第29話

 未亜みあの頭から手を離すと部室の中は沈黙に包まれた。

 もうすでに僕らが読むべきページは終わったし、しっかりと後輩の頭も撫でた。

 自分達から終わりを宣言するのもおかしな気がして美桜みさくらさんあたりのリアクションを待つ。


 目の前にいる未亜みあと見つめ合うのはなんだか恥ずかしくて、だからといって他の誰かの顔を見るのもピンと来ないで視線が泳ぐ。

 手持ち無沙汰にしているとようやくこの沈黙が破られた。


 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 美桜みさくらさんを皮切りに三枝さえぐさ班目まだらめさんも拍手を送ってくれた。

 月菜るなは渋々といった様子で手の動きが緩慢だ。


「うふふ。素晴らしい朗読だったわ。聞いてるこっちまでドキドキしちゃった」


 オーディションを見守っていた時と同じ笑顔でお褒めの言葉を頂き少し照れ臭い。


「なんていうか、エロかったっす。って、いてて!」


「言葉を選びなさいよ!」


 突然エロいと言い出した三枝さえぐさ班目まだらめさんに耳をつねられる。本当にいいコンビだ。

 未亜みあ未亜みあ三枝さえぐさのエロ発言でうつむいてしまった。


三枝さえぐさくんの言うこともわかるわ。内容は全年齢対象のはずなのに椿さんが妙に色っぽいのよねぇ」


「それわかります。背とか私より小さいのにすごく大人っぽく見えたっていうか、大人の階段を何段か登ったみたいな」


「あらあら。何があったのかしらね~」


 美桜みさくらさんはマイペースに笑いながら興味津々な目で未亜みあを見つめる。

 その視線がいたたまれないのか未亜みあはさらに体を縮こませた。

 

「そんなことよりさ、オーディションしてみてどうだった? 未亜みあ月菜るな、どっちが本番で朗読する?」


 強引に話題を本来の流れに戻す。

 なんでこんな恥ずかしい思いをしてまで部員の前で朗読して後輩の頭を撫でたのかと言えば、部活説明会でどちらが朗読するかを決めるためだ。

 断じていちゃいちゃを見せつけるためじゃない。


「う~ん。実を言うとかなり迷ってるのよ」


 右手で頬を押さえながらため息を吐く美桜みさくらさん。

 こうなった時の美桜みさくらさんは本当に悩んでいる時だ。

 

「二人はどう?」


 美桜みさくらさんは三枝さえぐさ班目まだらめさんに意見を求めた。


「難しいっすね。穂波さんは声がよく通ってたし、椿さんはエロかったし。いだっ!」


「だから言葉を選びなさいっての。椿さんは引っ込み思案の後輩が勇気を振り絞る感じが伝わってきてこっちまでドキドキしました」


「そうなのよねぇ。二人とも持田もちだくんを好きな気持ちが伝わってきたし、朗読の方向性が反対で甲乙つけがたいのよ」


「待って! 僕を好きなんじゃなくて小説の中の先輩ね!」


「あらあらごめんなさい。でも、あながち間違いじゃないんでしょう?」


 美桜みさくらさんが視線を送ったのは未亜みあだった。

 それに対して未亜みあは否定も肯定もせず、もじもじしたまま体を小さく丸めている。

 僕が近くにいたら背中に隠れてしまいそうなくらいだ。


「部長! ルナから提案があります」


 未亜みあとの朗読が終わったあと沈黙を貫いていた月菜るなが突然声を上げた。

 しかも提案があるときたもんだ。どうせろくなものじゃない。


「先輩方が迷っちゃうのもよーくわかります。未亜みあ先輩の朗読もすごく素敵だったので。それなら、ゆうお兄ちゃんに選んでもらえばいいんですよ。より本番でやりやすい方、良い朗読ができる方を選んでもらうのが1番だと思うんです」


