第31話

 オーディションから数日間、僕と未亜みあは朗読の練習を重ねた。

 文量は多くないので繰り返すうちに暗唱できるレベルになり、口もだんだんと文に慣れて噛む回数も減っている。

 

 未亜みあもだんだんと声を出すコツを掴んで当初に比べたらだいぶ声量も上がった。


 そして迎えた部活説明会当日。

 今、僕らは舞台袖で待機している。


「いよいよだね」


「はい」


 舞台上では化学部が何やら実験を披露している。

 フラスコから煙がもくもくと上がっていて若干不安を抱えながら見守っていると、未亜みあが僕の制服の裾を掴んだ。


「緊張してる?」


 僕が問いかけると彼女は小さく頷いた。

 

「だよね。僕も」


 クラスでも日陰者の部類に入る僕が舞台の上で朗読なんて緊張するに決まっている。

 いくら練習をしてもこればっかりはどうにもならない。


「うわあ。あれ大丈夫かな」


 生徒会の人が心配そうに舞台を見つめていた。

 化学部員の表情にも焦りの色が見える。

 緊張してるんじゃなくて実験が失敗してるわけじゃないよね……。


「すみません。もしかしたら出番が少し遅くなるかもしれません」


「あ、はい。わかりました。あれ大丈夫なんですかね」


「聞いていた話だと液体の色が変わるそうなんですけど煙は……」


「あぁ……」


 説明会の内容は生徒会に事前に申告するようになっている。

 申告したものと実際の内容があまりにも違えば部費が削られるのでどの部も基本的にはルールを守る。

 それでもやっぱりこういうトラブルは付き物らしく生徒会の人は肩を落としていた。


「僕らは椅子とこの本、あとはマイクが使えれば問題ないので」


「そう言っていただけると助かります。あの煙、有害じゃないよな」


「化学部の人が逃げ出してないからたぶん平気なんじゃないですかね」


「部費をアップしたらあれの片付けを手伝ってもらえたりします?」


「文芸部はそんなにお金を必要としていないもので」


「そうですか……」


 メガネの奥で潤んだ瞳から何かが零れ落ちそうだ。

 だけど、しがない文芸部員の僕にはどうすることもできない。


「でもぉ、部費はあるに越したことはないわ」


「うわぁ!」


「ひどいわね。応援に来てあげたのに」

 

 反射的に大声を上げたせいで会場もざわついているようだ。

 今は舞台上の煙に意識を集中してほしい。


「応援、ありがと……です」


 未亜みあ美桜みさくらさんの気配を察知していたのかあまり驚いた様子はない。

 来てくれたことに対するお礼まで述べるくらいの余裕すら見せている。


「まあお金があって困ることはないだろうけどさ」


「うふふ。部費があったら合宿なんかもできちゃうわよ。椿さんを海に連れ出す口実としてうってつけじゃないかしら?」


「んな!?」


 突然飛び出した水着というワードにまたしても声を上げてしまう。

 未亜みあもそれには驚いたみたいで顔を赤くして縮こまってしまった。


「文芸部の合宿って何するの? 海まで行って読書とか?」


「私達は文化祭に向けてみんな一冊ずつ小説を書くでしょう? その取材旅行なんてどうかしら」


「なんかそれっぽく聞こえるけど観光ってわけね」


「観光じゃないわ。取材よ。しゅ・ざ・い」


 にこにこと圧力の強い笑顔でそう言い切られてしまったら納得するしかない。

 それに月菜の手助けだと裏がありそうで不安だけど、美桜みさくらさんが海に後押ししてくれるなら乗っかりたい。


優兎ゆうと先輩、気を付けてです」


「あ……未亜みあの中ではもう僕が手伝うことになってるんだ?」


 未亜みあは僕から視線を逸らすとコクコクと首を縦に振った。

 つまり、みんなで海に行って水着姿を見せてくれるということでいいんだね?

 

「どうする持田くん」


「わかったわかった。合宿のために頑張るよ。せっかくだからカメも誘いたいし」


「な、なんで亀井くんの名前が出てくるのかしら?」


「カメだって一応文芸部だし」


「あ! わかったわ。幽霊部員だから肝試しのお化け役にするのね。いいアイデアだわ」


「それは良いかも。でも、普通に部員として参加してもらおうよ。僕らは最後なんだしさ」


 基本的に余裕の笑みを浮かべ続ける美桜みさくらさんの眉が下がる。

 僕が言える立場じゃないけど美桜みさくらさんとカメもそろそろ進展があって方がいい。

 さすがに高校卒業後の進路まで一緒ということはないだろうし、友人としてどうにしかしてあげたい。


「と、言うわけで化学部ではこんな実験をしています。失敗は成功の母でーす」


 上ずった声で堂々と失敗なんて言うものだから会場、特に前列がどよめいている。

 

「ああ、やっぱり失敗だったみたいです。とりあえず片付けましょう。バケツと雑巾をお願いします」


「手伝うのは決定してるんすね」


 言われるがまま舞台袖に置いてあったバケツを手に取る。

 謎の化学物質に対する策がこれで大丈夫なの?


優兎ゆうと先輩……」


 未亜みあに名前を呼ばれて振り返り、見つめ合うこと数秒。

 まるで死亡フラグみたいなシチュエーションに胃がキュッと締め付けられた。


「わたしも手伝います」


「平気平気。危ないから未亜みあはここで待ってて」


「いいんじゃないかしら。一度舞台に出れば朗読の時の緊張が少しは解れるかもしれないわ」


「文芸部さんとにかく行きましょう。煙が止まりません」


「あ、はい!」


 生徒会の人に促されるまま僕と未亜みあはバケツと雑巾を持って舞台に出た。

 たくさんの生徒が舞台上に注目している。

 煙に意識が向いていた新入生達も突如袖から現れた上級生に興味を引かれたようで視線が痛い。


「化学部さん。ひとまず危なそうなものはこれに入れてください」


 生徒会の人が僕の持ってるバケツを指差した。

 え? 謎の危険物をこれに入れるの?


「助かります。なんか想定と違う結果になってしまって」


「まあ悪気があったわけではないと思うので部費削減はないと思います……が、原因の究明はお願いします」


 だいぶ時間が経過しているのに煙の勢いは衰える様子がない。

 突然爆発しないだろうな……。


「これで朗読できますね」


「……そうだね。うん。途中で中止にならなくてよかった」


 後輩が一生懸命練習したんだ。

 それを披露する機会を守れたんだから良しとしよう。

 生徒会の人がほとんど何もしてないとしても部費が増えるのならありがたいことだ。


「文芸部さん、このまま部の説明に入っても大丈夫ですよ」


「一度仕切り直しさせてくれ」


 危険物を脇に置いたまま朗読なんてできるか。

 こいつ、舞台袖にこのフラスコ入りバケツを置くのが嫌なだけだろう。


 もし部費が増えてなかったら抗議してやる……美桜みさくらさんが。僕にはそんな度胸と交渉術はない。

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