第20話
もう4月とは言え夜はまだ冷える。
「あそこのベンチに座ろうか」
「はい」
公園には誰もいない。
周りにはたくさんの住宅があるのに、まるで二人きりの世界になったみたいだ。
「冷えてるかもしれないからこれの上に座って」
ベンチの上にハンカチを広げてそこに座るように促す。
こんな薄い布1枚で寒さを緩和できるとは思えないけど何もないよりはマシだろう。
「あの、ありがとうございます」
「どういたしまして」
ちょっとだけ先輩っぽいことをできたことに少しくすぐったい気持ちになった。
「1回だけ練習して、ぶっつけ本番でオーディションってのは避けよう」
「はい。ありがとうございます」
体を縮こまらせて
勢いで練習を提案したけど、この姿を見ると申し訳ない気持ちもこみ上げてくる。
「あのさ、ちょっと暗いからもう少し近寄ろっか」
「です……ね」
僕が手招きすると子猫のように身を寄せてきた。
先日、
「…………」
「…………」
「えーっと」
「練習……しなきゃですよね」
「そ、そうだよね。うん」
付箋を貼っておいたページを広げて
去年の秋、こうして何度も二人を推敲した日々を思い出した。
「なんか懐かしいです」
「だね。二人で先輩を振り向かせる方法を考えて、勝手に
「そのおかげで優兎先輩の趣味がわかりました」
「僕はあくまでもこの登場人物の気持ちに寄り添っただけだから!」
「ふふ。そういうことにしておきます」
この小説の中にも好きな髪型を聞くシーンがあって、その時にふと漏れた僕の趣味。
文化祭に向けて奮闘した日々が今に繋がっていると思うと感慨深いものがある。
「
「はい。負けちゃうかもって不安です」
「でも、
夜遅いので大声を出すわけにはいかない。
それでも
「だからさ、演技力とか表現力とかじゃなくて、自信を持つための練習にしよう。僕も大勢の前で朗読なんて考えただけで胃がキュってするし」
「はい!」
萌え袖になっている小さなでガッツポーズをする
僕はその気合を見れただけで十分に幸せだった。
だけど、ここで満足したら先に進めない。
「
「はい。
「
「……っ! そう言ってもらえると嬉しいです」
僕も恥ずかしいことを言ってしまったことに気付いて、すっかり春の寒さを忘れてしまっていた。
「で、では。始めましょうか。読みますね。“構造は同じはずのに全然違って見える教室。ここは先輩が普段授業を受けている教室だ。今、この場には私と先輩しかいないのに妙な緊張感に襲われていた”」
声量は
本人の控えめな性格と主人公がリンクしているので、やや贔屓目ではあるものの僕は
「『夕陽が差し込む教室ってなんだかドキドキしませんか?』」
「『わかる。それも二人きりだしな』」
今は夕陽ではなく満月に照らされている。だけど二人きりであることに変わりはない。
この小説の登場人物にとっては二人きりという状況の方が重要なわけで、僕はより一層練習に身が入る気がした。
「“ここで会話は終わってしまう。でも、不思議と居心地は悪くない。無言だけど気持ちが通じ合っているような。私の勝手な思い込みかもしれないけど、この瞬間の積み重ねがとにかく愛おしい”」
「『ねえ先輩。私が後輩の中で特別になるには、どうすればいいですか』」
すでに僕の中では特別な存在になっている後輩にこんなことを言わせてしまっていることに、セリフだとわかっているのに心が痛む。
「“先輩は腕を組んで天井を仰いだ。遠回しな告白みたいになってしまったことに言ってから気付いて体が熱くなる。私の顔は今どんな色になっているんだろう。もし赤く染まっていても、今なら夕陽のせいにできる。今まで読んできた恋愛小説の登場人物が夕方に告白してきた理由が少しわかった気がした”」
「『俺が留年でもすれば同級生になって、もう一回留年したら先輩になるな』」
「『そうじゃなくて』」
「“冗談を言ってはぐらかそうとする先輩に顔をグイっと近付けた。この人にはこれくらい積極的にならないと気持ちが通じない”」
僕も
地の文の通りに顔を近付けることはなく、ただ物語の世界を読み上げる。
これでいい。僕が恋した後輩は、こういう子なんだ。
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