第16話

「『えへへ。どうですか? 先輩……いいえ、お兄ちゃんの特別に、なりましたか?』」


 僕の気持ちを知ってか知らずは月菜るなは引っ込み思案の後輩の芝居を続ける。

 しおらしい雰囲気を醸し出しつつも声の通りは良く、こいつは表舞台に立つ人間なんだと実感する。


「『俺には兄弟がいないし、お兄ちゃんって呼ばれたこともないから特別って言われたら特別かな」』


「“まったくこの先輩は鈍感だ。私が言う特別というのはそういう意味じゃないのに。私は先輩の妹になりたいわけじゃないのに……。”』


 小説のシチュエーションと僕らの関係性がシンクロして妙に気まずい。

 真っ先にはやし立てそうな三枝さえぐさも固唾を飲んで練習を見守っている。

 そうなれば班目さんも大人しいものだし、美桜みさくらさんは腕を組んで部長としての責務を全うしている。


 未亜みあについては言わずもがな、不安そうな表情を浮かべていた。

 好きな人にこんな顔をさせてしまっていることに罪悪感を覚えて胸がキュッと締め付けられる。


「“この人に恋愛的な意味で意識させるにはどうすればいいだろう。私は頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。手を繋いだり、ハグしたり、キスしたり……は、意識させるどころかもはや恋人だ。その一歩手間。こうして妹になっているからこそできることを考える”」


 登場人物的には聞こえないはずのモノローグをしっかりと耳にしたうえで、僕は何も知らない鈍感な先輩を演じなければならない。

 それに僕はこの先の展開を知っている。

 書かれた文字を声に出して読み、最後はその描写通りに動く。

 たったそれだけのことなのに、僕は隣にいる妹ポジの幼馴染の存在を強く意識せざるを得なくなってしまっていた。


「『お兄ちゃんは妹とどんなことをしたいですか?』」


「『急にそんなことを言われても……』」


「『せっかくのチャンスですよ? 私の友達はみんなお兄ちゃんと仲が悪いみたいですし』」


「『なんのチャンスだよ。まあ、俺の周りも妹と仲が良いって話は聞かないな』」


 僕と月菜るなは本当の兄妹じゃないからうまくいってるんだろうな。

 家族ぐるみの付き合いと言っても実際に同居してるわけじゃない。

 四六時中一緒ではないからこその距離感が僕らには合っている。


「可愛い妹のほっぺをぷにぷにしてもいいんですよ?」


 月菜るなは両方の人差し指でほっぺを指して柔らかさをアピールする。

 未亜みあが羞恥に耐えながらこれと同じポーズをしてくれたらもだえ死んでしまうかもしれない。

 ただ残念なことに


「おい。そんなセリフはないだろ」


 未亜みあが書いた小説にこんなシーンはない。

 月菜るながまたアドリブを入れて僕を挑発してきたのだ。


「だって、ゆうお兄ちゃんがボーっとしてるから」


「僕は集中してるよ。月菜るなこそ朗読に飽きてアドリブを入れたんじゃないか?」


「そんなことないよぉ。でも、こういうポーズを取り入れた方が可愛くない?」


未亜みあが書いた主人公はそういう露骨なあざといことをしないの。月菜るなはまだ謙虚な可愛さを理解してない」


「ふ~ん。ゆうお兄ちゃんはこういう子がタイプなんだ」


「まあな」


 僕が迷わず肯定すると月菜るなは唇を噛み締めた。

 この小説の主人公は未亜みあ自身がモデルになっている。

 本人は否定するかもしれないけど、僕にとっては未亜みあの分身だ。

 その分身をタイプだと言えば、遠回しに好意を伝えたことになる。


穂波ほなみさん、あまりアドリブを入れるようなら練習はここで終わりにするわよ?」


「え゛!?」


「そろそろ椿つばきさんに交代しないと時間がなくなってしまうもの。穂波ほなみさんの実力もわかったしね」


「いえいえ! ルナの本気はこんなものじゃないですから!」


 ツインテールを揺らしながら月菜るなは必死に弁明する。

 さすが美桜みさくらさんだ。カメみたいにすぐ調子に乗るタイプの月菜るなの扱いをよく心得ている。

 上から押さえつけるより、煽った方が思い通りに動いてくれるんだよな。


「『お兄……ちゃん。妹の頭をナデナデしたくありませんか?』」


「お、戻ったのか。『そうだな。まあ、したいかしたくないかで言ったら、したい……かな』」


 ものすごい切り替えの早さで練習に戻るので一瞬あっけに取られてしまった。

 最近は頭にチョップを入れることはあっても、撫でるなんて小学生の時以来だ。

 いくら妹ポジとは言っても女子の髪に触れるというのはやはり特別な意味を見出してしまう。


「“先輩の顔が赤い。きっと私もだ。このドキドキの共有が恋に発展してくれればいいのだけど、きっとこの先輩には伝わらない。それでも、これは私にとってもチャンスだ。好きな人に頭を撫でててもらえる”」


 月菜るなは俯き気味に視線だけ僕を見上げる。

 自分の可愛さをわかってる女子がやる角度だ。


「『撫でたいなら。撫でてもいいですよ』」

 

「『あくまで俺が選ぶんだな』」


「『だって、お兄ちゃんですから』」


 まるで月菜るなみたいなイジワルな選択肢。

 だけどこれはアドリブではなく小説の内容そのものだ。

 このシーンについては未亜みあにいろいろとアドバイスをした。

 僕の中で妹と言えばやっぱり月菜るななんだ。恋人ではなく、妹。

 その意識が強くなってしまえばこっちのもの。


「『あくまで妹としてな。変な誤解するんじゃねーぞ』」


 本番だとたぶんここで立ち上がるのかな。

 練習の段階で当日のことを考える余裕も生まれた。

 

 今は隣同士で座っているので、僕はそのままの姿勢で月菜るなの頭へと手を伸ばす。

数秒後、とんでもないことが起きるなんて知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る