第3話  逃走とサキュバスの自覚

 

 先生が今言ったことが信じられなかった。

 信じたくない。サキュバス。男の精気を喰らって生きる淫魔。

 私がそんなふしだらな存在になってしまっただなんて。


「何かの間違いでしょ…。あの先生が倒れたのだって、私のせいとは限らないんじゃ」


 だけどさっき確かに彼から私に何か力のようなものが流れ込んだのを感じた。

 そして空腹は消えた。

 

「なら君の姿を自分で見てみればいい。もう見て見ぬふりは出来ないってわかるからね」


 先生は窓際に歩いていき、カーテンを思い切り開ける。

 外はすっかり暗くなっている。

 少し離れたところに大学の建物が見える。

 今更ながらにここは大学付属の病院だったと知った。

 

「え?なにこれ…そんな…」


 窓ガラスに私の姿が映っていた。いつも鏡で見る顔の上に角が生えていた。

 おそるおそる頭に手を伸ばす。それは確かに存在していて、手に触られたという感触さえあった。

 さらに首から下に目を向ける。

 病院衣の背中の所が膨らんでいた。何か背中に今までとは違う感触も感じた。それは自分の意志で動いた。

 窮屈だと思ってさらに強く動かしたら、病院衣がびりびりと破れてしまった。そして目に映ったのはブラだけの私の上半身と禍々しい蝙蝠みたいな羽。


「ひっ…!」


 自分の羽なのにまるで悪魔のように見えて怖かった。その羽には人を恐れさせる何か根源的な恐怖が宿っているとしか思えなかった。

 そしてお尻にも新たなる感触があった。尾てい骨がそのまま伸びたような違和感。それに力を入れるとその姿が窓ガラスに映った。矢印みたいな形の先を持った尻尾。

 

「…馬鹿げてる…」


「後天型のサキュバスの子は、吸精行動がきっかけで角と羽根と尻尾が生えてくるんだよ」


「うそよ。うそよ。うそ、うそ、うそ、うそうそうそうそ!こんなのうそに決まってる!」


「残念だけど現実なんだ。ところでさ。大事なことを確認したいんだけどいいかな?」


 先生はやたらと神妙な顔をして私に尋ねてきた。

 まだ何かこの状況で深刻な問いかけがあるらしい。


「何ですか…?」


 私は続きを促す。これ以上状況が悪化するなら、いっそしてしまえばいい。そんな自暴自棄な感情を持て余しながら先生の問いを待つ。


「君って処女かい?」


 ……………きも。

 

「すまないが真面目な質問なんだ。君は処女かい?答えてくれ」


 嫌悪感が行き過ぎると感情が凍るのだと初めて知った。

 この人には不思議と好感を抱けたのに。


「そんなのあなたに関係あります?私が処女かどうかがあなたには大切なんですか?気持ち悪い」


「僕だって気持ち悪いこと聞いてるのはわかる。君の言う通り。僕にとって君が処女かどうかは大切な事じゃない。だけど君にとっては大切なことなんだ」


「気持ち悪い。あなたのこと気持ちわるい。そんな人に答える義務はありません」


「だめ。ちゃんと答えて。男を知ってる?知らない?」


 馬鹿にしてるよねこの人。

 私が男に恋されたり好かれたり愛されたりするような顔してるように見える?

 どうせ男と付き合ったことなんてないってわかってて聞いてる。

 セックスどころかキスさえない。

 さらに言えば学校行事でさえ手をつないだことがない。

 男なんて知らない。

 だって彼らは私のことを嫌って避けてきたんだから。


「私の顔が男に好かれるように見えますか?そう思うならあなたには美的感覚の狂いがあります。残念ですね!でも世の中はブスの方が圧倒的に多いですから、私のようなブスが男を知ってると思えるあなたはきっと幸せに生きられますよ!羨ましい!私は処女です!嬉しいですか!でも気持ち悪いあなたには捧げません!!初めて男の人をフレました!貴重な経験ありがとう!」


「随分と捻くれてるし拗らせてる。だけど処女であるのは嘘ではなさそうだ。…しかし変な子だね。そんなに綺麗な顔なのに自分を醜いと思っているのかい?…まあいい、これで心置きなく拘束できる…」


 鏡を見れば自分がブスかどうかなんてすぐにわかる。

 男と違って私は自分をちゃんと客観視できるんだからね。

 そしてブスを綺麗っていえる男は性欲に支配されたクズ!

 そんなどうしようもない愚痴を心の中に垂れ流している時、突然病院内にじりんじりんと警報が鳴り始める。


「なに?火事なの?」


「違うよ。これは君の捕獲指令。一応ここは大学内だからね。君を捕まえるにあたって起きる騒ぎを火事みたいな割とよくある事件とかでカモフラージュしたいんだ。サキュバスが出たっていうのは、世間的には一大事だからね」


「私を捕獲…?!」


「救命士が君の救命処置してた時に、足やら腕やらが突然治ったって報告があった。だから実は君がサキュバスの可能性は最初から疑ってた。だからこの病院にはすでに他の患者はいない。いるのは軍の兵士たちと僕たち専門家チームだけ。今から君をサキュバス保護法に基づき拘束します。抵抗はしないで欲しい。無駄だし痛い思いをするだけだからね」


