第38話

 僕と未亜みあは部室へと向かった。

 戻ってくる一年生達と遭遇しないように部室棟とは反対の方に走ったのでだいぶ遠回りだ。

 

 階段を駆け上がってほっと一息付く。


「ハァ……ハァ……ひとまずここなら安心かな」


「こんなに学校を走ったの初めてです」


「僕もだよ。小学生じゃあるまいし」


「ふふ。優兎ゆうと先輩は穂波ほなみさんと一緒に走ってそうです」


「ああ、そんなこともあったな。ゆうお兄ちゃん、ゆうお兄ちゃんって休み時間の度に現れてたっけ」


「その頃の優兎ゆうと先輩を見たみたいです」


「今度卒アル見に来る?」


「はい! ……あ、えと……」


 僕は自分自身が発した何気ない一言に。

 未亜みあはそれに対して即答したことに対して恐らく同じ感情を抱いていた。

 

 体全体が熱いのは走ったからだけじゃなくて、先輩と後輩という関係から恋人になったことにより深まる二人の関係みたいなものを想像してしまったからだ。

 

「僕が学校に持ってくればいいよね。うん」


「ですね! 文芸部のみんなと一緒に見たいです」


 ハハハと乾いた笑いが廊下に響く。

 僕はやましい気持ちは全くなく、ただ純粋に未亜みあと出会う前の自分の姿を未亜みあに見せたかっただけだ。


「そしたらみんなの卒アルも見たいな。未亜みあの小さい頃もきっと可愛いんだろうな」


 まだ出会う以前の彼女の姿に想いを馳せる。


「うぅ……昔は髪で顔を隠していたので、その頃の写真はあまり見られたくないです」


未亜みあが卒アルを見せてくれないなら、僕も見せない」


優兎ゆうと先輩の卒業アルバムを人質に取るなんてズルいです」


「僕らはもう対等な恋人だからね。卒アルを見せ合うのは当然なのだ」


 わっはっはと強がって笑ってみせたものの、自分で恋人と口にして恥ずかしくなってしまった。

 未亜みあも同様に顔を赤くしてうつむいてしまっている。


「あの……そしたら……二人きりの時は」


 彼女は何か言いたげに体をもじもじさせる。

 繋いだままの手からは緊張が伝わってきた。


「ゆ、優兎ゆうとって呼んでいいですか?」


 この一年間ずっと優兎ゆうと先輩と呼ばれ続けてきて、そこから先輩が取れただけなのに妙にむずがゆい。

 ウェイな陽キャは異性間でも名前を呼び捨てにしているけれど、何となくそれとは違う特別な感情がここにはあった。


「ダメ……ですか?」


 可愛い彼女は僕を見上げて問い掛ける。

 

「ダメじゃない……っていうか、むしろそう呼んでくれると嬉しい、かな」


「……優兎ゆうと


 僕のお墨付き得た彼女は小さくその名をつぶやいた。

 ニヤけそうになる顔を必死に取り繕って後輩から恋人へと変わった彼女をじっと見つめる。


「やっぱりちょっと恥ずかしいです」


「僕は嬉しいよ。恋人になったみたいで」


「みたいじゃなくて、本物……です」


 未亜みあは僕の手をぎゅっと握った。

 それに応えるように優しく握り返すと、自然と笑顔がこぼれる。


「そろそろ部室に行こうか。あのあとどうなったのか気になるし」


「ですね」


 一年生の教室から離れてしまえば、今日からしばらくは新入部員を待ち構えるべくどの部活も活動が盛んなので校舎の人気ひとけは少ない。

 だから僕は未亜みあの手をそのまま握り続けた。


「手、このままでもいい?」


 彼女は小さく頷くと指と指を絡ませるように動かした。

 

