Sunny after Rain

成海うろ

Sunny after Rain

「雨は好き?」

 幾つものディスプレイとキーボードが並ぶ机の前で、小首を傾げて問う科学者に、助手は少しだけ眉根を寄せた。

「何ですか、藪から棒に。」

「暇潰し。ね、好き?」

「よりにもよって今、それを聞きますか?」

 助手の言う通りだった。外は霧雨が降っていて、もっと言えばここ1年ほど、世界中でそんな空模様しか見えない。どうしてそうなったのかと問われれば、更に5年ほど、話を遡る事になる。


 5年前、天候制御コンピュータが数年の実験稼働を経て、ついに世界中で実用化されるに至った。人類は遂に、気象状態を掌握するに至ったのである。

ところが1年前に、突如としてこのコンピュータが暴走を始めた。瞬く間に世界中で雨が降り始め、以来天気はどこに行っても雨、雨、雨。1日経っても1週間経っても、1ヶ月経っても止む気配はない。

 対処に当たらされるのがコンピュータの開発者というのは言うまでもない。その開発者と言うのが、先程唐突な質問を発した科学者と、まるで猫の様な彼女に怒涛のツッコミを入れては日々溜息を吐く助手だった。

「こんな時だからこそ聞くんだよ。湿っぽくて何にも楽しみがない、雨の日の職場だから!」

「真面目に仕事して下さい! 我々が向かってるのがまさに、その雨の元凶でしょうが! 」

「カリカリしてると皺が増えるよー。で、どうなの?」

「誰のお陰でカリカリする羽目になってるんです……毛嫌いするほどでもありませんが、どちらかというと嫌いな部類に入ると思いますよ。」

「そうかい? 私は結構好きだけどな。

よし、それじゃ次の質問。君はこの雨が誰の仕業だと思う?」

「『誰の』仕業か……ですか?」

 コンピュータの暴走は今の今まで原因は分かっていない。故障か、人為的なものか、それすらも。故に助手は、科学者の言葉に違和感を覚えた。

「先生は、これが人為的なものだと?」

「勿論! この私が作ったシステムだよ? 故障なんて天地がひっくり返ったってありえない!」

 とんだ自惚れだ。けれど目の前でさもおかしそうに笑う彼女は、胸を張ってそれを言う資格がある事を助手は知っていたので、さして不快に思う事はなかった。

「……さて、誰でしょうかね。こんな訳の分からん事態を引き起こした事を鑑みるに、まともな頭はしてないでしょうけど。」

「だね。とんだ愉快犯だよねぇ。」

「そもそも、延々と雨降らせて何が楽しいんでしょうかね? そいつも巻き添えを食らうのに。」

「よほど雨が好きなんだろうさ。それか、そうしてでも人が不愉快な顔してるのを見たいか。」

 言いたい事を言って満足したのか、科学者は言葉を切ってふと窓を見た。恐らく世界中の人間が既に見飽きたであろう、雨粒が植木を叩くさまを見ながら、彼女は口を開く。

「……その両方と言うのも、ありかもね。」

「何がです」

「ほら、さっき言ってた犯人像。きっと雨が好きで人が困ってるのを見たい奴なんだよ。」

「ああ……だとすれば余程の変態でしょうね、そいつは」

「君、失礼だよ。せめて変人と言ってやりなさい。」

「どちらも大して変わらんでしょうに。」

 悪戯っぽく笑った科学者だったが、不意にその笑みが性質を変える。表情から普段の幼さが消え失せ、僅かに影が差す。

「そうだね、途方もない変態だよ。そして実に馬鹿なのさ。『彼女』 は。」

「は?」

 助手が訝しむような声を上げたが、科学者はお構いなしに言葉を継ぐ。

「『彼女』 はね、物心ついた時からお前は天才だと聞かされ続けてきた。耳にタコができるくらいさ。そしてだんだん、それが重荷になってきたんだ。どんなに頑張ったって、出来て当然と看做されてしまったからね。

 その重荷を捨てたくて仕方なかったし、ちゃんと彼女自身を見てくれる誰かが欲しかった。」

「は……?」

「周りの人はみんな、作り笑いで薄っぺらい賛辞しか寄越さなかったけどさ、『彼女』は自分が褒められる資格なんてありもしないクソみたいな人間だっていうのはちゃんと知ってたんだよ。

 で、ある日思い立った。自分は人の役に立つような発明しかしてこなかった。じゃあ人が迷惑を被るような事をしてみよう、出来るだけ大きな規模で、ってさ。」

「────」

 ……当初こそ呆気に取られていた助手だったが、彼は日頃から科学者の破天荒っぷりに悩まされている分、冷静になるのは早い。

 もっと言えば、彼は確かに科学者の助手と言う地位に甘んじていたが、決して能力がない訳ではない。むしろ、並の研究者よりは知識も思考力もある。そして彼は、科学者のことをよく理解していた。


