第36話

 体育館から出ても中の喧騒が聞こえてくる。

 生徒会の人もあれを押さえるのはなかなか骨が折れるらしい。

 さすがにちょっと申し訳ない気持ちになった。


 午後の授業が部活説明会に充てられていたので外はもう夕方に入りかけている。


 早い段階で出番を終えた野球部やサッカー部はすでに校庭で練習を始めていた。

 反対に体育館を遣いたいバスケ部なんかは中の異様な盛り上がりが気になるようで様々な憶測が飛び交っている。


 その当事者がまさか文芸部は思うまい。

 だけど心の中で絡まれたくないという心理が働いて自然と早歩きになった。


「ごめん。ちょっと早かったね」


「大丈夫……です」


 僕らは特に目的地を設定せず、ひとまず校舎を目指して歩く。。

 部活説明会は部長と代表者しか入れないので三枝さえぐさ班目まだらめさんは部室で待機しているはずだ。

 他の部もそれは同様なので意外と二人きりになれる場所を学内で探すのは難しい。


優兎ゆうと先輩」


「は、はひ!」


 優しく小さな声で名前を呼ばれただけなのに心臓が口から飛び出すくらい驚いてしまった。

 未亜みあと二人きりで話すというのは、つまりそういうことだと思う。

 まさか後輩の女の子の方からこのシチュエーションに持ち込まれてしまうなんて……嬉しいやら情けないなら複雑な心境だ。

 

「さっきはありがとうでした。朗読の流れが変わっちゃって、わたしどうすればいいかわからなくて」


「あれは完全に月菜るなが悪い。未亜みあと僕はやれることは全部やったよ」


 客席側に居るはずの月菜るなが乱入しなければ丸く収まっていたはずなのに、あいつが問題を大きくした。

 かなり強引な幕引きだったけど興味を持ってくれた新入生がいることを願いばかりだ。

 

「そうじゃなくて、わたしが途中で読めなくなっちゃって」


「…………」


 どう声を掛けるのが正解が分からず口をつぐんでしまう。

 もちろん未亜みあを責める気はない。だけど、あれだけ練習をしたのに失敗をして、それを慰められても傷は癒えないだろう。

 

「緊張で朗読できなくなって、優兎ゆうと先輩が助けてくれて、すごく嬉しかったです。文芸部のみんなに迷惑を掛けたのに、嬉しい気持ちが勝ったです」


「……あんなに大勢の前で朗読なんて緊張するさ。僕だって自分の行動が正解か分からないし」


三枝さえぐさくんや班目まだらめさんに見られていたら大変でした」


 彼女はクスっと笑う。


「アドリブのセリフだって分かってるのに、特別な存在だって言ってもらえて嬉しかったです」


「あれはアドリブだけどアドリブじゃないっていうか……」


 鼓動が早くなるのが自分でもわかる。

 時折すれ違う人はチラチラと僕らを見て去っていく。

 それがまた気恥ずかしさを助長させていた。


「えーっと」


 半分告白みたいな言葉になってしまったことに気付いて話題を変えようと頭を回転させようと試みる。

 すでにオーバーヒート気味の脳みそは何も解決策を見い出せずお互いに無言で歩き続けた。


 廊下に差し込むオレンジ色の光がとても眩しい。


「あの、優兎ゆうと先輩」


 あてもなく校舎をぶらぶらと歩く沈黙の時間を打ち破ったのは未亜みあだった。


優兎ゆうと先輩なら、あの小説の続き。穂波さんが乱入したパターンの続きをどう書きますか?」


「それは……」


 心の中で迷わず未亜みあがモデルになっている主人公を選んだ。

 あくまで小説の中の話なのに、それがイコール告白になってしまうような気がして言葉にする勇気が出ない。

 だから僕はまたはぐらかすような答えを返してしまう。


「結末は決まってるんだけど、その過程が難しいかな」


「で、ですよね。急に言われても困るですよね」


未亜みあが謝ることじゃないよ。僕の発想力とか構成力が弱いだけだから」


 お互いに恐縮し合ってしまいせっかくの会話はここで終わってしまった。

 一年生はまだ体育館に居るだろうし、二、三年生は部活に勤しんでいる。

 ほとんど貸し切りみたいな雰囲気の校舎内を二人で歩くのは心地良かった。


「わたしだったら……」


 未亜みあはおもむろにスマホを取り出し歩きながら文字を入力し始める。


「危ないからどこかに座ろうか」


「あ、はい」


 僕が提案すると未亜みあはすぐにスマホをしまった。

 月菜るなだったら気にせずそのまま文字を打ち続けるだろうし、持ち前の運動能力で危険も回避してしまうだろう。

 

