第7話 彼女の歪み、そして呪いについて


 朝からコンビニ弁当なんて、母が聞いたらきっと叱られるだろう。

 だけど昨日からの騒ぎを考えるとこういう食事ができることに安心感を覚えざるを得ない。


「さて、君はサキュバスになっちゃったわけだけど、何か聞きたいことあるかい?なんでも答えるよ」


 ロメロ先生は人を安心させるような笑顔でそう私に促した。

 この人は本当に信頼できる優しい人なんだ。

 よく見れば左の薬指に指輪がある。

 きっと奥さんにも優しい。…もしかしたら愛人にも…。

 いけない、また変な方へ思考が飛んだ。

 男性を見たり考えたりするたびに、どうにも性的妄想が湧いて出てしまう。

 これがサキュバスの特性なのだろう。忌々しい思考を強いてくる。呪いとしか思えない。

 こんなのは本当の私じゃない。

 だからこそ知りたい。

 なんで私がサキュバスなのか?

 恋愛や性のことなんていままで考えたこともなかった。

 男性に好かれたこともないブスだし、向いているとは思えない。

 私に淫乱な素質はない。

 

「どうして私はサキュバスになってしまったんですか?」


「当然それは気になるよね。結論から言うと、科学的には未だに後天的にサキュバスになる原因の特定には至っていないんだ」


「私は実験室で高濃度の魔力に晒されましたけど、あれは原因ではないんですか?」


「それはあくまでも条件の一つかな。後天的にサキュバスになった人たちには共通する項目がある。まず一つは魔力、あるいは気功などと言った異能のエネルギーに、超高濃度、超高密度で暴露すること。だけど同じ条件下であってもサキュバスになる人とならない人がいるため、十分条件ではない。君の場合もそうだね。君が暴露した薬品については調査したけど、同じ薬品による暴露事故はいくつも発生してる。だけど君だけだね、サキュバスになったのは。だから被害者に何らかの因子があって、それが暴露事故で目覚めるっていうのが今のところの有力な仮説かな」


 サキュバスの因子。そんなものを持っていたなんて言うのは信じたくない。

 だけど例えば魔人や吸血鬼に後天的になってしまうケースはあるので、同じようなものなのかも知れない。


「因子については調査してるけど、興味深いことに遺伝的要因では無さそうなんだよね。ゲノム調査をしてもちっとも共通遺伝子が括れないんだよ。そういう意味では最近は研究が行き詰っている様相も呈してる。いはやはなかなかうまく行かないものだね。まあ研究なんてそんなものかも知れないけどね」


「確かに研究はそういうものです。だからこそ面白いんです。私はそう思います」


「そう言えば君も研究者だったね。その年で修士を取ったのは優秀だよね。すごいよ」


 勉強について褒められるのは嬉しい。まだ母は私の勉学についてその成果を認めてはくれてないけど、やっと他の人たちには認められるようになれた。


「ありがとうございます。あと他にも共通項があるんですか?」


「…容姿」


「容姿?」


「女性に向かって話すには不愉快なことなんだけどね。後天的にサキュバスになる子はみんな容姿端麗でスタイルがいいんだ。例外はない。100人が100人。美人だ、可愛いと褒める子ばかりがサキュバスになる」


 …気持ち悪い。なんだろうね。

 私はこの人のことを信頼しかけたのに、これはない。


「あまり冷たい目を向けて欲しくないんだ。これは残念ながら科学的事実なんだよ。昔あったよ。同じ暴露事故で美人な子はサキュバスに、残念ながら美人でない子は死亡。なんていうこともね。今までの統計的観測から導かれる科学的事実だ。受け入れて欲しい」


「その仮説は間違いでしょうね。観測事例の積み重ねにバイアスがあります。私という別に容姿に優れていない女がサキュバスになってしまい、反証となったいま。その仮説は反駁されました」


「君は自分をブスだというけど、飛びぬけて綺麗な顔をしているよ」


「ならサキュバスになって顔が変わったのでは?というかブスに向かって美人というのやめてください。そうやってチヤホヤしてセックスしようとしてるんでしょ?男はブス相手でも体だけを楽しめるって聞いたことがあります。母が言ってました。お前のようなブスを誑かす馬鹿な男が沢山いるって、綺麗だって嘘をつかれたら、決して許すなって!」


 母は私のことを心配していた。醜い女であっても体には価値がある。

 残念なことに私の乳房は人より大きい。

 なんでこんなものをありがたがるのかはわからないが、男たちはこれが好きらしい。

 言葉巧みにブスの自尊心をくすぐって、胸にむしゃぶりつきたいのだという。

 だから母は私にこの世界の悲しい真実を教えてくれた。

 それに対抗する術も。


「君の考え方は随分歪んでるね。まず言いたいんだけど、サキュバスになる前後で顔が変わることはないよ。なぜ自分の容姿を蔑む?謙ったりしているわけじゃないよね。本気で思ってる。どうして?」


