第11話

「念のため確認だけど、本当にやるのね椿さん」


「はい。去年書いたわたしの小説を朗読するなら……ですけど」


 未亜みあはいつものように小さい声で答えた。

 あくまで小さいのはボリュームの話であって、その声には力強い決意のようなものを感じる。


「椿さんはああ言ってるけど、持田もちだくんはどうする?」


 うふふと不敵な笑みを浮かべる美桜みさくらさん。

 美桜みさくらさんの恐いところは暴力や理不尽さで断れなくするのではなく、笑顔で圧力を掛けてくるところだ。

 それに僕が未亜みあを好きなのはたぶんカメ経由で知っている。

 修学旅行中の『誰にも言うな』は実質無意味な約束だからだ。


「わかった。やるよ。未亜みあの小説にアドバイスをしたのは僕だから内容も概ね把握してるし」


「~~~っ!」


 僕が渋々承諾すると未亜みあは声にならない声を上げた。

 あまり感情を表に出す子ではないのでわかりにくいけど口元が緩んでいる。


未亜みあのやる気は買うよ? でも、本当にあれを新入生の前で朗読するの?」


 それこそ三枝さえぐさの書いたバトル小説なら展開とセリフの勢いで恥ずかしさを誤魔化せる。

 続きを書いてみたいと思ってくれる新入生が現れるかは別の話だけど。


「わたしが思い描いた展開と別のストーリーを考えてくれる人がいたら、おもしろいかなって思って」


「そっか。未亜みあがそう言うなら僕も頑張るよ」


「よ、よろしくお願いします」


 ものすごい勢いで深々と頭を下げるものだから未亜みあのうなじが露わになってしまった。

 普段は隠れているその部分は妙に色っぽく、僕はごくりと唾を飲んだ。


「あの、わたし何か変なことしました?」


「い、いや。なにも。とにかく頑張ろうな。僕も人前で朗読なんて初めてだし」


「はい。わたしも想像しただけで緊張します……」


 さっきまで頬が緩んでいたその表情はすっかり固くなってしまっている。

 新入生である月菜るなに対してあんなに怯えていた未亜みあだ。

 他にも陽のオーラが溢れる新入生はいくらだっているだろうし、本番を想像すると僕も胃がキュッとなった。


「演技指導は私と三枝さえぐさくんと班目まだらめさんでビシバシいくからねぇ」


持田もちだ先輩、恥ずかしがらずにやってくださいよ」


「椿さんの妹演技か~。楽しみだな~」


 人前に出ないことが確定した部員は三者三様に勝手に盛り上がっている。

 2年生組は未亜みあにした仕打ちが来年自分に跳ね返ってくるかもしれないんだぞ?


「とは言っても各部の持ち時間は5分までだし、活動内容の紹介も含めると朗読に避けるのは3分くらいかしらね」


「そうなるとどの部分を選ぶかが重要っすね。持田もちだ先輩と椿さんにイチャイチャしてもらいつつ、新入生の創作意欲をかき立てるんで」


「おい三枝さえぐさ。イチャイチャってなんだイチャイチャって」


持田もちだ先輩だって知ってるでしょ? 椿さんの小説の中に先輩と後輩がイチャイチャするシーンがあるの」


「なんでそれを朗読するのが確定みたいになってるんだよ」


持田もちだ先輩、この朗読の目的を忘れてませんか? 新入部員の勧誘ですよ? 興味を引く場面を選ばないとダメじゃないですか」


 三枝さえぐさ班目まだらめさんがまるで共謀したかのように息ピッタリにイチャイチャシーンを朗読する流れを作っている。

 僕だって未亜みあとイチャイチャしたいけど、それを人前でするのは勘弁願いたい。


「はいはい。部活紹介は今週末よ。あまり時間がないから朗読する部分を選びましょう」


 美桜みさくらさんが手をパンパンと叩くと部室の空気が引き締まった。

 いつまでもわちゃわちゃとしている場合ではない。

 朗読をやると決まった以上、しっかりとやらなければ元からの入部希望者からも敬遠されてしまうかもしれない。


未亜みあはどこをやりたい? 僕は未亜みあが選んだ箇所ならそれに従うよ」


「さすが持田もちだ先輩。男っすね!」


「ふふふ。来年はお前が僕と同じ目に合うのかと思うと笑いがこみ上げてくるよ」


「来年も朗読するかどうかは先輩の出来次第っすけどね」


「てめぇ」


 文芸部内でのお調子者っぷりは緊張を和らげたい時には本当に助かる。

 内弁慶みたいなところはあるものの、カメに近い存在感がある。


「えと、わたしのお気に入りのシーンなんですけど。……ここです」


 去年の文化祭で製本したオリジナル小説をぺらぺらとめくりながら未亜みあは目的のページに辿り着く。


「わたしが選んだところなら優兎先輩は朗読してくれるんですよね?」


 見開いた本を僕に見せつけるように未亜みあは言った。

 文字のみが羅列したそのページから一瞬で情報を読み取ることは難しく、その内容を把握するのに少しの時間を要す。

 未亜みあも、他の部員も、僕が読み終えるのを固唾かたずを飲んで見守っている。

   

「マジか……」


 小説の内容は概ね把握してはいたけど、よりにもよってこの箇所を朗読するのかというのが正直な感想だった。


「どこどこ。どのシーン」


 班目まだらめさんが堰を切ったように未亜みあから本を取り上げて該当ページに目を通す。

 読み進めていくうちに班目まだらめさんの口角が上がっていく。


「俺にも見せろって」


 次は三枝さえぐさの番だ。

 未亜みあに約束してしまった以上、僕はこの部分を新入生の前で朗読するのは決定事項だ。

 部員の前で隠しても何の意味もない。


持田もちだ先輩。マジ勇者っす」


「ありがとな」


 三枝さえぐさの雑な感想に僕は雑に礼を返す。

 

「あらあら。私にも見せて」


 最後に美桜みさくらさんが三枝さえぐさから本を受け取る。

 あまり表情を変えずに読み進めていき、付箋を貼ってページを閉じた。


「うふふ。椿さん、とても良いシーンを選んだわね」


「ありがとうです」


 褒められた未亜みあは照れ臭そうに頬を染め縮こまった。

 この仕草も可愛くて抱きしめていいなら抱きしめたい。

 だけど僕らは恋人ではないし、兄妹でもない。ただの先輩と後輩だ。


「せっかくなら朗読だけじゃなくて少し実演もしましょうか。その方が臨場感があっておもしろいわ」


「いやいや! それはさすがに!」


「椿さんはどうかしら?」


「えと……わたしは実演があっても良い……です」


「マジか」


 未亜みあが指定したシーンを頭の中で想像する。

 物語の主人公ならともかく、冴えないフツメンの僕があんなことをやって場の空気は凍り付かないだろうか。

 恥ずかしさと恐怖が入り交じって頭の中でぐるぐると回り続けた。

  

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