第24話

 月菜るなの集中は離れていても伝わってきた。

 昨日の練習ではアドリブを入れてふざけていたのにルナなりに真剣に取り組んでいる。


 そんな妹ポジを見つめていると視線が交差した。

 月菜るなは小さく頷くと、軽く咳払いをする。


「“構造は同じはずのに全然違って見える教室。ここは先輩が普段授業を受けている教室だ。今、この場には私と先輩しかいないのに妙な緊張感に襲われていた”」


 僕にではなく、部員に届くように意識して声を張る。

 あれだけ緊張すると言っていたのにやっぱり本番に強い。


 運動が得意だったり、土壇場でメンタルが強いのは僕にはない部分だ。

 兄ポジとしてマウントを取りがちだけど、密かに月菜るなを尊敬している部分でもある。


「『夕陽が差し込む教室ってなんだかドキドキしませんか?』」


 今度は僕の方に顔を向けて、語り掛けるようにセリフを読み上げた。

 昨日の練習とは違う環境なのにすぐに適応できてしまうのもすごい。

 

 そしてこれが、月菜るなを先行にしたかった理由だ。

 月菜るなならオーディション形式の朗読でどんな風に振る舞うのが適切かを感覚で実行する。

 その様子を未亜みあに見てもらえば、少し環境が変わったオーディションでもうまく立ち振る舞えると考えた。


「……あ。『わかる。それも二人きりだしな』」


 むしろ心配なのは僕自信だ。

 後輩に気を取られて自分の番に反応できずテンポがおかしくなってしまった。

 僕は出演が確定しているとはいえ、本番以外の場所でしっかり朗読しておかないと当日に緊張と不安が募ってしまう。


 そんな僕にはお構いなしで月菜るなは堂々と朗読を続ける。


「“ここで会話は終わってしまう。でも、不思議と居心地は悪くない。無言だけど気持ちが通じ合っているような。私の勝手な思い込みかもしれないけど、この瞬間の積み重ねがとにかく愛おしい”」


 この後はまた月菜るなとの掛け合いがある。次こそは会話のテンポを合わせなければ。

 意気込めば意気込むほど息をするのが難しくなるのを感じた。


「『ねえ先輩。私が後輩の中で特別になるには、どうすればいいですか』」


「“先輩は腕を組んで天井を仰いだ。遠回しな告白みたいになってしまったことに言ってから気付いて体が熱くなる。私の顔は今どんな色になっているんだろう。もし赤く染まっていても、今なら夕陽のせいにできる。今まで読んできた恋愛小説の登場人物が夕方に告白してきた理由が少しわかった気がした”」


