第52話 柵越しの楽園

 アリスターは私のことを冷たい目で睨んでいる。


「おい!アリス!いい加減にしいや!これ以上因縁吹っ掛けんならウチも相手になっとうわい!」


「黙ってろ馬鹿ウサギ!!こんなバカ女に絆されやがって!今のお前とは口もききたくない!ひっこんでろ!!」


 私の前に立って庇ってくれたリズをアリスは後ろに小突いた。そしてアリスは私に額がくっつきそうなくらいに顔を近づけてくる。


「夢咲操。お前にイキリにはイラつくんだよ。ここのルールもマナーも何にも弁えないお前には虫唾が走る」


「ルールやマナーなんてものを口にするなら、私の源氏名をどうぞ呼んでくれないかしら?いい名前でしょ?貞って実に男の子っぽい名前じゃない?あなたのアリスターみたいに…。確か本名で呼び合うのはここのルールに反するのではなくて?ふふふ」


 挑発が自然と口に出るようになってきて思う。私はここにまったく順応できる気がしないんだ。いいや。きっともっと昔から、私は何処でも誰相手でも適応なんて出来てなかった。


「このクソアマ!誰がお前のくそダサい源氏名なんて呼んでやるもんかよ!…なんでお前はここに順応できない?ここの何が気に入らないっていうんだ?」


「何もかも気に入らない。ここの本質は刑務所と変わりがない。だから出ていく。それの何がおかしいの?」


「違う。ここはあたしたちサキュバスの楽園だ」


「はぁ?楽園?何処が?!ここの何処を見て楽園なんてあなたは言っているの?!自分の道を自分の意志で決められることもできないここは楽園なんかであるはずがない!!」


「お前は生まれながらの帝国市民さまらしいな?その上お勉強も出来て、大学にも行かせてもらってた」


「だからなに?帝国ならそれが普通よ」


「お前の普通は普通じゃない。…この世界じゃな!知ってっか?ここのサキュバスの半分以上は他所の大陸の出身だ。あたしも含めてな!」


 その話は知っている。ただ普段はあまり意識してない。


「三食まともに食える。仕事をしてもピンハネされない。屋根があって綺麗なベット。そしてここには何より暴力がない」


「それがなに?外だってそれが普通よ」


「いいや。普通じゃない。外の大陸じゃあ帝国みたいな清潔で安全で、何よりも文化的な生活なんて送れる方が珍しいんだ。サキュバスだったらましてやだろうな…。お前だってそうだろう?聞いてるぞ?男共が群がってきてトラブルになったそうじゃないか?言っておくけどな、帝国市民様は紳士的だ。だからお前に群がっても暴力は振るわねぇ。他所の大陸じゃサキュバスは悲惨だぞ。とくになりたててで魅了をコントロールできなかったりすると悲惨の一言だ。…どんな目に合うと思う?」


 アリスターの目は酷く冷たい。怨念と諦観と、そして私以外の何かに向ける怒りと。


「ガキのサキュバスは大抵レイプされる。その後しばらく玩具にされて、その中で男を魅了する術を学ぶ。そして自分を玩具にしていた男を殺してやっと自由を得られる。あたしと同じタイミングでサキュバスになったあいつはそうやって野良になって今も何処かを彷徨ってる。あたしは運が良かった。サキュバスになっても運よくひどい目に合わずに済んだ。そしてクイーンがあたしを見つけてここに連れてきてくれた。あたしの友達だったあいつはもう犯されてるからここには入れない。なあ?どっちが幸せだ?自由に生きる野良のあいつと、ここで男共相手に尻振って踊ってるだけでいいあたしと、どっちが幸せだ?」


 私は外の大陸へは行ったことがない。帝国で産まれたものは、大抵の場合外の国には行かない。第三次世界大戦後、帝国以外の多くの国は軒並み秩序を失い、紛争や動乱や経済不安が続いているという。実質的に帝国は鎖国政策を続けている。国際交流はかなり限定的になっている。国民もそれを望んでいる。外の世界は危ないから、身を守るために外から目を背け続けてる」


「ここの何が悪い?帝国様は所詮男共の玩具にしかなれないサキュバスに人権なんていうそれそれは高尚な玩具をくれたというのに。ここにいれば安全でいられる。尊厳を守って生きていける。なあ?アイドルって楽しいんだよ。外の世界じゃ犯され消費されるだけのあたしたちに男共は肌にも触れられないのに、みんなみんなみんなぁ!金を落としていく!娼婦にははした金しか落とさないのに!触れられもしない女の肉に!股をチラつかせているだけなのに!金を沢山落としてく!そとの大陸じゃ腐ったパンを食べたいがために乾いた股を開いて痛みに耐えてる女の子ばかりだっていうのになぁ!楽しくて仕方がない!あんな下らねぇ歌と踊りだけに男共はハマって金を落とす!男を軽蔑できるのは楽しい!馬鹿みたいだ!そうだろう?!だからここは最高の天国だ!外の世界じゃ玩具にしかなれないあたしたちサキュバスに尊厳を与えてくれた!皇帝陛下万歳だ!なあそうだろう!帝国市民様ようぅ!!」