「いままで誰も私の容姿を褒めたことなんてないですよ。母だって私を可愛くないと言ってました。家族が嘘をつくわけないんです。私はブスです。可愛くない子なんです」


 弟は綺麗な顔をしているのに、私は綺麗じゃなかった。

 母も弟のことを美しいと、誇りだと言っていた。


「…そうか。君はどうやら、身近な人に呪われてしまったようだね。…今はいい。ゆっくりと解きほぐしていければいいのだけど…」


 先生は気まずげにしている。

 やっと自分がやっていることの愚かしさに気づいてくれたようだ。

 今後はこういう下心を見せないでもらいたい。

 そうすれば私はこの人を信用し続けられるのだから。


「まあとにかくサキュバスになる理由は未だによくわからない。だけどその危険性は十分に認識されている状態だ。だからこそ、このパークが造られた。君たちを社会から隔離して、成長させないためにこの監獄が用意された。ただ刑務所とは違ってかなり多くの自由は認められてる。ルールさえ守ってくれれば快適に過ごせるから安心して欲しい」


 昨日聞いた話は俄かには信じられなかった。

 だけど政府が公金を投入してやっているということは残念ながら真実なのだろう。

 確かに合理的だ。野良のサキュバスはどうしようもないだろうけど、将来的に脅威になるであろう存在を隔離することは理には適っている。


「大人としては申し訳ないけど、君たちの人権の一部は停止せざるを得ないんだ。今のところは政治情勢が悪すぎる。本当に申し訳ない。僕たちを許さなくていい。君たちは犠牲者だ。本当にすまない」


 ロメロ先生は私に向かって頭を下げる。だけど私にはこの人が頭を下げる謂れはないと思った。


「そんな頭を上げてくださいロメロ先生。先生は悪くないです。先生は私のことを助けてくれました。それに私はともかく他のサキュバスたちは危険でしょう。社会の脅威です。無理もないです」


 私みたいに男に近づかないと決めているのなら、ともかく他の女がサキュバスになったら危険だろう。

 際限なく吸精して、男と寝まくって強くなって社会に危険を及ぼす。

 そんな奴らのせいでここに放り込まれたと思うとやるせない。

 何故社会のモラルを守らずに淫蕩に侍るのか?

 まったく理解できない。


「いや。別に他のサキュバスたちも、特に社会にとって大きな脅威ではないよ。極一部に社会に馴染めない者がいるだけで、むしろ普通の人間よりも犯罪率は低いくらいだ。野良の子たちもひっそりと生きてるだけだ。サキュバス脅威論なんて偏見の産物なんだ」


「でも街を滅ぼしたりするんでしょ?最近も他所の大陸でそんな事件が起きたって」

 

「そういう個体もいる。だけどそういうのは本当にごくごく一部だ。よく猟奇殺人がニュースを騒がすよね?でも人間全体がそうであるわけない。それと一緒。だいたいこの間の都市壊滅事件だって、サキュバス側の自衛だった。バカなのは最強気取りの真祖の方だ。わざわざひっそり生きていたサキュバスを探し出して喧嘩を吹っ掛けたんだからね。生きるために周りを犠牲にしてしまったことを僕は一概には責められないよ…。サキュバス絡みの大規模抗争は彼女たちに責任がないことがほとんどだよ。積極的に事件を起こすサキュバスはほぼいない。皆慎ましく生きてるよ」


 この人は何処かのサキュバスに魅了されているんだろうか?

 可哀そうに。私自身このサキュバスの力に翻弄されている。 

 だからこそわかるけど、他の女がこれを手にしたらきっと暴れまわるだろう。

 男たちを転がして、社会を乱すことにきっと快楽を覚えるはずだ。

 母は言っていた。男に取り入って権力を得ようとする女こそが社会の敵だと。

 母は立派な人だ。自分の力で業績を上げて、男以上に出世した女。

 だけどそんな母の邪魔をするのは、いつも顔と体ばかりが取り柄の淫らな女たちだったという。

 男に取り入ってかりそめの権力を得て、母の仕事の邪魔をするのだ。

 サキュバスはそういう生き物だ。真面目に生きている女たちの敵だ。


「そうですか…。でも私はそうはなりません。私は模範的な市民です。他のサキュバスとは違います!絶対に社会の脅威にはなりませんから!安心してくださいね!ロメロ先生!」


 とにかく状況はわかってきた。だけど私はきっとうまくやっていく。 

 こんなくだらない淫らで気持ち悪い力に振り回されたりしない。 

 私は正しい女なのだ。他のサキュバスとは違う。

 


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