第25話

 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 部室の中に拍手の音が響き渡る。

 ねぎらいの意味と、月菜るなに対する称賛の意味だろう。

 不甲斐ない自分にはこの拍手が攻撃のように聞こえてしまい胃が締め付けられる。


「お疲れさまぁ。穂波ほなみさんとっても可愛かったわ」


「えへへ。ありがとうございます」


 美桜みさくらさんに褒められて月菜るなの頬が溶けたマシュマロのように緩む。

 

「新入生が部活説明会に出るって言い出した時はどうなるかと思ったけどやるじゃん」


三枝さえぐさなんかより優秀な部員ね」


「おいおい! 俺には去年小説を書き上げた実績があるんだからな」


「それは私もなんですけど」


 三枝さえぐさ班目まだらめさんは僕に気を遣ってか、まるでここに持田もちだ優兎ゆうとという人間がいないかのように振る舞っている。

 この場の主役は間違いなく月菜るなだった。

 

 月菜るなの隣に居るのがいたたまれなくなり、音を立てずにするすると離れる。


優兎ゆうと先輩……」

 

 未亜みあにブレザーの裾を引っ張られた。

 彼女の瞳から不安が伝わってくる。


「あはは。僕の方が緊張してたみたい。未亜みあの時はもう少しうまくやるから」


 思いを寄せる後輩の前では頼れる先輩でいたい。

 そんな虚勢心きょせいしんからペラペラな言い訳が口から漏れ出た。


「…………」


 未亜みあは無言で僕を引っ張る。


「あの、ちょっと休憩してきていいですか?」


 月菜るなを中心にわいわいと盛り上がる美桜みさくらさん達に声を掛けた。

 未亜みあにとってはとても勇気のいる行為なんだと思う。

 裾を掴む手にさらに力が込められていた。


「え? ええ、もちろん。特に持田もちだくんは疲れたでしょうから10分くらい休憩にしましょうか」


「ありがとうです」


 未亜みあは僕の裾を掴んだままドアに向かって小走りした。

 必然的に一緒に部室から出ていくことになる。


「お、おい」


 僕の制止も聞かずに未亜みあは無言で歩みを進める。

 

「ゆうお兄ちゃん……」


「ねえ穂波ほなみさん。穂波ほなみさんならこの小説の続きどうする?」


「え? えっと……」


 僕の手を掴もうとした月菜るなの間に美桜みさくらさんが割って入った。


 文芸部の本来の活動内容は朗読ではない。

 他の新入部員と同じように小説の続きを考えるのは当然だ。

 

 僕と一緒にいたいという理由だけ入部するのは大変だと思う。

 そういう意味でも美桜みさくらさんのアシストには感謝だ。


「突然ごめんなさいです」


「ううん。僕も気分転換したかったし」


 早歩きで少しずつ部室から遠ざかりながら未亜みあが謝罪する。

 未亜みあが謝ることなんて何もない。むしろ僕が感謝しないといけないくらいだ。


 すたすたと未亜みあは部室棟を歩く。

 どこに向かっているのか全く見当が付かない。


「なあ未亜みあ。どこに行く気なんだ?」


 休憩時間はまだ残っていると思うけど、あまり悠長なこともしていられない。

 しびれを切らしてストレートに問いかけた。


「どこ……なんでしょう。どこも人がいて……」


 未亜みあはキョロキョロと辺りを見回す。

 さすがにどの部も活動中で、誰もいないかと思ったら部室から人が出てくるみたいなことを繰り返していた。


優兎ゆうと先輩!」


「は、はひ!」


 廊下の行き止まりに辿り着くと、未亜みあはくるりと僕の方に振り返りサイドテールが弧を描いた。

 僕の好みに合わせて思い切ってイメージチェンジしてくれた髪からふわっと優しい香りが漂う。


 化学部の部室の前だけど、中から人の気配は感じない。

 運動部と同じで部室は荷物置き場になっていて、実際の活動場所は別の場所というパターンなんだと思う。


「ちょっとだけ誰かに見られても、平気ですか?」


「ん? うん。たぶん」


 ちらりと後ろを見ると何人か歩いている生徒が目に入った。

 この人達に一体何を見られるというのだろう。

 未亜みあと二人でいるところはよく目撃されていると思うし、今更気にすることじゃない。

 それに僕らに注目する様子も感じられなかった。 


優兎ゆうと先輩に勇気をもらったから、今度は……わたしが」


 そう言って未亜みあはグッと背伸びをした。

 同時に、彼女の細い腕が僕の頭へと伸びていく。


「頭を撫でてもらうのって、すごく安心するです」


 真っ赤になった後輩の顔を見つめながら、僕はなすがままに頭を撫でられている。

 体勢としてはかなりアンバランスなのにとても心が落ち着く。

 

 もしかしたら『部室棟でキスしてるやつがいた』なんて噂が明日には広まるかもしれない。

 実際はキスではないし、僕らは月菜るなみたいに目立つタイプじゃないから特定はされないだろう。


 でも、そんなデマでも未亜みあとなら広まってもいいかな。

 そんな風に思えるくらい心が満たされ穏やかになっていく。


「あ! でも、誰でもいいわけじゃなくて。その……」


「うん。ありがと」


 お礼という訳ではないけど、僕も未亜みあの髪を優しく撫で下ろす。

 とても恥ずかしいことをして心臓だってバクバクと音を立てているはずなのに、不思議と冷静な自分がいた。


未亜みあ、がんばろうな」


「はい!」


 部室棟の端に夕陽は差し込んでいないけど、小説の世界以上に僕らの心は通じ合ったと思う。

 本の読み合わせ以上の経験を積んだ未亜みあと僕ならきっとうまくいく。

 そんな確信を持って、二人並んで部室へと戻った。

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