第9話

「あらあら亀井かめいくん。朝から楽しそうね」


 わざとらしい泣き真似をするカメの背後にぬるりと現れた長い黒髪のスレンダーなクラスメイトは、おっとりとした言葉遣いとは反対に怒りのオーラがだだ漏れている。


「お、おう歩笑夢ぽえむ


「うふふ。新学期から新入生をナンパだなんて元気ねぇ」


 落ち着いた話し方とうふふ笑いで男子から隠れた人気がある美桜みさくら歩笑夢ぽえむさん。

 カメと同様に1年生の時から同じクラスになって、カメ経由で仲良くなった僕にとっては貴重な女友達の一人だ。


「違うんだ歩笑夢ぽえむ。あれは不安と緊張に圧し潰されそうな新入生をリラックスさせるためであって、別に本気でナンパしてたわけじゃないんだ」


「そのわりにはお胸の大きい新入生をしっかり覚えているようだけど?」


 お調子者のカメすらも委縮させる迫力に僕みたいなやつが何かできるはずもなく、ただただ二人のやり取りを見守ることしかできない。

 カメから歩笑夢ぽえむと呼び捨てにされる美桜みさくらさんはカメの幼馴染だ。

 僕みたいな恋愛経験皆無の男からすれば二人はまるで夫婦のように思える。


 実際、去年の修学旅行でカメの好きな人は美桜みさくらさんだと聞いている。

 カメの顔に釣られた女子にゲスい下ネタを連発してドン引きさせるのは、振って傷付けるのではなく相手から離れてもらるカメなりの心遣いらしい。

 

持田もちだくんいつもごめんね。亀井かめいくんのお守をしてもらって」


美桜みさくらさんこそいつも大変だね。まるでカメのお姉ちゃんだ」


「お姉ちゃんって……私そんなに老けて見える?」


「すごくしっかりしてるからさ、クラスでも部活でも」


「幼馴染がこれだと苦労が絶えなくて……はぁ」


 ほおに手を当て溜息を付く姿はもはや女子高生の色気ではない。

 女子大生、いや、人妻のような妖艶ようえんさを醸し出ている。

 その雰囲気からクラス委員長に選ばれ、僕が所属する文芸部でも当然のように部長に選ばれた。

 たぶん小中しょうちゅうもそんな感じだったのは容易に想像が付く。


「カメがモテるのって顔だけだし、早めに本性を知ってもらうには良い機会だったんじゃないかな」


「それもそうね。彼女いない歴=年齢を今も更新し続けてるものね」


歩笑夢ぽえむだって同じじゃねーか」


「何も貫けない剣と何かを守り続ける盾。どちらが優秀かは亀井かめいくんでもわかるわよね?」


「俺はこれから何度だって貫くんだよ」


「あらあら、浮気宣言かしら? 最低ね」


 僕自身は美桜みさくらさんの気持ちを聞いたわけじゃないけど、たぶん美桜みさくらさんもカメのことが好きだと思う。

 そうでなきゃこんなゲスナンパ野郎にお節介を焼かずに愛想を尽かしている。

 

「はいはい。微妙な下ネタはここまで」


「ごめんなさい。亀井かめいくんの不純さが私にまでうつってしまったみたい」


 長いこと月菜るなの兄ポジを務めているせいか、この3人の中でも僕が兄ポジとして暴走を止める機会が多い。

 基本的には美桜みさくらさんの方がしっかりしているんだけどカメが関わるとどうにもブレーキが弱くなってしまう。


歩笑夢ぽえむも俺の扱いがひどくねー? 誕生日的には俺がもうすぐ18になるから俺の方が兄貴じゃん」


「あらあら。それなら私を妹扱いしてくれないかしら」


歩笑夢ぽえむが妹……想像できねえ……な? もっちー」


「なんで僕に振るんだよ」


持田もちだくんの意見も聞きたいわ」


「ええ!?」


 なぜか二人の痴話喧嘩が僕に飛び火した。やっぱりカメと美桜みさくらさんは阿吽の呼吸だ。

 早く付き合って将来的には結婚してしまえばいいのに。

 そんな考えが脳裏に浮かんだ時、ブーメランのように自分の心に突き刺さった。


「なあ、もっちーってば!」


「お、おう」


「幼馴染に苦労させられている私では妹になれないかしら?」


「え、えーっと」


 未亜みあに告白できないヘタレな自分に嫌悪して一瞬ボーっとしてしまった。

 二人の顔がめちゃくちゃ近い。

 僕にだいぶ近寄っているのはもちろん、カメと美桜みさくらさん同士の顔もかなり近い。

 ナチュラルにこの距離感でいられるってもう付き合ってるじゃん!

 

「世の中にはしっかり者の妹もいるだろうし、美桜みさくらさんも素敵な妹になると思うよ」


「そう言ってもらえると嬉しいわ。亀井かめいくん、誕生日を迎えたらよろしくね?」


 うふふと不敵な笑みを浮かべてカメに宣言した。

 月菜るなとは違った方向で圧のある妹になりそうだ。


「へへっ! 兄の言うことは絶対だからな。そうだろ? もっちー」


「むしろ僕はいつも振り回されてるけどね」


「なにっ!?」


「だ、そうよ。積年の苦労を身をもって味わってもらおうかしら」


「なあ歩笑夢ぽえむ。やっぱり俺達の関係って対等であるべきじゃないかな。学年も同じなんだし」


 カメの表情がキリっとしたものに変わる。

 聞きようによっては告白とも取れるその言葉にクラス中の聴覚がカメに集中していた。


亀井かめいくんは私との関係を対等だと思っていたのかしら?」


「え? 違うの?」


「飼い主と犬みたいなものだと私は思っていたわ」


「えーっと……犬っていうのは」


 カメからの問いかけに美桜みさくらさんは無言でカメを指差した。

 この様子を見守るクラスメイトからはくすくすという笑い声も聞こえる。


「まあ俺は飼い犬の枠に収まらないけどな!」


「飼い主の命令を聞けない駄犬ってことねぇ」


 もはや犬であることを認めてしまったカメと、そんなカメを駄犬扱いする美桜みさくらさん。

 何度でも言うけどこれ夫婦だよな……僕が知らないだけで実は付き合ってるんじゃないの?

 

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