彼方、地上より愛を込めて
成海うろ
彼方、地上より愛を込めて。
前略、後輩へ。
吃驚しただろ? まさかこの俺が、殊勝にも手紙なんざ書くなんて、思ってもなかっただろ?
先に言っとくが、こいつを封筒に仕舞おうとするんじゃねえぞ。すぐに自分の世界にひきこもるのはお前の悪い癖だ。自分でも阿呆くさい事やってると思うし、お前もそう思ってるんだろうが、命令だ。最後まできっちり読め。
さて──お前に初めて会ったのは確か、5年前か? 俺がまだペーペーの一兵卒だった頃だったな。お前はそう、軍のお偉いさんだった親父さんに連れられて来たんだったな。今でも憶えてるよ、目の色変えて戦闘機に飛びついてったガキンチョの事は。
え? 何? まだそんな事憶えてるのかって? そりゃそうだろ! 俺からすりゃ、お前は随分毛色の変わった奴だったからな。
だが、まさか本当に入隊してくるとは俺も予想してなかった。あの時はほんと、吃驚したぞ。うん。
人としちゃちょいとアレだったが、パイロットとしてのお前は実に優秀だった。正直、羨ましかったよ。訓練でも万年トップだったもんなお前。
ただな、同時に怖かったんだ。お前の事が。
お前が好きなのは飛行機じゃない、空そのものだ。地上の事はまるで興味ありませんって感じで、お前はいつもいつも周囲には無頓着だったな。誤魔化さなくていいぞ、俺にはちゃんと解ってたんだから。
お前の上官やるのもなかなか骨が折れる話だったよ。逃げようとしてる猛禽にロープ付けて、常に引っ張ってなきゃならん様な奴だったからな、お前は。気を抜いたらすぐに、何もかも振り切って飛んで行きそうな奴だった。
え、何? 言い過ぎだって?
阿呆抜かせ。じゃあお前、こないだのは何だった? 帰投命令ガン無視しやがって、肝が冷えたぞ。燃料切れも近いのに、ほぼほぼ最高速度で飛ばしてただろ。整備陣が悲鳴上げてたぜ。
お前たぶん、トンでたんじゃないかな。俺にもそんな事があったんだ。妙に周りがゆっくり動いて見えた。あの時のお前も、途中からいやに着弾率上がってたし。
……もっと言うと、だ。
信じる信じないは自由だが、俺にはあの時、お前の機体が消えかけた様に見えたんだよ。頭からどんどん、目に見えない《どこか》に突っ込んでいくみたいに。お前には周りがどう見えてたか分からんがな。
なあ。
今度の出撃もたぶん、キツい。こっちとあっちじゃ、戦力差があり過ぎる。俺らの限界なんかお構いなしだ。飛ぶしか念頭にないお前にとっちゃ、嫌でしょうがないだろう。だから、言っとく。
お前、物凄いパイロットだよ。才能があり過ぎる。そういう奴って大概、お前みたいに飛ぶ事しか考えてないんだ。
そういう奴ほど、行方不明になる可能性が高い。どこまでも飛んでいく事しか考えてないみたいに、見当外れな方角に飛んでって、消えて帰って来なかった奴を俺は何人も知ってる。お前がそうなるのが、何よりも怖い。
絶対に帰って来い、なんて事は言わない(それに越した事は無いが)。ただ、生きるなら帰って来い。死ぬにしても、落ちてから死ね。
間違っても、《どこか》へ消えようとはするな。
*****
自らの乗機が翼の端から崩れてゆくのを、青年はただ見ているしかなかった。いきなりエンジンが止まって空中分解を始めるなんてどういった了見なのだろう? 送り出してくれた整備班は、あんなにも必死だったのに。 ……まあ、理由は考えなくたって解ってしまうのだが。
おそらく最大の要因であろう資材不足を呪う反面、脳裏にちらつくのは何故か後輩の姿だった。
空には魔が潜むと言う。パイロットを惹き付け、我が物にしようとする何かが。かの少年は、その魔手に捕らわれようとしていた。
(……ちゃんと帰って来れるかな、あいつ)
思いながら、青年はゆっくりと操縦桿から手を放す。
少年が気がついた時には、周囲に空しかなかった。
重力のようなものは感じられない。と言うか、今まで自分を縛っていた一切合切が消え失せたような気分だった。
世界の果てとでも許容出来そうなそこはどこまでも綺麗で、どこまでも空っぽ。それはまさに、少年の求めていた理想だった。
少年にとって、世界というものは常に息苦しい場所だった。理由は彼自身にも分からなかったが、父と共に飛行機に乗った時、彼は空を飛ぶ魅力に取り憑かれた。いつしか、空こそが自分の在るべき場だと思うようにさえなった。
うすく笑って、少年はゆっくりと操縦桿を引く。
────迫り来る死を、はっきりと理解しながら。
────恐怖を抱く事は、終になかった。
*****
ベッドのヘッドボードに背を預けた少年は、その手紙を読み終わった後もずっと文面に目を落としていた。ともすれば遺書に見えなくもないそれは、彼が帰投して意識を取り戻した後にその存在を知った。送り主は聞いた所に寄ると、機体の故障で行方不明だと言う。
「────よぉ。」
そこに掛かる声。その方を見れば、先刻まで読んでいた手紙の主が笑ってそこに立っていた。
本来ならば有り得ない光景。だが、少年は驚かない。彼が無事である根拠が、すぐ手元にあったから。
「……なんだ、驚かないのか」
「残念ながら。」
言って、ひらひらと少年は封筒を振った。その消印は出撃の日付より後のもの。
「ちっ、しくじったな」
くすくすと少年は笑う。つられて青年も困った様な笑みを浮かべた。
「でも、生きて戻って来れましたね。良かったです。」
「ああ。」
もう、戻って来ないと思っていたのですが。
口にしようとしたその言葉をしかし、少年は静かに呑み込んだ。
そう。本当は、戻って来ない筈だったのだ。
《其処》へ至ったとき、少年は本当に飛ぶ事しか考えてはいなかった。無限に広がる空の前では、家族も友人も地上での生活も、全てが塵に等しい……筈、だった。
それを引き戻したのが、ひとりの声。この手紙を書いた青年の声だった。
戻って来いと、まるで哀願するようなその声に誘導される様に、少年はいつしか引き返していた。来たときとは正反対にとんでもない強風が吹き付け、ぎしぎしと機体全体が軋んだ。まるで、ここから逃がさないと言わんばかりに。
それが止んだときには、彼は地面へダイビングを開始していた。
この選択が正しかったのかは、よくわからない。ただ、どうやら自分は思ったより普通の感性を持っていたらしい事はよくわかった。知人のあんな声を、どうしても放ってはおけなかった程度には。
その結論はすとんと彼の中に落ちた。どうしてか、口角が勝手に上がる。笑いながら、彼は窓から見える空を見た。今日も天気は良く、そこは夕陽で真っ赤に染まっている。
(……成程。)
見上げる空と言うのも案外いいものだ。独りごちて、少年は沈む夕陽を見送る。
「先輩」
「あん?」
「僕ら、どうしましょうね。これから」
「は、」
「?」
ひゅ、と息を呑む音に視線を移せば、信じられないものを見るかのような青年の顔。そんなにおかしいことを言っただろうか、と少年は首を傾げたが、程なくして青年は破顔する。
「────うん、そうだな。どうしようなあ」
夕陽はもう沈むのに、明日の保証すらも確約されていないのに。何故かその笑顔に、少年はどうしようもない安堵をおぼえた。
彼方、地上より愛を込めて 成海うろ @Narumi_uro
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