第17話

 ガタッ!


 妹ポジの頭に触れるまで残り数センチのところで突然月菜るなが腰を浮かせた。

 見慣れた顔が目前まで迫ってくる。

 状況の理解が追い付かず、僕はただ声も出せずに体が椅子に張り付いてしまっていた。


 自分の唇が月菜るなの唇が触れ合う。

 そうなればもう妹ポジなんて言えなくなる。

 兄と妹はキスをしない。

 それはもう恋人の証になってしまう。


「だめ!」


 未亜みあの声が部室に響いた。

 それでも月菜るなは止まらない。

 僕の視線は瑞々しい唇に釘付けになってしまっている。


「うわっ!」


 僕と月菜るなの間に割り込むように未亜みあが体当たりした。

 中腰ちゅうごしの状態だった月菜るなはそれをかわしたが、緊張で体が動かない僕はその衝撃を全身で受け止めてしまう。 


「むごぅ!」


 視界が黒い。重い。だけど良い匂いがする。

 布が何枚も重なっているので肌の柔らかさなんてものは伝わってこないはずなのに、未亜みあが描く曲線が僕の妄想をかき立てる。

 月菜るなと比べたらたいていの女子は霞んでしまうけど、間違いなく女の子の特徴的な部分が僕の顔を圧迫していた。


 こんな風になるのは初めてで創造で補っている部分がほとんどなのに、頭の中にはふにふにの感触が浮かび上がってくる。

 今は顔全体がブレザーの生地に覆われて言葉を発することができない。

 そのおかげで素直な感想を口にせずに済んだ。


「あ……ご、ごめんなさいです」


 バン! バン!


 喋れない以上は他の手段で意思を伝えるしかない。

 とりあえず机の上に残された左手を上下に動かして音を出してみた。


「そ、そうですよね」


 僕の気持ちは伝わったらしく、未亜みあの体重から無事に解放された。

 小柄で可愛らしいとは言え、さすがに顔で受け止めるのは厳しい。


「ふぅ」


優兎ゆうと先輩すみません。わたし……」


「ビックリしたけど平気だよ。ケガもしてないし」


「……よかったです」


 未亜みあは安堵の溜息を付いた。

 彼女が突発的な行動に出るのは本当に珍しいので驚いたのは本当だ。

 それよりも未亜みあの感触の方が衝撃的だったけど、カッコいい先輩であるために咄嗟に言葉を選んだ。


「あの、ではわたしはこれで。失礼します!」


「え? ちょっと未亜みあ


 僕の安全を確認するなり未亜みあはカバンと手に取ってものすごい速さで部室をあとにした。

 声を掛けても気に留める様子もなく、追い付くのは不可能だと思えるレベルだ。

 あっけに取られた僕らはただ開けっ放しになったドアを見つめることしかできなかった。


「え~っと……どうしましょうっか」


 この沈黙を破ったのは三枝だった。

 未亜みあが僕を押し倒すなんてイベント、普段なら絶対にはやし立てるのに茫然としているのは未亜みあの逃亡が大きいだろう。

 展開が早すぎてどこからイジっていいのかわからない。そんな顔をしている。


「今日の活動はこれでお開きかしらねぇ。椿つばきさんは帰っちゃったし、下校時刻も迫ってるし」


 美桜みさくらさんは右手で頬を抑えながら首を傾げる。

 妖艶な雰囲気を醸し出しているのに今はそれにピクリとも反応しない。

 制服越しに伝わってきた未亜みあの匂いや重さで頭がいっぱいだった。


「ごめんね穂波ほなみさん。せっかく来てくれたのにバタバタしちゃって」


「あ、いえ」


 月菜るなはボーっと椅子に座っている。

 僕に何を言うでもなく、未亜みあを追いかけるでもなく、ただ茫然としていた。


「なあ月菜るな。なんでさっきあんなこと」


「え? あー。えーっと……顔を近付けた方が頭を撫でやすいかなって。あはは」


 顔は笑っているけど目にいつもの明るさがない。

 あの時、月菜るなは僕とキスしようとしていた。

 もし未亜みあが割って入っていなかったら月菜るなのなすがまま唇を重ねていただろう。


 僕と未亜みあを応援すると言ったり、いきなりキスしようとしたり、月菜るなの考えていることがさっぱりわからない。

 本当ならチョップでも入れて問い正したいところだけど、月菜るなの表情にあまりにも覇気がないのでそうする気はとてもなれなかった。


「部活説明会まで時間がないからオーディションは予定通りに明日にするわ。もちろん、穂波ほなみさんと椿つばきさんに受ける気があればだけど」


「……ルナはやります」


「わかったわ。あんまりアドリブが多いのはダメよ?」


「はい」


 美桜みさくらさんが発破はっぱをかけたことで月菜るなはひとまず息を吹き返した。

 さんざんやらかしてくれたけどやる気はあるみたいだ。

 と、なると問題は……。


椿つばきさんには持田もちだくんから連絡してもらっていいかしら? 明日オーディションで変更はないって」


「うん。連絡しとく」


「助かるわ。正直、どう声を掛けていいかわからなくて」


「それはまあ、僕もだけどね」


 未亜みあは僕と月菜るなのキスを阻止した。

 それはきっと未亜みあは僕のことを……。

 理論的にはそう考えるのが妥当なはずなのに、それでもやっぱり今の関係がばらばらに崩れるのが恐い。

 だからこうなったのは月菜るなのせいじゃない。僕のせいなんだ。

 


時間がないことに変わりないのでオーディションは明日


夜、未亜みあに電話

本をもって返ってきてるので公園で練習

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