 そう言って先生はベットの端に腰を下ろした。私のことをなぜか申し訳なさそうな目で見てる。

 そしてすぐにマスクを被ったフル装備の兵士たちが部屋の中に突入してきた。


「対象発見!これより捕獲する!」


 兵士の一人がそう叫び私に銃を向けた。

 撃たれてると思ったとき、すぐに体が動いた。

 もともと運動は得意じゃないはずなのに。

 私はベットから窓に向かって思い切り跳ぶ。

 窓を突き破り、地面に落下していく。

 だが無意識ながらに羽が動いて、それが浮力を生み地面に柔らかく着地できた。

 

「対象が下りてきたぞ!抜刀せよ!狙撃班はすぐに撃て!撃て!」


 兵士たちが剣を抜いて私に斬りかかってくる。だけど不思議だった。誰もかれも遅く見える。

 私は迫ってくる剣のすべてを避け、兵士たちを躱し、走る。


「くそ!車出せ!いや!起動兵器だ!市街地に出られたら終わりだ!いそげ!いそげ!」


 今更ながらに気がついたが、兵士たちはどうやら全員女らしい。

 だが今はそんなことどうでもよかった。逃げなきゃ捕まる。

 捕まったらどうなるのか?それを想像するのが恐ろしかった。

 走る。とにかく走る。兵士たちと遭遇するたびに躱してひたすら走った。

 キャンパスを通り越して、私は校門に辿り着く。

 そこにはバリケードを張る警察とそこに群がる野次馬たちがいた。

 私は彼らに向かって走り、バリケードの前でジャンプする。

 その時羽がまた少し動かせた。浮力が発生して人ごみの上をふわりと浮いて、それで超えることが出来た。

 だけどまだ羽の動かし方になれない。すぐに疲れてしまい、地面に下りてしまった。

 ずっと飛べていれば楽なのに…。


「え?女の子?」「今飛んでた?すごくね?え?羽?」「てか見ろよ!めっちゃかわいい!」「ブラだけじゃん!しかもでかい!」

 

 野次馬の男たちが私の方をいやらしい目で見てる。私はとっさに胸を手で隠すが、それは相手を無駄に興奮させるだけだったようだ。

 男たちは携帯を取り出して、私の方をパシャパシャと撮りはじめる。私は撮っていいなんていってないのに!


「つーかあれサキュバスじゃね!?」「ほんとだ!羽あるし!角も生えてる!」「尻尾かわいいし!」「あんな美人みたことねー!」


 サキュバスは怖い生き物。そうニュースや新聞で見てきた。健全な社会を蝕む害悪。だけど男たちからすれば、好奇の対象らしい。

 写真を撮りながらこっちの方ににじりよってくる。怖かった。だから大声で叫んだ。


『こっち来ないで!』


 不思議なことに彼らはそれで止まった。それどころか何かおどおどするように、私に許しを請い始めた。


「ごめん。その…」「いやな思いさせちゃった?ごめんね」「あやまるよ。許して」


 不気味なほど素直に従う。なんなのこれ?彼らの顔には何処か媚びが見える。

 野次馬の中にいた女の人たちは彼らのことを蔑むような目で見ていた。


『許してほしいなら、今撮った私の写真をすぐに消しなさい!いますぐに!』


 そして彼らは私の言う通りに携帯に取った写真を消し始めた。

 そしてまた私に謝り始めたのだ。

 こういう態度は良く知ってる。

 私はグズで間抜けだからいつもお母さんに叱られる。

 だけど嫌われたくないからいつもいっぱいごめんなさいと頭を下げた。

 認めたくない。気持ちわるい。

 今までさんざんブスだのネグラだのと蔑んできた男たちが私のご機嫌取りをしている。

 サキュバスになったから男を魅了できるようになったんだ。

 許せない。その身勝手さがキモすぎる。

 私は彼らの方へ手を伸ばす。

 彼らは私が手を伸ばしたことに、何か許しの匂いでも感じたのか、頬を赤らめて笑みをこぼす。

 違う。これから行うのは制裁だ。

 私の目には彼らの体から漏れている何か光のようなものが見える。

 いいや何かじゃない。これが精気。

 それを掴むようなイメージを持って、私は伸ばした手の拳を握る。

 そしてそれを引き寄せるように手を自分の方へ戻す。

 

「あっあああ!」「うああっ!」「ああっ…ああああ!」


 男たちが恍惚としたような笑みを浮かべながらドンドンと気絶していく。

 さっきの若い医師と同じだ。精気を抜かれて意識を保てなくなったんだ。

 抜かれた精気はすべて私の方へ流れていく。

 さっき初めて吸ったときよりはるかに沢山の量が流れ込んでくる。

 

「っ…あ…ンン…く…あ」


 思わず声が漏れてしまう。それくらいこの身を震わすような充足感を感じた。

 甘い痺れで体の芯が満たされていく。

 

「いやぁあ!いやああ!サキュバスだ!本当にサキュバス!助けて!たすけてええ!」


 人ごみの男たちは一人残らず倒れたが、女たちは違った。

 しっかりと立っていて私の方を恐怖の目で見て体を震わせてた。

 その目が私を現実へと返した。 

 私はその場からすぐに走り去った。




 

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