第36話 それは確かにエゴだけど

 決闘が決まったその日の夜。私は居住区の中をランニングしていた。寮とその近くにある商店街モドキの横を抜けて走る。サキュバスになって以降私の体力は大きく向上した。それでもやはり基礎訓練を積んでちゃんと底上げはしておきたい。そういう意図からだった。そして3㎞程走って引き返してきて寮に戻ってきた。これで往復6kmをかなり早く走ったのにちっとも息が切れてない。そしてランニングを終えた私は寮の近くにある体育館にいった。外観も中もまるで市民体育館そのものだった。結構利用者が多くてスポーツに興じる楽し気な声があちらこちらから響いている。私は利用チケットを買って柔道場に入場した。中には誰もいなかった。運よく貸し切り状態になったのはラッキーだった。私は持ってきた木刀を構えて、以前クラスの男子から盗んだ剣術の型の演武を行った。不思議な感覚だった。これらの型を私は今まで一度たりともやったことはない。なのに体はスムーズに動いてくれた。知識であり同時に体に染みついた技能になっている。サキュバスの技能コピーは相手の経験さえもコピーできる。とてもズルい技だと言わざるを得ない。


「へぇ。しっかりやってるじゃないか」


 入り口の方から声がして振り向くとそこにはオリヴィアさんがいた。私は演武を続けながら言った。


「オリヴィアさんどうしてここに?今日はもう定時じゃないの?」


「そうさ。これから帰るんだけど、あんたがここに行くのを見かけてね。聞いたよ、ユリシーズと戦うんだろ?」


「ええ、そうです。私はユリシーズをぶっ潰すことにしたんです」


「ぶっ潰すねぇ。それはまたどうしてだい?」


「あいつの『媚び』が気に入らない。あいつは間違ってる。だから潰す。あとついでに私がエンプレスになるためのポイント稼ぎの的になってもらいます」


「あの子が間違ってるねぇ…。なあ逆に聞くけど、ならあんたは正しいのかい?」


「ええ、私は正しいです。…そう思わなきゃ勝てません。それに」


「それに?」


「私があいつに勝って、正しいってわからせてやれれば、あいつだって多少は変われるんじゃないですかね。無駄ですよ。見てくれもしない人相手にここでアピールし続けるなんて哀れすぎます」


 私は演武を終えてオリヴィアさんに体を向けてそう言った。


「そうかい。つまりあんたはあの子を憐れんでるわけだ。そりゃああの子も怒るよ。新入りが上から目線で今までのやり方を否定してきたらそりゃ怒る」


「でも私なりには彼女に共感したんですよ。それにユリシーズは私自身の母親への思いに気づかせてくれたきっかけになったんです。ここでも家でもそうだった。いい子のままでいても母親は頭を撫でてくれないんですよ。だからこっちから行かなきゃ。ユリシーズはここでずっと足踏みしてる。なら尻を思い切り蹴飛ばしてやるって思ったんです。私もあいつもマザコンはいい加減卒業しなきゃね」


 私自身母へのわだかまりが完全に溶けたとは言い切れない。言ってやりたいことはたくさんあるってやっと自覚しただけに過ぎない。実際出来るかどうかはまだわからない。だけどきっと出来るはずだと私は信じたい。母が私に複雑極まりない感情を持っていることはわかってる。嫌いだし憎いんだろうってこともわかってる。だけど私は母が好きなんだ。大好きなんだ。


「それは善意の押し付けだし、あんたのエゴだって自覚はあるのかい」


「ええ。ありますよ。でも私は正しいってこれからは考えることにしたんで」


 私が母を愛しているように、ユリシーズもまた母親を愛しているはずだ。だけどそれに囚われて欲しくない。ユリシーズはそれ以外のことも考えるべきなんだ。皆に愛される女になれば、母も愛してくれるなんて幻想だ。そんなのは何の因果もないただの願望に過ぎない。だからその思い込みを正してやろうと私は思う。それは勝利以外では証明できないだろうけど。


「イキリビッチとはよく言ったもんだね。でもあんたみたいな子は本当に珍しい。サキュバスの子は良くも悪くも素直でマイペースな子ばかりなんだ。だからあんまり他人に深く干渉したがらない子が多い。あんたは深く他人に関わろうとしてる。もしかしたらそれはユリシーズとってもいいのかも知れないね。あの子はサキュバスたちにも慕われてるけど、誰かと深く仲良くなったことがないんだ。いつも一人ぼっちだ。あんたなら寄り添えるかもしれないね」


「傷の嘗め合いはしません。自分の傷は自分で嘗めてもらいます」


「それでもそれを見ていてくれる人がいれば痛くないだろうさ。心の痛みに一番効くのは他人の慈しみと温もりだよ。あなんたはユリシーズの心に踏み込んでいった。あの子はそれを受け入れた。それが互いを癒し合うきっかけになるだろうさ!」


 オリヴィアさんは優し気に笑った。この人も私に寄り添ってくれていた。それは確かに私にとって確かに救いになっていたんだろう。人はこういう風につながっていくのかも知れない。まあ今やサキュバスなんだけどね。


「ところであんたがやってた演武なんだけど、それって光辰流なんじゃないかい?」


「あら。よくご存じですね。そうですよ。学校のクラスメイトからコピーしたんです」


 私が盗んだ剣術の流派は光辰流と言われている。学生異能格闘競技では割とポピュラーな流派らしい。なおあの男子とクラスの女王は同じ道場の出身で部活も一緒。まさにリア充。


「コピー元の男子は結構腕がいいみたいだね。私の見たところ免許皆伝レベル、全国大会でも上位。プロでもC級くらいまでなら通用するはずだよ」


 びっくりした。オリヴィアさんの言っていることは全部当たっていた。コピー元の男子は確かにプロの下位レベルなら通用するって言われているレベルの高スぺ男子だ。


「なんでそこまでわかるんですか?私のクラスメイトの情報とか閲覧しました?」


「そんなもん調べなくても、あんたの剣筋見ればわかるよ。でも困ったね。その剣術ではユリシーズのことを倒すのは難しいよ。わかるだろ?この間パークで戦った時にあんたは古武術のテクニックに嵌められたって聞いてる。サキュバスのコピー能力はオリジナルとまったく同じものを再現できる。だからこそそれを超える技を使われるといきなり対処できなくなる。学生剣術では古武術や軍隊格闘を習得しているユリシーズ相手には心もとない。このままだとあんたは確実に負ける」


 まったくもっておっしゃる通りだった。すでに私は一度ユリシーズに負けている身だ。だからこそ今ここで訓練しているわけだ。


「でも現状はこれ以外に使える技能がないんですよ。あとはわたし自身の攻撃魔法くらい。だからこそ今使える技の精度をより上げていくべきだと思うんです。剣術を主体に魔法攻撃を混ぜて戦うのが今の戦術です」


「サキュバスのあんたはそんなせせこましい戦術を取らんでいい。むしろ小さく閉じこもっていては駄目だ」


「そんなこと言われても…。オリヴィアさんだって素人ですよね?とりあえず今は持ってるカードで勝負するしかないんです」


「いいんや。それじゃ絶対に勝てない。何なら今からそれを証明してやろうじゃないか」


 そう言ってオリヴィアさんは私が持ってきた予備の木刀を手に取り、私に向かって構えた。不思議と様になっている。


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