旅の途中。

 ​昔の話をしよう。

 私が冒険家だったのは知っているかな? うん、そうだね。何度も君には、僕の冒険譚を聞かせたんだもの。知ってて当然か。

 さて、これは僕が、無謀にも〇〇山で、単独登頂を目指していたときの話だ。そのとき、僕は絶体絶命だった。道に迷っちまったのさ。周囲には勿論人っ子ひとりいないし、物凄い吹雪で何にも見えたもんじゃあなかったよ。まあ、死は覚悟したね。


 ところが、だ。


 何とも都合のいいことに、ふっと目の前に洞窟が現れた。……信じられないだろ? でも、ほんとにいきなり現れて、しかもそれは本物だった。中には誰もいなかったけど、何故か火が焚いてあってね……当たらせて貰うことにしたんだよ。うん。凍えそうだったしね。

で、あったかくなったら眠くなるのが道理だ。寝たら終わりそうな気がしたし、必死で起きてたけどね。そんな夢現の状態の時にね、歌が聴こえたんだよ。

 それはそれは綺麗な声で、物凄い規模の合唱だった。でもねえ、歌い手はどこにもいなかったんだよ。不思議だね。

 でも、幻聴ではありえないよ。あれは僕の想定を遥かに超えた音だ。あんなに美しいものを、僕は後にも先にも聞いたことがない―


*****


「……という話を思い出したので、我々は叔父の言ってた山に来たのであった!」

「誰に言ってるんですそれ。ついでに絶賛遭難中ですよ。」

 場所は雪山、ついでに猛吹雪。その中をやたら暢気に歩く影ふたつ。諸事情あって、所属していた国際アカデミーから絶賛逃亡中の科学者と助手である。

もはや恒例行事と化した科学者の思い付きにより、今回はある高山に赴いていた。彼女が幼い頃に叔父から聞いた冒険譚を思い出して。そこで予期せぬ猛吹雪に遭遇し、自分たちの現在位置さえ把握できなくなって今に至る。

「……それにしても、ひどい吹雪だな。」

 天候制御コンピュータなんてものが発明された今のご時世、ここまでひどい吹雪なんて本来はないはずだ。けど、と助手はちらりと科学者を見遣った。そのコンピュータの開発者兼、『元』責任者を。

「ん? 何だい?」

「そういや聞いてなかったんですが、天候制御装置は今どうなってるんです?」

「あれ? 壊しちゃった。」

「……そんなこったろうと思ってました。」

 はあ、と溜息を吐いた助手の脳裏に浮かんだのは、隣の科学者と逃亡を始めたその日のことである。


 天候制御コンピュータは何年か前からバグが発生し、ずっと世界中に雨を降らせ続けていた。開発者兼責任者の科学者と、ついでにその助手が対処に当たらされたのは言うまでもなかったのだが──全ては科学者の自作自演だった。猫のように気ままな彼女はバグを修正すると同時にふざけにふざけまくったネタバレ動画を各国首脳部に送り付け、助手の青年を引き連れてまんまと逃げおおせたのである。たった今得た証言も加えれば、ついでにコンピュータを本当に壊してしまって。

「いーじゃないか。あんなのがなくたって、人間はきちんと暮らせていた。それでいいんだよ。好適で満足せず、最適を望む種は滅びる運命にあるんだぜ?」

「大学で聞きましたねそんなこと。言いたいことは分かりますけど、あれが壊れたことで発生した猛吹雪で俺らが絶体絶命なのも事実です。」

「うん、私も死にたかないからなあ。どうしたもんか。叔父の話だと、まさにこういう状況で洞窟が現れたらしいがね。」

「奇跡は二度も起こりゃしないんですよ。」

 はあ、と助手が何度目になるかもわからない溜息を吐いたその時だった。


「ちょ、ちょっと、」

「うん?」

「せんせい、あれ、」

「なんだい、いきな……り……?」


 2人そろって、呆気に取られた視線の先。

 吹雪のごく薄いベールの向こうに、ぽかりと黒い岩窟が口を開けていた。


*****


「見たまえよ、ほら、きちんと焚火もある!」

「嘘だろう、おい……」

 遠慮もへったくれもなくずかずか進んだ先は、かなり広い空間だった。無人だがど真ん中には学生のやるキャンプファイヤーほどの焚火がひとつ。まさしく科学者の叔父が語り、それを彼女が助手に聞かせたのとまったく同じ光景である。

