第34話
あれだけ真剣に
きっとトイレにでも立ったのだろう。
今は
かなり強引な展開になってしまったけど、まだどうにか台本通りに終わらせることができるはずだ。
僕が
ふるふると震える女の子に上目遣いで言われたら
このセリフの破壊力と頭ナデナデさえ達成すれば文芸部に興味を持ってくれる人も多少現れるに違いない。
信じてるぞ
そんな念を視線で送ると彼女はそれに応えるように息を大きく吸った。
「『お兄ちゃん。妹の頭をナデナデしたくありませんか?』」
耳の奥をくすぐるような優しい声がマイクを通じて体育館全体に広がっていく。
緊張で震えているからこそ出せたいじらしい雰囲気がシチュエーションとの相乗効果を生み出した。
その男子生徒の中には舞台に立つ僕も含まれていて、まだまだ段取りは残されているのにあまりに心地の良い声に全てを投げ出してしまいたくなった。
だけどそうはいかない。
「よくやった」
思わず
マイクは口元に近付けていないので誰にも聞こえていない。
僕は再び
本来ならここで僕のセリフが入って、少しやりとりをしたあとに
でも、すでにアドリブで主人公である後輩を特別な存在であると認めてしまっている。
新入生達に与えられてる小説の情報は少ない。
二人きりになった教室で良い雰囲気になり、先輩の方から告白みたいなセリフを言った。
新入生達はおそらくこんな内容だと思っているはずだ。
奇しくも僕自身の気持ちと小説を足して割ったような展開になっていた。
文芸部の
それに会場は変な盛り上がり方をしている。細かいことを気にする人は少ないだろう。
あとは妹に恋をしてしまった兄として頭を撫でて、段取り通り文芸部の説明を改めてすれば無事に終了。
本とマイクを左手に持ち、フリーになった右手をゆっくりと挙げる。
「もう平気だから」
彼女の目から涙が溢れる。
ここでマイクを通して気の利いたセリフでも言えれば完璧だったんだけど、残念ながら僕にそこまでのアドリブ能力はない。
小説の主人公ではなく、僕が恋する後輩に向けた言葉しか出てこなかった。
前列に座る生徒には涙が見えたらしく、演技力の高さに驚いたような表情を浮かべている。
トラブルがあったものの結果的にストーリーと噛み合って演劇部のような情緒溢れるお芝居のような朗読になった。
ゴールが目前に見えた安心感からかさっきまで冷たくなっていた指先に熱が戻る。
できれば暖かな手で彼女の頭を撫でてあげたかったのでちょうど良いタイミングだ。
「……え?」
それに気付いて彼女の頭に向かって動いていた右手も止まった。
「ちょっと待った!!!」
十年以上も毎日聞いていれば姿が見えなくとも誰かわかる。
会場はざわめき、全ての視線をかっさらっている。
自分達と同じ赤い色のリボンを付けた生徒。
本来は舞台に立つはずのない学年の者がそこに居れば注目の的になるのは間違いない。
「ルナにはアドリブするなって言っておいて、ゆうお兄ちゃんはアドリブばっかりじゃん!」
一人称が子供の頃からルナなので話すだけで自己紹介が完了する便利な妹ポジ。
それは本人の問題だからまあ良いとして、こんな所でもゆうお兄ちゃん呼びは勘弁してほしい。
トイレに行ったという希望的観測は見事に外れてしまった。
正直、後ろを振り返りたくない。
目の前にいる後輩にアイコンタクトを送ると、困ったように視線を逸らされてしまった。
そうだよね、どうすればいいか分からないよね。
兄ポジの僕だって
もしかしたらこの部活説明会の中で一番のピンチを迎えているのかもしれない。
振り返ったら誰が居るかなんて答えは分かり切っている。
ただ万が一、僕や
そのわずかな可能性に賭けて勢いよく後ろに振り返った。
、
そんな勝率の低いギャンブルに勝てるはずもなく、妹ポジで文芸部の新入部員でもある
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。