 きっとここで僕が天井を見上げると臨場感が出るんだろうけどそんな余裕はない。

 セリフのタイミングを逃さないように文字を追うことに専念する。


「『俺が留年でもすれば同級生になって、もう一回留年したら先輩になるな』」


「『そうじゃなくて』」


「“冗談を言ってはぐらかそうとする先輩に顔をグイっと近付けた。この人にはこれくらい積極的にならないと気持ちが通じない”」


 どうにか気持ちを持ち直したものの、やっぱりこの物理的な距離感に違和感を覚える。

 普段やたらとくっついてくる月菜るなとこんなに離れて話すことがないからテンポを掴みにくい。


 顔を近付けるシーンで実際は顔が遠いことがこんなにも脳をバグらせるなんて。

 昨日、月菜るながふざけて接近した時の方がやりやすいなんて夢にも思わなかった。


「“先輩の耳が夕陽色に染まる。その反応が嬉しくて私の心が躍り出す”」


 地の文では僕は耳を赤くしているらしい。

 だが実際はどうだ。緊張とやりにくさで血の気が引いている。

 全然小説の世界に入り込めていない。


「『後輩の中で特別だろ? じゃあ妹っぽくなれば特別感が出るかな』」


 セリフを大きな声で読むのが精いっぱいで棒読みになってしまう。

 自分の棒読みがさらに追い打ちを掛けて緊張を増長する。


「『妹っぽくって……お兄ちゃんって呼んでみたりですか?』」


 僕とは反対に、月菜るなの方は主人公の心情を声で表現できている。

 まるで未亜みあみたいな、引っ込み思案の後輩が勇気を出してとんでもない提案をする雰囲気がよく出ていた。


「『お、おにい……ちゃん』」


「『お、おう』」


 月菜るなが渾身のお兄ちゃん呼びをしてくれているのに僕は心のこもっていない反応しかできない。


「『えへへ。どうですか? 先輩……いいえ、お兄ちゃんの特別に、なりましたか?』」


 とびきりの笑顔で朗読を続ける。

 その笑顔と本番での強さがあまりにもまぶしくて、つい視線を逸らしてしまった。


「『俺には兄弟がいないし、お兄ちゃんって呼ばれたこともないから特別って言われたら特別かな」』


 だんだんと声が尻すぼみになっていくのが自分でもわかった。

 これではダメだと頭では理解しているのに体が言うことを聞かない。


「“まったくこの先輩は鈍感だ。私が言う特別というのはそういう意味じゃないのに。私は先輩の妹になりたいわけじゃないのに……。”』


 月菜るなはまったく動じずに地の文を続ける。


「“この人に恋愛的な意味で意識させるにはどうすればいいだろう。私は頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。手を繋いだり、ハグしたり、キスしたり……は、意識させるどころかもはや恋人だ。その一歩手間。こうして妹になっているからこそできることを考える”」

 

 幸いなことに月菜るなの出番が長い。その間に少しでも呼吸を整えて次のセリフに備える。


「『お兄ちゃんは妹とどんなことをしたいですか?』」


「『急にそんなことを言われても……』」


 申し訳なさで目を合わせられない。

 こういう時こそアイコンタクトが重要なのに。

 それに相手は月菜るなだ。失敗覚悟で挑戦すればいいのにその勇気が出ない。


「『せっかくのチャンスですよ? 私の友達はみんなお兄ちゃんと仲が悪いみたいですし』」


「『なんのチャンスだよ。まあ、俺の周りも妹と仲が良いって話は聞かないな』」


 セリフ量が少ない僕に残された最大の見せ場はいよいよだ。

 まともに朗読もできない自分にやれるのか不安がどんどん大きくなっていく。


「『お兄……ちゃん。妹の頭をナデナデしたくありませんか?』」


『そうだな。まあ、したいかしたくないかで言ったら、したい……かな』」


 本音は、したくなかった。

 さっきはあれほど自然に月菜るなの頭に触れることができたのに、今はそうできる自信がない。

 

 月菜るなが、いや、この物語の主人公が求めているのは頼れる先輩からのスキンシップであって、僕みたいな情けない男の接触ではないんだから。


「“先輩の顔が赤い。きっと私もだ。このドキドキの共有が恋に発展してくれればいいのだけど、きっとこの先輩には伝わらない。それでも、これは私にとってもチャンスだ。好きな人に頭を撫でててもらえる”」


「『撫でたいなら。撫でてもいいですよ』」


 月菜るなが演じる主人公が抱く先輩像と、それを演じる現実の僕とのギャップが不安と比例していく。

 それでも僕はやり切らなければならない。

 勇気を振り絞った未亜みあと、背中を押してくれた月菜るなのために、

 

「『あくまで俺が選ぶんだな』」


「『だって、お兄ちゃんですから』」

 

「『あくまで妹としてな。変な誤解するんじゃねーぞ』」


 僕はゆっくりと椅子から立ち上がり一歩ずつ月菜るなの元へと近付いていく。

 月菜るなは本を閉じ、座ったまま目を閉じている。

 まるでキスを待つような態勢だ。


 そんな妹ポジの頭にポンと優しく右手を置いた。

 妹を慈しむのではなく、謝罪の意味を込めて。

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