 それはとても悲しい笑みだった。アリスターが見てきた地獄を知識としてなら、私も理解はできる。だけどクオリアとしてそれを理解できる日はもしかしたら私には来ないのかも知れない。


「お前はここを否定する。それはここにさえ入れない他の女たちへの侮辱だ。お前はここの仕事を毛嫌いしているんだろうな?だけど学もない、優しい家族もいない女たちがどうして食っていける?殴られずに済んで?犯されずに済む?それだけがどれだけ幸せなのかわからないのか?」


 ただ一つだけ。一つだけ。目の前のアリスターの悲しさだけは理解した。だから私が許せないのもわかった。別にいいんだ憎まれても嫌われても。だけど一つだけ。この子の言ってることを一つだけは否定しておきたい。


「貴方の言っていることはわかった。そうね。色んな現実があるんでしょうね。そう。私の悩みはきっと贅沢なのでしょう。でも一つだけ。貴方の言っていることを否定させて頂戴」


「あ?なんだと?はっ!言ってみろよ!!」


「あなたアイドルのこと本気で好きでしょ?リズと喧嘩してた時は嘘なんてついてなかった。独房の中で誰にも見られていないのに、ダンスに本気だった。歌の研究に真剣だった。…悲しいと思う。私を否定するのはいいわ。いくらでもどうぞ。でもね。私を否定するために、自分の好きなモノまで腐すのはやめなさい」


「…なっ!てめぇ!」


 激高したアリスターが私の胸倉を掴もうとした。だけどその手はいつの間にか傍に来ていたロミオの手に掴まれて阻まれてしまった。


「クイーン?!止めないでください!!この女は!あたしのことを!あたしたちのことを舐め腐ってる!!」


「だめだ。今回はお前の負けだよアリス。お前は好きなモノまで否定してまでこいつを否定しようとした。だから負けだよ。大人しく引け」


「でもぉ!でもクイーン!こいつはぁ!!」


 ロミオはアリスターの頬を優しく撫でる。まるで母親のような笑みを浮かべて。


「…わかってるよ。アリス。お前の気持ちはよくわかるよ。サキュバスなんてなるもんじゃない。お前はすごく頑張ってる。だからここは引け。ミサオへの指導はオレがやっておくからな」


 アリスターは何かを堪える様に俯いて、体を震わせていた。そしてロミオに一礼だけして、自分の閥のサキュバスを連れて私の前から姿を消した。


「ロミオ。助けてくれてありがとう」


「別にかまわねぇよ。オレはここの牢名主様だからな。ミサオ。オレはお前のことを源氏名では呼ばないことにした。だからパークのサキュバスはオレにならってみんなお前を源氏名で呼ぶことはないだろう。まあダサいってのもあるけど。…なんでだかわかるよな?」


 ロミオはどこか悲しそうに目を細めている。ロミオは私のことをこのパークの構成員とは認めないことにしたのだろう。矯正の対象。共同体の敵であり、すなわち調教対象だ。


「そうね。呼ぶことなんて出来ないわよね。ロミオ。ごめんね。私は本気で外へ出ることを目指すことにしたの」


「そうか。じゃあ改めて言っておこう。わたくし牢名主クイーンとしてお前の柵抜けを絶対に認めない。お前がエンプレスを目指すならば、お前の首に必ずわたくしが首輪と鎖をつけてやろう。だから諦めろ。クイーンを超えることは絶対に出来ない。いいな?はやく諦めろ」


「私は諦めないよ」


「そうか。なら今はいいよ…。でもいつかお前もオレみたいになるのさ。ここにいるのが一番幸せなんだって気がつくんだ」


 私たちはこの牢獄に囚われ続けなければならないなんて思いたくなかった。自分の意志を曲げてまで、したくないことをし続けなければいけないのか。生まれ持った属性に足を引っ張られ続けなければいけないのだろうか。答えは簡単には出てくれそうにない。だからふとユリシーズの方へ私は目を向けた。あいつはこのパーティーの間もずっと私を見ていた。ユリシーズも今のを見ていただろう。だからこそ悲しそうに笑っていた。彼女の目が問いかけている。『諦めれば楽になれる』と。だけどやっぱりそれは違う。


「諦めたら…楽にはなれないよ…だから私は…!」


 私は必ず次の試合に勝って証明してみせる。私が正しいのだと。きっと。

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