第21話

「“先輩の耳が夕陽色に染まる。その反応が嬉しくて私の心が躍り出す”」


 こういう文を読み上げているだけとはいえ、いざ自分の状況を表現されると余計に恥ずかしくなる。


「『後輩の中で特別だろ? じゃあ妹っぽくなれば特別感が出るかな』」


「『妹っぽくって……お兄ちゃんって呼んでみたりですか?』」


 いつしか恋愛対象として見ていた後輩に向けて言ったこのセリフは、勇気を出せずにいつまでもうだうだしている自分の姿と重なる。

 もうすでに特別な存在になっているのに、月菜るなと同じ妹ポジになってしまうのは悲しい。

 ただの小説を読み上げているだけなのに妙に胸が苦しくなった。


 数秒の沈黙。

 僕らは目を合わせることもなく、ただ一冊の本を凝視している。

 シチュエーションを考えればここにがあるのは不自然じゃない。むしろ情感が出て良い。

  

 だからこの沈黙は全然気まずくないし、未亜みあが小説の世界に入り込んで朗読しているのが伝わってきて嬉しいくらいだった。


「『お、おにい……ちゃん』」


「『お、おう』」


 紙に書かれた通りに僕は戸惑いの声を上げた。

 

「『えへへ。どうですか? 先輩……いいえ、お兄ちゃんの特別に、なりましたか?』」


「『俺には兄弟がいないし、お兄ちゃんって呼ばれたこともないから特別って言われたら特別かな」』


「“まったくこの先輩は鈍感だ。私が言う特別というのはそういう意味じゃないのに。私は先輩の妹になりたいわけじゃないのに……。”』


 未亜みあの言葉がズキズキと胸に刺さる。

 僕だって未亜みあを妹にしたいわけじゃない。

 どうして僕はこんなシチュエーションを提案してしまったんだろう。

 小動物的な可愛さと庇護欲をかき立てる未亜みあに対して妹らしさを感じた当時の自分を殴ってやりたい。

 

「“この人に恋愛的な意味で意識させるにはどうすればいいだろう。私は頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。手を繋いだり、ハグしたり、キスしたり……は、意識させるどころかもはや恋人だ。その一歩手間。こうして妹になっているからこそできることを考える”」


 すでに僕は未亜みあを恋愛的な意味で意識しているし、未亜みあもそうらしいのは感じている。

 まるで未亜みあから背中を突かれているみたいで胃がキリキリしてきた。


「『お兄ちゃんは妹とどんなことをしたいですか?』」


「『急にそんなことを言われても……』」


「『せっかくのチャンスですよ? 私の友達はみんなお兄ちゃんと仲が悪いみたいですし』」


「『なんのチャンスだよ。まあ、俺の周りも妹と仲が良いって話は聞かないな』」


 月菜るなはここで余計なアドリブを入れてきた。

 あのほっぺぷにぷにが脳裏をよぎり、ふと視線を横にすると未亜みあのきめ細かな肌が視界に入る。

 

 彼氏でもないのに触ったらビックリさせちゃうだろうな。

 そんな理性が僕を思い止まらせる。


優兎ゆうと先輩、わたしの顔に何か付いてますか?」


「あ、ごめん。なんでもないよ」


「? そうですか」


 凝視し過ぎていたのか未亜みあに視線を悟られてしまった。

 相手が未亜みあだから何事もなく済んだみたいなところはある。


「あの……それじゃあ、次のセリフいきますね」


「お、おう」


 未亜みあは大きく深呼吸をする。

 月菜るなと練習した時はちょいちょいアドリブが入って進行が悪かったけど、まじめにやればそんなに時間が掛からない。

 つまり、山場がすぐに訪れるということだ。


 今まで未亜みあからこんなお願いをされたことはない。

 そりゃそうだ。だって恋人でも妹でもなく、ただの後輩なんだから。

 

 だから、僕は好きな子にこのセリフを言わせることに今になって違和感を覚える。

 

「なあ未亜みあ


「え!? は、はい」


 気持ちを整えているところに突然大きな声で話し掛けたせいか未亜みあは体をビクッと反応させた。


「練習の続きの前にさ……今こんなこと言うのは変だって自分でも思うんだけどさ」


 邪魔する者は誰もいない。もし邪魔者がいるとすれば臆病な自分だ。

 たいしたことをするわけじゃない。ただ、初めては後輩からではなく先輩からだったという思い出が欲しいだけ。

 要は自己満足だ。


「決して悪口じゃなく、未亜みあの朗読が思ってたより堂々としててさ、驚いたんだ。普段の未亜みあからしたら、外で朗読なんて恥ずかしがってできないと思うし」


 僕の言葉に未亜みあはこくんと小さく頷いた。

 本人にもその自覚はあるらしい。


「だからさ、こんなのがご褒美になるかわからないっていうか、むしろこれをご褒美にする僕って勘違い野郎なんじゃないかって思うんだけどさ……」


 未亜みあと視線が絡み合う。人生で1番心臓がドキドキしているかもしれない。

 ちゃんと告白するってなったら僕の体はもつだろうか。

 そんなチキンハートの僕を未亜みあはまっすぐに見つめてくれている。


「この小説の主人公からの、未亜みあのセリフからじゃなくて……僕から頭を撫でていいかな?」


 ついに言ってしまった。

 愛の告白でもキスでもない。月菜るなにはしたことのある頭を撫でるという行為。

 だけど未亜みあに対してはすごく特別な意味を持つような気がして、僕としては一世一代の行為と言っても過言ではない。


 未亜みあは耳まで真っ赤にしてうつむいている。

 もしこれで断られてしまったら……勇気を振り絞ったあとの心に恐怖が少しずつ蓄積していく。

 さっきまで熱かった体も夜風に冷やされてきた。


「うれしい……です」


「じゃあ!」


 未亜みあは僕が着ているカーディガンの裾をギュッと掴んだ。

 彼女なりのOKの合図と受け取り、おそるおそる小さな頭に手を乗せた。

 さらさらの髪を大切に大切に、絶対に傷付けないように丁寧に撫でる。


 二人の間に言葉はなかったけど、なんだか気持ちが通じ合ったような気がした。

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