「このままどころか……」


 意外な積極性に思わず心の声が漏れる。

 まさか未亜みあの方から恋人繋ぎにしてくるなんて夢にも思っていなかった。


「誰にも見られていない時はこうしていたいです。……あっ」


 部室棟に辿り着くまでは誰ともすれ違わないと思っていた矢先、女子の喋り声が耳に入った。

 声はだんだんとこちらに近付いてくる。


 それに気付いた未亜みあや名残惜しそうにゆっくりと一本ずつ指をほどいていった。


「まあ、学校は仕方ないね」


 心臓がバクバクと音を立てそうなくらいに激しく動いている。

 それを悟られないように平静を装った。学年が違う二人である以上はまだまだ頼れる先輩としての一面も残しておきたいから。


「ちょっとだけ」


「ん?」


 歩いていると手が触れるか触れないかのギリギリな距離まで未亜みあが身を寄せてきた。

 ただの先輩と後輩にして近過ぎる距離感に僕の心と頭は一向にクールダウンできない。


「意外と積極的なんだ」


優兎ゆうと…………先輩だけです」


 呼び捨てにしかけたところで先ほどから聞こえてた声の主達とすれ違った。

 咄嗟に先輩を付け足したけど、たぶん彼女達はそんなことを微塵も気にしていない。


「そのルール、部活の時だけでもいいんじゃないかな?」


「ダメです! あんまり慣れちゃうとみんなの前で呼び捨てしちゃいそうで。それはまだ恥ずかしいです」


「そっか」


 首をぶんぶんと横に振るとサイドテールが僕の腕にぺちぺちと鞭のように当たった。

 ダメージは全然ない。むしろ優しい香りがあたりに広がり幸せに包まれるくらいだ。


「学校では優兎ゆうと先輩にするです」


「えー? それはちょっと寂しいかな」


「だから、学校の外で……」


 何かを言いかけたところで視線を逸らされてしまった。

 一年も彼女の先輩をやっていれば彼女の言いたかったことは理解できる。


「今度、どこか遊びに行こう。二人きりで」


「はい!」

  

 まるで散歩に行く直前の子犬のようにパァっと表情が明るくなる。

 やっぱり自分の彼女にはこんな風に笑顔でいてほしい。


 お互いに奥手でなかなか進展がなかったけど、最難関である告白を突破した僕に恐れるものは何もない。

 先輩である僕が積極的に未亜みあを誘わなくては!

  

「部室に行ったら美桜みさくらさんに何て言われるかな」


美桜みさくら先輩はそんなに追及はしなさそうです」


「そうなんだけど、いろいろ迷惑も掛けたしな~」


 主に月菜るなが。という言葉はグッと飲み込んだ。

 月菜るなが部活説明会を荒らしたおかげでこの結果に着地した側面があるのでどうにも強気に出られない。

 

「わたしはむしろ穂波ほなみさんの方が……」


「むぅ……」


 未亜みあが心配しているのは月菜るなの方だった。

 僕を応援するとか言っていたけど、結果的に月菜るなはフラれた側になる。

 未亜みあからすれば月菜るなの方が気になるのは当然だと思う。


「告白したのは僕なんだしさ、未亜みあが気に病む必要はないよ。未亜みあの優しさは月菜るなにも伝わると思う」


「そう……ですか」


 確証はないただの気休めだけど、未亜みあに対してはこう言うしかない。

 それに月菜るなが言うには、僕と未亜みあが付き合ったあとに別れさせるのが本当の作戦みたいだし、本当にめちゃくちゃな妹ポジだ。

 気に掛けるだけ無駄というものだろう。


「なんだか隠すのもモヤモヤするから文芸部のみんなには報告しようと思うんだけど、いいかな?」


「はい。……でも、学校の中では優兎ゆうと先輩です」


「うんうん。呼び捨ては楽しみに取っておくよ」


 あれから誰ともすれ違うことなく部室棟に辿り着き、僕と未亜みあは二人並んで文芸部の部室へと向かう。

 途中何度も手と手がぶつかって、誰も居ないから指を絡ませたくなった。

 でも、お互いにそれをしない。そんなじれったい空気も僕達らしくて妙に楽しかった。

《ルビを入力…》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る