「あとは歌声かあ。なんなんだろうね? 原生生物か、はたまたここでひっそり暮らしてる原住民か!」

「前者じゃないですかね。いくらなんでもこんなとこで生活できませんよ。」

「いや、麓に集落があっただろう。そこのお坊さんなんかが、修行の一環で生活してたり?」

「食料の入手はどうするんですか。こんなとこじゃ植物は手に入りにくいでしょうし、聖職者なら肉食は駄目なんじゃないですかね。」

「あー……」

 うむむむ、と首を捻る科学者の横で、助手は落ちていた適当な石を壁に叩きつけた。こおん、と高い、硬質な音が反響し、広がり、幾つものエコーを作る。

「……ですが、大規模の合唱だったというのは分かります。めちゃくちゃ響きますね、ここ。」

「うん。正直、君との会話も聞き取りづらい! これでちゃんとした発声で歌ってみなよ、ソロでも物凄い音だろう」

「でしょうね。ホールとしては失敗作でしょうが。」

「多分、歌ってたのは多くて3、4人だな。それ以上だと音がしっちゃかめっちゃかに―」


 しゃりん。


 突然2人の耳元を、鈴のような音がすり抜けた。彼らは言葉を切り、顔を見合わせる。


「……聞いた?」

「……はい。」


 しゃらん。


「ほら、また―」


 しゃり、り、しゃ、しゃ──


「出所はどこに、」


 ──どどどどどざざざざざざざっっ!


「っ!?」


 耳に心地よい響きが突然轟音に変わり、彼らの鼓膜を遠慮なしに揺さぶった。そして、嫌な予感が彼らの頭をよぎった。駆け足で洞窟の入り口へ向かい、

「遅かった……!」

 雪崩で塞がれた道と対面する羽目になった。おそらく、さっきの鈴のような音は雪と雪か、あるいは岩が擦れる音だったのだろう。

「やっちまったねえ……」

「やっちまいましたねえ……」

 いくら全世界で五本の指に入る科学者とその助手だからって、ここまで逼迫した状況に追い込まれてなお今までの暢気さを保てるほどタフではない。

「……ぁうっ、」

 おまけに蓄積された疲労が一気に襲いかかり、急に立っていることすら困難なほどの脱力感と眠気が襲う。

「ね……ねむ……やば……」

「ちょ、おきてください、ほんとにしにますよ!」

「きみだって、なんかしゃべり方……おかしいぞぉ……」

「きのせい、です!」

「ウソつけぇ……」


*****


『……眠った?』

『男のほうは頑張ってるわ。女を抱えてね。』

『しぶといのねえ。』

『まあまあ、そろそろいいんじゃないかしら。』

『視られやしない?』

『いいじゃない。仮に彼らがわたしたちを視たとしても、唄い終わる頃にはもう……ね?』

『……片方は、数少ない生還者の縁者なのだけど。』

『それはそれで構わないわ。そのくらいの例外がなくっちゃ、面白くないじゃない!』

『……ああ、それにしても。今回のお客は可愛らしいこと。』

『ふふ、本当ね。』

『ああ、あんなに顔を真っ青にして!』

『そんなに寒いのかしら?』

『いいえ、あの女がそれほどに、大切なのでしょうよ。』


*****


 それはまさしく、この世に在らざる歌だった。

 響き満ちる音の群れ、こちらを引き寄せて、どこかへ連れ去ろうとするような旋律。そこらじゅうによく響くのと、意識が朦朧としているせいでどこから聴こえてくるかなんてちっとも判別がつかない。

 歌の向こうに笑い声がさざめく。楽しそうな少女達が見える。彼女らは不意にこちらを見、手を差し伸べ、そして―


*****


「気が付いたら車でした。下山した記憶も一切ないんですがね。」

 憮然と言い放った助手に、科学者は子どものように口を尖らせた。

「えー、録音とか撮影とかしてなかったの?」

「あの状況でできると思いますか? ぐーすか寝てたあんたを抱えて自分も絶体絶命の時に!」

「君ならできる!」

「できません。」

 変な期待しないでくださいよ、と助手は小さく息をつく。

「しっかし、本当に何だったんだか……」

「ねー。案外、夢だったりして? 一回ぐらいほっぺた抓ってみるべきだったかな。」

「さて、どうでしょう。……あ、」

 ふと助手は隣を見て、

「先生、」

「うん?」

「手、なんか付いてます」

「あ、ほんとだ」

 科学者の手の甲に黒い何かがへばり付いているのを認めた。

「んー、取れないぞこれ。文字? アルファベットかな。へたっぴだけど。」

「あんたに言われるとか相当ですね」

「ひどいな!?」

「自分の字の汚さを自覚してください」

「ぶー……なになに、H、A……Pかなこれ? えーっと……」




 ~Happily Ever After~

 (末永くお幸せに!)

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Sunny after Rain 成海うろ @Narumi_uro

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