「あのな。それじゃあオーディションの意味が……」


「そう? ルナも未亜みあ先輩も全力を尽くして、その結果をゆうお兄ちゃんが判定しくれたらルナは悔いはないよ。未亜みあ先輩はどうですかぁ?」


「えと……わ、わたしは」


 月菜るなが挑発するように未亜みあに話を振るとさらに委縮してしまった。

 さすがに見ていられないので僕は未亜みあを隠すように移動する。


「それじゃあこんなのはどうかな。僕もみんなと同じ一票を投じる。4人だから半々に分かれるかもしれないけど、そうなったらその時に考えよう」


 代表の選出方法について折衷せっちゅうあんを提案してみた。

 僕の一存で決まるのは遺恨を残しそうだし、客観的な意見を取り入れることも本来の目的である部活説明会には重要だ。

 あまり神妙にならず、冷や汗をかきながらも笑顔で話したみたけど反応はどうなるだろうか。


「俺は賛成っす……けど、それはそれで迷いますね」


「そうねぇ。私達も自分でどちらかを選ばないといけないもの」


「まあでも、持田もちだ先輩が言われたら従うしかないって感じもあります」


 投票形式には賛成してくれるようで内心ホッとした。

 この場の雰囲気で僕が選ぶのを強いられたらどうしようかと若干の不安はあったが、どうにかうまい具合に舵を切れたらしい。


「むぅ……4(よん)-0(ぜろ)で負けたらルナのこと慰めてくれる?」


「まだ負けると決まったわけじゃないだろ」


「だってぇ、ゆうお兄ちゃんは絶対に未亜みあ先輩に投票するか不利だもん」


「そ、それは……」


 後ろに隠れる未亜みあにちらりと視線を移すと少し照れた様子でうつむいている。

 今の未亜みあに助けを求めるのはやっぱり難しそうだ。


「それにもしルナが多数決で選ばれても、ゆうお兄ちゃんに選ばれなかったらやっぱり負けたって思うし」


「…………」


 月菜るなは不貞腐れみたいにハアッと大きなため息を吐いた。

 多数決になりかけていた部室の空気も少しずつ揺らぎはめているのを感じる。


「よし! 決めたわ。多数決にしましょう。私が責任を持って決を採るからみんな目をつむって」


「えー! それじゃあ不正があるかもしれないじゃないですか」


美桜みさくらさんはそんなことしないよ。紙に書いても月菜るなは僕の字を見抜くし、これが一番いい」


「……ゆうお兄ちゃんがそう言うなら」


 月菜るなはぶつぶつ文句を言いつつも大人しく瞳を閉じた。

 三枝さえぐさ班目まだらめさん、そして未亜みあもすでに指示に従っている。


「それじゃあ頼むよ部長」


「ええ、任せて」


 美桜みさくらさんは絶対に不正や誤魔化しをしない。

 そういう信頼の元で行われる多数決。

 月菜るな以外がおとなしく指示に従ったのは美桜みさくらさんを、部長を信頼しているからだ。


 だから僕も安心して瞼を下す。

 心の中でどちらを選ぶかはすでに決まっている。

 あとはみんなの判断だ。


「まずは穂波さんが部活説明会に出た方がいいと思う人、手を挙げてください」


 美桜みさくらさんの声以外の音が消えた部室の中でかさかさと布が擦れるような音がする。

 手を挙げたのかもしれないし、ほんの少し体が動いた結果生じたのかもしれない。

 視覚からの情報が遮られて聴覚が敏感になっているせいで、とにかく音から得られる情報に敏感になっていた。


「次に椿さんが出た方がいいと思う人、手を挙げてください」


 できるだけ音が出ないようにゆっくりと手を挙げる。

 今回のオーディションで僕が未亜みあにしてあげられる最後の一手。

 僕が未亜みあを応援しただけでなく、僕も未亜みあから応援してもらった。

 

 それをちゃんと結果として残したい。そんな想いを込めて僕は腕を突き上げた。

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