第33話

 会場の雰囲気も少し温まったところで未亜みあに視線を送る。

 顔色はあまり良くないけど僕の視線に気付いて会釈する程度には回復したようだ。


 未亜みあを信じて僕は進行を続ける。


「それではこれより朗読を始めます。演劇部ではないので拙いところもあると思います。よろしくお願いします」


 一礼して椅子に腰掛け未亜みあの方を見る。

 小さなで手でマイクを力強く握りしめ肩で呼吸をしていた。

 

 あとは未亜みあの番からスタートすれば止まることはできない。

 今日を想定して可能な限り椅子を離して練習をしてきたけど、やっぱり舞台の上だと感覚が全然違う。

 物理的な距離はそう変わらないはずなのに倍以上の距離を感じていた。


 未亜みあが付箋を頼りに該当ページを開くと大きく深呼吸をする。

 いよいよだ。第一声を発すればきっと小説の世界に入り込んでうまくいくはず。

 自然と僕もマイクを握る手に力がこもる。


「“構造は同じはずのに全然違って見える教室”」


 小鳥のさえずりのような可愛らしい声が体育館に響き渡る。

 練習の時より声量は抑えめだけどマイクのおかげでカバーできていた。

 

 ここまで読み上げて一旦深呼吸。この先の文章を知っているとテンポが悪いように感じなくもない。 

 でも、会場にいる新入生達は一人を除いて小説の内容を全く知らない。

 自分のペースで着実に読めばそれでいいんだ。


「”ここは先輩が普段授業を受けている教室だ。今、この場には私と先輩しかいないのに妙な緊張感に襲われていた”」


 緊張からは今度は少し早口気味になってしまう。

 でもいいんだ。最初に言った通り僕らは演劇部じゃない。


「『夕陽が差し込む教室ってなんだかドキドキしませんか?』」


「わか……『わかる。それも二人きりだしな』」


 心配なのはむしろ僕自身の方だった。

 さっきまで部活紹介で声を出していたくせに自分のセリフで声が上ずってしまう。

 会場からクスクスと聞こえる笑い声が余計にプレッシャーとして襲い掛かってくる。


 この嘲笑は僕に対して向けられているものなのに、未亜みあにも少なからず影響を与えてしまっていた。 


「ぐす……ん゛っ! “ここで会話は終わってしまう”」


 必死に堪えているものの明らかに泣いている。

 涙を流さないように耐えてはいるけど声でわかってしまう。

 それでも彼女は朗読を続ける。


「“でも、不思議と居心地は悪くない。無言だけど気持ちが通じ合っているような”」


 そんな未亜みあの様子を新入生達は怪訝な表情で見つめていた。

 明らかにここは泣くシーンではない。

 先の展開はわからなくても今の状況はこの朗読が全てだ。

 

 だから未亜みあの鼻声は明らかなイレギュラーだと伝わってしまっている。


「“私の勝手な思い込みかもしれないけど” ……ごほん。”この瞬間の積み重ねがとにかく愛おしい”」


 どうにか地の文を読み終えた未亜みあ

 だけど彼女の担当はまだ終わりではない。

 やっぱり地の文は僕が読みべきだったと後悔しても今更遅い。


 僕はただ未亜みあがセリフを読むのを信じて待つ。 


「『ねえ先輩。私が後輩の中で特別になるには、どうすればいいですか』」


 緊張で声が震えている。

 でも、それがかえって先輩に想いを寄せる後輩が勇気を振り絞ったような雰囲気を出していた。

 会場の雰囲気も一気に小説の世界へと戻った気がする。


「頑張れ」


 マイクを離してつぶやく。

 この後は少し長めの地の文だ。

 未亜みあの朗読に合わせて僕は天井を見るつもりだったけど、僕はもう未亜みあから目を離すことができない。


 今は目の前で必死に頑張る後輩の姿を目に入れておきたかった。


 未亜みあの口からなかなか次の言葉が出てこない。

 回復したと思った顔色も再び青白くなっていく。


 このまま未亜みあを信じて待つか、このまま僕がアナウンスして中断させるか、限られた持ち時間も刻一刻と減っていく中で判断しなければならない。


 舞台袖に目を移すと生徒会の人達はバケツの煙を見守っていて舞台上の未亜みあの様子には気付いていないようだ。

 さくらさんもいつの間にか姿が見えないし、完全に僕に委ねられてしまっている。


「よし」


 僕は自分を鼓舞するように声を出した。

 スッと椅子から立ち上がりゆっくりと未亜みあの元へ歩いていく。


 新入生達はこういう展開だと思ったらしくざわついていた。

 朗読するのがオリジナル小説なのがここで活きている。

 先の展開を知らなければ何があっても正しいストーリーなんだ。


 肩で息をする未亜みあが近付く僕をボーっと見つめる。

 彼女からすれば完全なアドリブなんだから状況が飲み込めなくて当然だ。


 僕は片膝を付いて未亜みあをじっと見つめて、震える彼女の手の上に自分の手を重ねた。

 すでにセリフは頭の中で考えてある。

 アドリブというより、本音。


 だから言葉の選択に迷いはなかった。

 あとはこれを発する勇気があるかないか。

 ここに来て変な間があれば違和感のあるストーリーになってしまう。


 一年間ずっと言えなかった言葉をこんな形で伝えることになるなんて夢にも思ってみなかった。


「僕の中ではもう特別だよ」


 会場からは黄色い悲鳴やら雄たけびやらとにかくいろいろな声が聞こえてきた。

 陰キャによる地味な朗読が意外とセンシティブな展開になって盛り上がっているようだ。

 最後に頭を撫でるのも似たような効果を狙ったものだし良しとしよう。


未亜みあ、ここから続けられそう?」


 本の一文を指差して、マイクに声が乗らないように耳元でささやく。

 これがまた新入生達に好評だったようで、二度目のざわめきが爆発する。


 練習とは全然違う展開に突入して混乱している後輩は黙って頷いた。

 涙はもう引いているし呼吸も落ち着いている。

 さっきまで青白かった顔もすっかり血行が良くなっているようだ。


「ここさえ読んでもらえば、あとは僕がどうにかする。未亜みあと一緒に朗読をやり遂げるから」


 未亜みあは力強く首を縦に振った。

 彼女ならきっとできる。言葉はなくてもそう確信するには十分過ぎる返事だ。


 僕は立ち上がると数歩下がって未亜みあとの距離を取る。

 至近距離だとお互いのマイクで声を拾ってしまうかもしれないからだ。


 だいぶ形は変わってしまったけどあと少しで未亜みあと一緒に成し遂げられる。

 そう思った時に月菜るなのことが脳裏をよぎり、一瞬だけ後ろを振り返った。


 1年1組の最前列。

 最もわかりやすい位置に座っていた妹ポジが姿を消していた。

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