第19話

 相手に好意を伝える時の言葉に『月が綺麗ですね』というものがあるらしい。

 この言葉で告白した人がいるのかは知らないけど、今夜はどさくさ紛れにこんなことを言ってもいいくらいの満月だ。


 スマホを片手にキョロキョロと暗い道を歩くのはかなり不審だと思う。

 時刻はもう夜9時近くで、幸いにも人通りは少なく通報される心配はなさそうだ。


 指先が冷たいのはきっと緊張のせいだろう。

 未亜みあはなんとかすると言っていたけど、家の目の前とはいえこんな時間に外出させる男なんて親御さんから敵視されても仕方がない。


「ここか」


 画面に表示された地図に設定した目的地と自分の位置を指し示すピンが重なる。

 クローバーの模様が付いた小さな門があると未亜みあが言っていたので間違いない。


 僕は大きく深呼吸をした。

 好きな人の家の前で匂いを嗅いだわけではなく緊張を解すため。

 呼び鈴を鳴らしたら未亜みあが真っ先に出てきてくれるだろか。それともまずは母親との邂逅だろうか。

 

 悩んでいる時間はない。ここまで来たらもうやるしかないんだ。

 意を決してボタンを押すと甲高い鈴の音が響いた。


 スピーカーからの返事は聞こえてこない。

 

 カーテンの隙間から明かりは漏れているし、さっきまで未亜みあと通話していたから誰かしらいるのは間違いない。

 ただ、インターホンを鳴らしたリアクションが得られない。


「もしかしてダメだったのかな」


 母親の説得に失敗して、こんな時間に尋ねてくる男は放置で構わないと判断されてしまった可能性がある。

 まだ会ってもないのに最悪な第一印象を与えてしまった。

 付き合ってもないけど将来が心配になり胃がキュッと痛む。


「もう1回……いや、待とう」


 そもそもインターホンが鳴ったことに気付いていない可能性に賭けてもう1度ボタンを押そうと手が伸びるが、その一押しをする勇気は出ずにすぐに引っ込んだ。

 スマホの方にも特に連絡は来ていない。完全にお預けをくらっている。


 さっきまで明るく感じ満月もだんだんと不気味なものに見えてきた。

 まるでこれから僕の身に不幸が訪れることを予言しているみたいで不安だけが募っていく。


優兎ゆうと先輩!」


 静かな春の夜に僕を呼ぶ声が響き渡る。

 数時間前も聞いていたはずなのに、まるで何年も会っていなかったような懐かしさを感じた。


「み、未亜みあ


「すみません。支度に時間が掛かってしまって」


 そう言う未亜みあの恰好は制服だった。

 しっかりサイドテールにして、学校で会う時となんら変わりがない。


「どの服を着ようか迷ってたらインターホンが鳴って、恥ずかしいからお母さんには何もしないように言って、それでもう制服しかなくて」


「よかった。出禁をくらったわけじゃなくて」


「え? 出禁?」


「あ、いや、僕の被害妄想だから気にしないで」


 矢継ぎ早に状況説明をする未亜みあに僕の勘違いが加わってお互いに噛み合わない。

 でも、このグダグダな感じはホッとする。


「本当はおしゃれして優兎ゆうと先輩をお出迎えしたかったんです」


「じゃあ、それは今度の機会で」


「え?」


「だ、だからさ。おしゃれした未亜みあはまた改めて見せてよ」


「……はい」


 未亜みあは小さく頷くとカーディガンの裾をギュッと掴んだ。

 恥ずかしかったり困ったりすると僕の服を掴む癖は可愛いけど、僕もこの気恥ずかしさをどこに発散したくなる。

 

「とにかく今は練習しよっか。公園には誰もいないみたいだし」


「そそそそうですね」


 僕は慌てて話題を本題に戻した。

 ここで優しく抱きしめたり頭を撫でられないのが僕のダメなところだ。

 だってまだ恋人関係じゃないし。

 そんな言い訳を心の中で繰り返して自分に言い聞かせた。


「あの、ありがとうです。わたしのために」


「気にしないで。もともと未亜みあと僕で朗読するはずだったのに月菜るなが出しゃばってきたんだから」


「ふふ。なんだか本当にお兄さんみたいですね」


「そう、あくまで兄ね。断じて彼氏ではない」


 これまでも何度か月菜るなの彼氏扱いされることはあった。

 その度に兄だと訂正したきたけど、未亜みあの目にはちゃんと兄に映っていたみたいで胸を撫で下ろす。


「そんな優兎ゆうと先輩となら、わたしの小説のあのシーンもできると思ったんです」


未亜みあがそう言ってくれるなら僕も気合を入れないとな」


「頼りにしてます。……お兄ちゃん」


「おおう」


 頬を赤らめて上目遣いで発せられた『お兄ちゃん』の破壊力が高すぎて身震いした。

 男受けを計算した月菜るなと違い、自然に発せられた未亜みあの言葉は説得力が違う。

 勧誘するのは未亜みあより年下の1年生だけど、これは創作意欲をかき立てられるはずだ。


「あの、ダメ……でしたか?」


「逆だよ! 最高の『お兄ちゃん』だった。あとは舞台の上で自信を持てるように練習あるのみだ」


「はい。頑張ります。あの……やっぱり優兎ゆうと先輩はお兄ちゃんって呼ばれるのが好きなんですか?」


「いやいやいや! 僕は断じてそういう趣味は……!」


「ふふ。冗談です」


 未亜みあの笑顔が月明かりに照らされる。

 とてもリラックスしていて、困り顔や泣き顔よりも可愛いけど、やっぱりこの子には笑顔でいてほしいと思った。

 

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