 二人の性格に違いを想って自然と口元が緩んだ。


「そうだ。未亜みあの教室なんてどうかな。一年生はもうしばらく体育館に居るはずだから誰も来ないと思う」


「いいんでしょうか?」


「他の教室だと気が引けるけど、未亜みあのところなら平気かなって」


「……そう、ですね」


 未亜みあは眉をひそめて数秒考えたのち承諾してくれた。 


 カメみたいなタイプなら自分が使う以外の教室にも平然と入っていけるんだろうけど、僕や未亜みあみたいなタイプはどうにも遠慮してしまう。

 それも未亜みあ以外に知ってる人がいない一年生の教室だ。未亜みあが悩んでしまうのも無理はない。


 幸いにもちょうど一年生の教室が並ぶエリアに来ていた。

 どこの教室にもたいていは残って友達と喋ってる人が居るものなので、誰も居ない風景はとても新鮮だ。


「おじゃまします」


 誰も居ないと分かっていても何となく一声掛けてしまうあたりに自分の心の小ささを感じた。


「お、おじゃまします」


 それに続いて未亜みあも挨拶をしてから教室に足を踏み入れる。


未亜みあの小説じゃないけど、他の教室ってすごく別世界な感じがするよね」


「ですです。あの主人公はすっごく緊張してたです」


「あはは。ここはどっちの教室でもないから二人とも緊張しっぱなしだ」


「なんだか、ちょっと恥ずかしくなってきたです」


 夕陽が差し込む教室はまさに朗読したシチュエーションそのもので、練習や失敗、トラブルも含めていろいろなことを脳が勝手に思い出す。

 こんなにドキドキする中であんなやりとりをした登場人物達は心が強い。


 だけど僕は未亜みあの頭を撫でるためにこの教室に入ったわけじゃない。

 未亜みあに落ち着いて文字入力をしてもらうためにここに来たのに新たな問題が発生した。


「なんとなく知らない人の椅子に座るのって申し訳ない感じがするよね」


「わかります」


 教室に入ることすら躊躇ためらう人種が勝手に椅子を使うなんてできるはずがない。

 二人きりになれることを優先したせいで自分達の性格を考慮することがすっかり抜け落ちていた。


「で、でも、ここなら歩きスマホにならないです:


 未亜みあはもじもじとスマホを取り出し画面を注視しだす。

 僕はその様子を見守る。

 去年、文化祭に向けて小説を書いていた時に見せてくれた真剣な表情を思い出した。


 頭を悩ませながら二人で少しずつ完成に近付いていく日々は本当に充実していたし、未亜みあに対する想いが募っていった。 

 僕が物語の主人公ならこのタイミングで告白するのだろか。

 ふとそんな思考が脳裏をよぎり、頭の中で小説の続きを考える。 


 物語なら都合よく告白を受け入れてもらえたり、あえて失恋させることで二人の恋を燃え上がらせたりするのは作者の自由だ。

 脳内で描いたものが実現するという確信を得られる。


 僕には作者のように、あるいは登場人物のように確信を得られないので勇気を出せない。

 ほとほと自分が情けなくる。


「あの、優兎ゆうと先輩」


「ん?」


「できた……です。小説の続き。穂波さんがあの乱入した世界の続きが」


 彼女はギュッと両手でスマホを握りしめて僕を見つめた。

 この小さな手の中に未亜みあの思い描いた世界が存在している。

 

「読ませてもらってもいいかな?」


 僕の問い掛けに未亜みあは小さく頷き、スマホをそっと差し出した。

 経験はないけど、まるでラブレターを受け取るような心境だ。


 この中に彼女の気持ちが詰まっている。そう考えるだけで鼓動は自然と早くなった。

 

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