第18話

「ふぅ……」


 ベッドに倒れ込むと自然と溜息が漏れた。

 真っ白な天井を見ていると今日の出来事が勝手に思い出される。

 月菜るなの唇と未亜みあの体。

 どちらも思春期の男子には刺激が強すぎた。


「追いかけるべきだったのかな」


 未亜みあが好きだというのなら、あそこは追いかけるのが正解だったような気もする。

 だけど、もし一人になりたいと考えていたのだとしたら間違った選択になる。

 どちらの可能性が高いかなんて恋愛経験が皆無に等しい僕が考えてもわからない。


 何となく持ち帰ってしまった未亜みあの小説をパラパラとめくってもその答えは書かれていない。

 主人公のモデルが未亜みあだとしても、あくまでモデルであって本人ではない。

 それにあの一件は小説にないオリジナル展開だ。


「連絡……するか」


 スマホを手に取りロックを解除する。

 問題はどの連絡手段をと取るかだ。


 通話なら直接声を聴けるのですれ違いは起こりにくい。代わりに第一声が悩むし、出てくれないかもしれない。

 反対に文字でのやり取りならじっくり考えながら受け答えができる。でも、本音を隠されてしまうかもしれない。


 一長一短のコミュニケーション、ここでもどちらを選ぶのか正解なのかわからず考えが堂々巡りする。


「ああ、どうしよう」


 未亜みあは通学路で見つけたという白猫の写真をアイコンにしている。

 少し警戒しつつも甘えたそうな顔は未亜みあに似てるような気もする。

 そんな猫の画像をタップしては戻り、タップしては通話かメッセージかで迷いを繰り返した。


「むぅ……」


 脳みそがパンクしそうになり思わず枕に顔を埋める。

 そうすることで何か状況が好転するわけもなく、ただ無情に時間が過ぎ去る……と思われた。


「……もしもし」


「んん!?」


 心地の良いソプラノに耳をくすぐられて反射的に起き上がった。

 慌ててスマホの画面を見ると未亜みあと通話状態になっている。


「あの……優兎ゆうと先輩?」


「ご、ごめん。夜遅くに」


「いえ、ちょうど夕食を終えたところでしたから」


 まるで何もなかったかのように未亜みあは淡々と応対してくれている。

 もしかして急用があって帰っただけで、僕を押し倒した件は一切気にしていないのかもしれない。

 そんなわずかな希望を見出した。


「……優兎ゆうと先輩、あの、さっきはごめんなさいでした」


 淡い期待は一瞬で打ち砕かれた。

 あの控えめな性格の未亜みあがあんな大胆な行動に出たんだから気にしないはずがない。

 ここは今度こそ先輩らしくオトナな対応をしなくては。


「平気だよ。ケガもしてないし。むしろ助かったっていうか」


「そう……ですか」


 沈んでいたように聞こえた未亜みあの声が少しだけ明るくなる。

 良かった。この対応で合っていたみたいだ。

 何かに締め付けられていたような胃袋が一瞬にして楽になった。


「あー。夜も遅いしあんまり長話になると悪いから先に要件を言うね」


「はい。お願いします」


「朗読のオークションはやっぱり明日なんだ。部活説明会の日程はもう決まってるからね」


「そうですよね」


 再び未亜みあのトーンが下がってしまう。

 悪い知らせの部類だから仕方がないとは言え、後輩に悲しい思いをさせるのはやはり心苦しい。


「だから……さ」


「はい」


 僕の口が勝手に動いていた。

 さっきまでこんなことは全く考えていなかったのに、突然頭に浮かんでしまったんだ。

 ここで出たらもう最後まで言い切るしかない。

 経験はないけど、愛の告白ってこんな感じなんだろうなって思った。


「もしよかったらこれから練習しないか。未亜みあの家の近くの公園とかで」


「え……」


 時刻はもう夜8時を回っている。

 明日も学校はあるし、一度帰宅した大切な娘をわざわざ夜間外出させる親もいないだろう。

 でも、僕はわずかな可能性に賭けたかった。

 

 数十秒の沈黙。

 言葉はないけど、未亜みあが真剣に検討しているのは伝わってきた。

 

「ごめん。無理だよね。もうこんな時間だし。明日、ちょっと早めに部室来れるかな? その時に練習しよう」


 別に体育会系ではないけど、後輩からしたら先輩からの誘いは断りにくいと判断した。

 あくまでこちら側が折れて未亜みあに遺恨を残さないようにしたつもりだ。


「うちの目の前が公園なんです。そこでなら、たぶん平気です」


「あ、いや。無理しなくていいよ。僕が未亜みあの最寄駅に着くころにはもっと遅い時間になってるし」


「無理……してないです。穂波さんみたいにちゃんと練習しないと、優兎ゆうと先輩と一緒に朗読できないから」


 親御さんへの事情説明とか説得はこれからなんだろうな。

 たどたどしい喋り方から乗り越えなければならないハードルの数々がうかがい知れた。


「……よし。わかった。今から未亜みあの家に行く。駅からの道のりは、あとでメッセージで教えて。住所教えてもらえればマップで調べるから」


「は、はい! わかりました」


「やっぱり無理なら遠慮せずにメッセージ送ってね。僕は途中で引き返しても大丈夫だから」


「……待ってます。お母さんにはわたしの方から説明するので」


「なんかごめん」


「いえ。優兎ゆうと先輩のことはお母さんには話したことがあるのでたぶん大丈夫です」


 お母さんにはってことは、お父さんには話してないということだろうか。

 あまり遅い時間になって鉢合わせになりたくない雰囲気だ。


「お父さんは帰り遅いの?」


「そうですね。いつも日付が変わる頃に帰ってきてるみたいです」


「そっか。ありがと」


 もしかしたら1番重要かもしれない情報を得てホッと胸を撫で下ろす。

 夜中に娘を外に連れ出すチャラ男と思われたら印象が悪くなるからね。

 実際それに近いんだけど、この事実を知られなければ問題ない。


「えと、優兎ゆうと先輩が来るの待ってます」


「うん。夜は冷えるから暖かい恰好でね」


 そう言って僕は通話を切った。

 時間的にたぶん練習できるのは1回だけ。

 ただ文字を読んで、僕が最後に頭を撫でるだけの朗読劇。

 

 それでもこれは大きな一歩になる気がする。

 未亜みあの小説をカバンに入れて、母さんには部活のことで出掛けてくるとだけ言った。

 後輩の女の子が関わってるなんて余計な情報は与えない。


 月菜るなのあの行動が今に結び付いているのだとしたら、ほんの少し感謝してもいいかなって思った。

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