第3話

「ゆうお兄ちゃん早く早く」


 数メートル先を走る月菜るなが僕の方を振り返る。

 大きく手を振りながら走っているので自然とその大きな膨らみもいい具合に揺れた。

 周りにいる男共の視線が自然と月菜るなの胸元に集まる。


 本人は気付いているのだろうか。

 『胸が揺れてるからもう少しゆっくり走れ』なんて言えず、僕は兄ポジとしてこう言った。


「ちゃんと前を見て走らないと危ないぞ」


 やっぱり僕と月菜るなの関係は恋人ではなく兄妹だ。

 きっとこれ以上に親密にはならないし、大人になるに連れて少しずつ接触も減っていく。


「おっと。すみません」


「ほら、言わんこっちゃない」


 月菜るなは通行人とぶつかりそうになる寸前で華麗なターンを決めて回避、きちんと相手に謝罪をして何事もなく済んだ。

 長いツインテールが月菜るなの動きに合わせて舞う姿はまるで桜の花びらのようで思わず見惚れてしまう。


「あれー? ゆうお兄ちゃん、JKになったルナに惚れちゃったかな? いいよ。結婚を前提にした彼氏にしてあげる」


「なんで上から目線なんだよ。僕は危なっかしい月菜るなをひやひやしながら見てただけだ」


 ごほんと咳払いをして自分の心を落ち着ける。

 確かに今の月菜るなはちょっと可愛いと思った。ただ、それは恋愛感情ではなく、ペットを可愛いと思うのと同じ感情だ。


「ゆうお兄ちゃん、勉強はできるけど運動はあんまりだもんね。へっへー! これから運動でマウントを取ってくから」


「マウントを取ってどうするつもりだよ」


「んー? 体育祭で活躍して人気者になったルナに嫉妬させちゃうとか」


「可愛い妹ポジの後輩が人気者になったら兄ポジとしては嬉しい限りだよ」


「むぅ! 素直じゃないんだから」


 どうやら月菜るなは自分が激しく運動するだけで注目を集めることに気付いていないらしい。

 月菜るなの場合は実力も伴っているので本当に体育祭の英雄になっているんだけど。


「ところで」


 数歩先を進んでいた月菜るながくるりと振り返る。

 ツインテールとスカートがふわっと舞って再び妹ポジにドキリとさせられてしまった。


未亜みあって人はどこ? ルナの監視が届かないところでゆうお兄ちゃんを誘惑するなんて。ぐぬぬ」


「おいおい。未亜みあ月菜るなの先輩。2年生なんだからちゃんと敬意を払えよ?」


「わかってるよ」


 むすっとふてくされたようにほっぺを膨らませる。

 未亜みあは上下関係に厳しいタイプではないと思うけど、月菜るなと違って自己主張が弱い子なので押し切られないか心配だ。

 僕がちゃんと月菜るなの手綱を握っておかないと。


「それにしてもさ、ゆうお兄ちゃんがルナ以外の後輩に慕われるなんてちょっと意外かも」


「中学時代はお前が無断で学校に侵入してきたからな」


「えー? みんな、ルナのこと可愛がってくれてたよ」


「それは完全に僕の尽力のおかげだけどな」


 僕が中学1,2年の時はまだ月菜るなは小学生。

 公立に通っていたのでたまたま小学校と中学校がすごく近くて、なんなら小中の交流行事が年に数回あるくらいだ。

 それをいいことに月菜るなは放課後になると友達を連れて中学校に侵入していた。


「ゆうお兄ちゃんだってまんざらでもない感じだったじゃん」


「妹ポジの幼馴染を受け入れるのも兄ポジの役目だからな」


「またまたー。学校でもルナと一緒にいられて嬉しかったくせに」


 にひひとイタズラな笑みを浮かべて僕の背中をポンポンと叩く。

 月菜るなが僕に会いに来たことで周囲とコミュニケーションを取れるようになったのは事実だけど、月菜るなの行為を全肯定するのは釈然としないのでちょっとした反撃をした。


「みんな完全に月菜るなを僕の妹だと思っていたけどな」


「ぐぬっ! ま、まあ、妹系彼女だと思ってた人も少なからずいるんじゃないかな」


「自分でも妹と認めてるじゃないか」


「妹じゃないんもん! 妹系だもん! 合法的に付き合える可愛い妹系だもん!」


「自分で可愛いと言えるそのメンタルは褒めてあげよう」


 兄ポジから見ても月菜るなが可愛いのは事実だし。

 ふいに褒められて頬を赤く染める姿もなんだかんだ胸をキュンとさせた。

 妹ポジって要は他人なわけだし、僕だって男なんだからそんな時もある。


「あれれー? ゆうお兄ちゃん、顔が赤いよ」


「お前もな」


「そりゃそうだよ。だって好きな人に褒められたんだよ?」


「あれは褒めたというより皮肉のつもりだったんだけど」


「ゆうお兄ちゃん、もう少し素直にならないと生きずらくなっちゃうよ」


「人生を心配してくれる妹ポジの後輩がいて僕は幸せ者だな」


「そうそう。生涯の伴侶にうってつけだね」


 月菜るなに対する妹ポジアピールもむなしく、全てを自分の都合の良いように解釈する妹ポジ。

 だんだん口が巧くなっているというか、遠慮がなくなって無敵状態に突入している。

 このまま放置して未亜みあと遭遇することになれば、僕と未亜みあが1年間で築いてきた関係を一瞬で破壊されかねない。


「いいか月菜るな。僕らは付き合ってるわけじゃないんだからあんまり彼氏とか伴侶とか言うじゃないぞ」


「むぅ……たしかに。2人の関係を隠した方が愛が燃え上がるかも」


「そういう意味に捉えるか。すごいなお前」


 あまりのポジティブさに僕は深いため息を付いた。

 僕が未亜みあに告白していればこんな心配をしなくて済んだのかな。

 昨年度のうちに勇気を出さなかった自分を恨んでも仕方がない。


 グイグイくる妹ポジの後輩からアピールをスルーしつつ、僕は本命の後輩にどうアプローチするかを考え始めた。

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