第8話 居住区

 朝食を終えて私はロメロ先生に連れられて、管理棟の外へ出た。

 これから私が住むサキュバスの居住区へ案内するという。

 私たちの行く先に高い壁が立っているのが見えた。

 城塞都市。そんな言葉を想起させられた。あるいは監獄か。


「先生も他の男もそうなんですが、サキュバスの魅了の力はすごいですね。私みたいなブスでもあったばかりの男の人にさえ命令が出せるんですもの。どんな原理なんでしょうか?こんなに強力な精神操作が可能な異能なんて聞いたことないです」


「君の自称ブスにはだんだん慣れてきたな…。ちなみにサキュバスの魅了は容姿や身体の性的魅力、そして身体の仕草の動作や声色、視線、表情などから導かれる純然たる身体技能に過ぎない。魔法や超能力は関係ないんだよ。その魅力は異能の力ではないんだ。本当にただの魅力でしかないんだよ。名俳優とか売れっ子芸人とかと同じだよ。ただ自然と好きになるだけ。それが強すぎるだけなんだよ」


「…信じられない…」


「でも事実なんだ。あとでそれらについての査読論文を送ってあげる。読んでみてくれ」


 査読付きの論文が出ているということは、事実なのだろう。

 ということはサキュバスの魅了は、例えばなんらかの魔導や超能力の防壁などではレジストできないということになる。

 それは社会にとっては恐ろしいことなのではないだろうか?

 どんな綺麗ごとを口にしても、この世界の権力は男が握ってる。

 だからサキュバスが権力者に近づいたらどうなるか?

 対抗できないまま気がついたら社会システムを掌握されてしまう。

 隔離を考えるのはごくごく自然に思える。


「君はサキュバスであることを受け入れていないみたいだね」


「私は淫らでふしだらな女じゃないんで」


「…そうだね。でもここにいる子たちもみんなそうだよ。外の女の子たちと変わらないんだ。そして君と同じ。それだけは忘れないで欲しい」


 そして高い壁に囲われた居住区のゲートの前に着いた。

 壁の周りを人型起動兵器が哨戒している。さらにはドローンが飛び回っていた。

 きっと中から外へ出さないようにするためにやっているんだろう。

 こわいから閉じ込めてる。


「ロメロ先生、その子が新入りかい?」


 ゲートの向こうから一人のおばあさんがこちらにやって来た。

 守衛の女性兵士はお婆さんを素通りした。


「そうです。名前は夢咲操」

 

 私はロメロ先生の紹介に合わせて、お婆さんにお辞儀をする。


「それは人間だったころの名前だろ。そんなの聞いてないよ。私は源氏名を聞いてるんだよ先生」


「まだ決まってないですね。それはおいおいってことで」


 源氏名?何を言ってるんだろう?というか私の名前をスルー?失礼過ぎない?


「ならいい。新入り。私はこのサキュバス居住区の管理人の…」


「あっ。別に自己紹介はいいです!あなたの名前覚える気、私ちっともないんで!」


 お婆さんは口をあんぐりと開けて、ロメロ先生は首を振っている。

 人の名前をスルーするような人はババアで十分だ。


「ロメロ先生。なんだいこのはねっ返りは…。ここで長く働いてるけどこんな奴初めてだよ」


「…慣れてないだけです…。温かく見守ってあげてください。何かあれば僕にすぐに連絡を」


「わかったよ。まあいいさ。ここには気の強い女しかいないんだ。これくらい元気ならまだ見込みはあるかもね。新入り、ついてきな」


 お婆さんはそう言って、再びゲートの中へと戻る。

 ここを超えるのは正直怖い。

 二度と外へ戻れない。そんな気がする。

 話を聞く限りだと、ある程度の外出は認められてるみたいだけど、気分的にはまるで終身刑だ。


「大丈夫。怖くないよ。何か困ったことがあったらすぐに僕に連絡して。必ず助けになるからね」


 ロメロ先生は相変わらず優しそうに微笑む。

 不思議と心がじわっと暖かくなったような気がした。


「じゃあ、またね先生」


「うん。またね、夢咲さん」


 私はゲートをくぐり、居住区の中に収監された。




 ゲートの中にあったのはよくある郊外の田舎町みたいな風景。

 だけどそんなごく一般的な風景の中に、監視ドローンや警備の人型起動兵器がうろちょろしている。

 実に風情の無い光景。

 田園風景の中に家やら、アパートやらがちょこちょこと建っている。

 私は先を歩くお婆さんの後ろをついていく。


「あんたは後天型なんだってね」


「はい。そうですが、それがなにか?」


「なら忠告しておく。外で当たり前の考え方をここでは出すな。あんたは人間の世界で長く生きてきた。だからここの常識とは絶対にかみ合わない。だがそういうのはちゃんと自分の中に抑えろ。そして他のサキュバスたちと絶対に無用なトラブルは起こすな。お互いに配慮し合うんだよ。いいね?」