 だから彼はすぐに結論を導き出し、科学者の言葉を継いだ。


「そして自分の作ったプログラムに細工をして、止まない雨を降らせてみた。そうですね? ……何故雨なのかは疑問ですが。」

「笑うなよ、彼女は雨に憧れていたのさ。或る所では心から歓迎され、或る所では疎まれる。機嫌を伺うような媚びた笑顔しか見てこなかった彼女には、羨ましくて仕方なかった。」

「はあ、成程。……ところが周囲は彼女が思っていたよりずっと馬鹿で、誰もその犯人が彼女自身だと気付かなかった。あまつさえ、その対処も任せてしまった……と。」

「ご名答! で、1年経った結果が今。結局、本人がネタばらしする羽目になったのさ。」

 満面の笑みを浮かべる科学者とは対照的に、助手は重く深い溜息を吐いた。その様子に、科学者は更に面白そうに笑い声を上げた。

「笑っちゃうしかないだろう?」

「笑えませんよ!」

「いやー、これでもそれなりに苦労したんだよ? 人死にが出ないように、こっ酷い洪水が起こらないように雨量の調節したりさ……」

「その労力、もっと別の所に回して下さい!」

「やだ」

 あっかんべー、と小学生……否、幼稚園児のような反応を返す科学者に、助手はすっかり脱力した。座っているのに立ち眩みがする。

「何で俺に教えたんですか……」

「だって君、私がこんな事したら、私の機嫌なんかほっといて頭ごなしに叱ってくれるだろ?」

「そりゃ、まあ……」

「今までも散々君を怒らせてきたけど、君は私の事なんだかんだ言って嫌いじゃないみたいだし。」

 ゔ、と助手の顔が引き攣った。まあ、そのとおりだ。もし本当に嫌っていたら、彼はとっくの昔に彼女の元を去っている。

「嫌いではない、ですね。ええ。」

「私の事好き?」

「ド直球ですね。残念ながら、自分では分かりません。」

「ちぇー」

「まあ、放っては置けませんけど。……で? これからどうする気ですか。」

「んー、君は関係ない振りしてくれてもいいけど?」

「あんた放し飼いにしたら、何しでかすか分からんでしょうが」

「ひっどいなぁ! 人を猛獣みたいに……ま、いいや。今の私はとっても機嫌がいいからね!」

 おもむろに科学者はキーボードへ向かい、長ったらしいコマンドを一気に入力、エンターキーを叩くと、

「────あ。」

 瞬く間に雨音が止んだ。鈍色の雲はどこかへ散り、太陽が顔を覗かせる。曇り空ばかり見てきた目に、その光は暴力的なまでに眩しい。

「これで良し、っと。……さて、逃げようか!」

「は?」

「あと1時間ぐらいしたら、ネタばらしの動画が各国代表と報道陣に届くからね! かなーりフザケといたから、みんな怒る事請け合いだよ!」

「はぁ!? 謝罪会見……いや、あんたに限ってする訳ないか。逃げるったって、どうやるんです!」

「近くの駐車場にキャンピングカーがある。物資もある程度詰めといたから、しばらくは凌げると思うよ。」

「妙なトコで準備いいな!!」

 外に出れば、空に架かる巨大な虹。

「ほら、空も我々の旅立ちを祝福してくれてる!」

「いや、アンタがそう仕向けましたよね!?」

「なーんのことかなー?」

 怒鳴りながら、笑いながら2人は車に駆け込み、勢いよくドアを閉めて発車させた。

 あと55分、さてどこまで逃げられるか。2人の乗った車は可能な限りのスピードを以て走り出す。

「さて、マスコミの連中どこまで追っかけて来るかなー」

「知りません。ほら、シートベルト締めて下さい。」

「こんなとこに来てまで細かいねえ……」

「こうなった以上、お巡りさんに掴まるリスクは極限まで減らしたいんです!」

 暫くは2人とも無言だったが、車が高速道路に乗り、気持ちも落ち着いた所で助手は口を開く。

「ちなみに、いつまで逃げる気で?」

「んー、元からアカデミーに戻る気はないしなぁ。未定かな、うん。良いんじゃない? こんなスリリングなハネムーンってのも。」

「誰があんたと結婚するんです。」

「え、さっきのほっとけない云々てそういうつもりじゃないの?」

「冗談!」

「えー、困ったな。私は君のこと好きなんだけど。」

「え?」

 ……何やら前途多難な気配が濃厚な2人の旅路を、太陽光を反射して虹色に光る水滴が彩った。

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