか?」

 明らかに興味を持っている視線だった。海堂はほほ笑みながら答えた。

「よかったら、一緒に釣りでもするか? すぐ裏の川で釣れるそうだ」

「へえ、本当か? ぜひ、頼む」

 すると、そこに飴売りの七五郎が顔をだした。

「だんな、釣りに行くんですか、釣竿もう一本用意しましょうか?」

「ああ、頼むよ、すぐそこの河原で釣ってるよ」

 天の助には会えたが、なぜか一緒に釣りをすることになってしまった…。よかったのか、悪かったのか…。二人は言葉を交わすこともなく、ゆっくりと歩き出したのだった…。

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