「…はあ。まあ大丈夫です。別に誰かと仲良くするつもりとかないんで」


「そういうのが駄目だって言うんだけどね…。あんた人間だったころから友達いなかっただろ?」


「いましたよ。そこそこは」


 付属校の方には一応お友達とかもいる。

 いわゆる地味なグループで、派手ではないけど、趣味で盛り上がれる落ち着いた関係。

 普通だったと思う。

 地元の小学校とかの同窓生とはたまに会ったりもするし。

 濃いとは言い難いけど、他人との繋がりはあった。


「ふーん?そうかい?そんな気がちっともしないけどね。上っ面ばかり合わせてるような感じがするよ。とにかくトラブルはごめんだ。私は定時に帰って孫たちと戯れたいんだ。よけいな仕事を増やすんじゃないよ?いいね?!」


「はいはい。わかりましたよ」


「ずいぶんと可愛くない子が来たもんだね。サキュバスの子はみんな愛想がいいんだけどね…。あんたみたいなひねくれものは初めてだよ」


 愛想ではなく媚びを振りまいているの間違いだろう。

 おばあさんの有難いご忠告を聞き流しながら歩いて十分ほどで、周りより少し大きめのマンションについた。


「ここが居住区の中央管理棟兼女子寮。主に派閥に入っていない子やここに来て日が浅い子が住んでる」


「派閥?」


「ここのサキュバスたちには派閥があるんだよ。女子グループみたいなもんさ。だけど外と違ってかなりシビアだから、あんたも所属する派閥は十分吟味しな。ときたま派閥に馴染めずに、パークにいずらくなって、他の都市のパークへ引っ越しすることになる子もいるからね」


 刑務所の中は外の世界のマフィアとかやらかした犯罪やらでグループ作って群れるっていうけど、そういうのと同じなのかな?

 お婆さんについていき、管理棟の中に入る。

 エントランスは大学のクラブハウスみたいな雰囲気があった。

 ソファで駄弁っている女の子やテレビを見ている子やカードで遊んでいる子たちやらがいた。

 皆外で見かけたら、女の私でも振り向いてしまうだろう絶世の美人たちばかり。

 本当にここはサキュバスたちの住処なわけだ。

 そしてお婆さんは私をとある部屋の前まで連れて行った。


「ここがあんたの部屋」


 カードキーを翳して扉を開け、二人で中に入る。

 中はけっこう広かった。リビングとベットルームの二部屋。とりあえず過ごせるだけの家具はちゃんとそろっていた。

 キッチンもあるし、風呂とトイレもある。至れり尽くせり。


「お家賃はおいくらですか?」


「刑務所みたいなここに家賃なんてあるわけないだろ。まったく、女の子らしくない皮肉屋だね!あんたの実家からスーツケースが届いてる。当面の生活にはこれで困らないだろ」


 たしかに部屋の真ん中にスーツケースが置いてあった。

 当局はすでに実家に手を回したわけだ。


「それとこれを返すよ」


 お婆さんは携帯電話を私に渡す。というかこれ私のだ。事故で吹っ飛んだのかと思ってた。


「今後あんたたちの通信はすべて監視対象になるからよく覚えておきな。あんたのその携帯も監視用のアプリが政府によって仕込まれてる。どんなに巧妙なズルをやっても必ず気づかれるから注意しな。一月に一人はデートアプリを使って懲罰房行きになってるからね。実際に出会う前に捕まるから、やるだけ無駄だよ。覚えておきな」


「そんなもの使う気ないですよ。くだらない」


 しかし相手の男が可哀そうだ。

 サキュバス相手なら100%セックスできるだろうにね。

 そのチャンスが潰えたことを憐れんであげよう。


「あとはこれ。この居住区についての案内と、パーク入所者へ配る規則マニュアルと、サキュバス保護法の写しだ。外出とか通販とかはここの管理室に来て手続きすること。いいね?わからないことがあれば、管理室へ来るんだ」


 お婆さんはいろいろな冊子をリビングのテーブルの上に置いていく。


「ところであんたはまだ学生らしいね。そう聞いてるよ」


「ええ。ウェスタリス大学にいます」


「ほんと鼻につくね。学歴自慢なんて女の子のすることじゃないよ!」


 だけど努力して難関の試験を何度も潜り抜けてあの大学に入った。

 私にとっては大きな自慢なんだ。


「あんたの学校についてだけど、政府からはしばらく登校を控えるようにと連絡があった」


「むしろ通ってもいいんですね。退学になるのかと思ってましたよ」


「サキュバスの隔離は必要最小限にというのが、お偉いさんたちの考え方だよ。帝国は国際社会の人道と正義を尊重するっていうのが国是だ。サキュバスにも当然人権は認められてる。認められないのは恋愛の自由とセックスの自由。だからここに乙女の花園を造った。男の目に届かせないために」


「そうですか。私には関係ないのにね。そういう自由」


 他の馬鹿たちが男を咥えこむことばかりを考えてるから、私のような真面目な女が損をする。

 みんなが性欲を自制できるなら、隔離なんて必要ないのに。


「はぁ…ロメロ先生が心配するのも無理はないね…。あんた歪んでる」


 お婆さんはやれやれと言った感じで首を振った。それは出来の悪い孫を見るようなどこか生暖かな感じだ。


「管理棟の他の施設も案内するよ。ついてきな」


 他にやることもないので、私はお婆さんについて部屋の外へ出た。

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