第2話 はじめての吸精


 目を開けた時に、私は自分が知らない部屋にいることに気がついた。

 白を基調とした落ち着いた内装。

 ベッドから上半身を起こしたとき、腕に色々な電極シールらしきものが繋がっているのがわかった。

 それらのケーブルはすぐ近くにある心電測定器を含めた医療用測定器につながっている。

 モニターに表示された時刻を見ると、どうやら私は3時間ほど気絶していたらしい。

 どうやら私は死なずには済んだらしい。だけど大けがをしていたはず、なのに両手は共に傷一つなく、全身にも痛みはない。

 おそるおそる体にかかっていた毛布をずらして足の方を覗いてみたが、ちゃんと切断されたはずの右足はついていた。

 

「夢だったの…?」


 そう独り言ちてしまうくらい、私は混乱していた。

 あの爆発と痛みは何かの幻だったのか?そうはとても思えない。

 近年は再生医療の発展で帝国においては切断された手足だって治せるようになったが、そう言った手術はすぐにはできないはず。

 それともたまたま何かのレアスキル系治療術を持った人がいて治してくれたとでもいうのか?

 状況がとにかく知りたかった。

 私はベットに供えてあるナースコールのボタンを押す。

 するとすぐに部屋に人がやってきた。

 男性の医師が二名。それと看護師の女性が3名ほど。 

 医師たちは笑みを浮かべているが、看護師たちはどこか強い緊張感につつまれているようだ。


「目を覚ましたんだね。どうかな?気分は大丈夫かい?」


 中年の方の医師が私に声をかけてきた。胸元のIDカードには『Dr.ファウスト・ロメロ』とあった。

 頭皮は残念ながら薄く、そしてお腹がでっぷりと出ている。

 なのに浮かべている笑みは不思議と人懐っこいもので、とても優しげに見える。

 (そう。こういう気安げなフリをした男ほど何も知らない人の良い女を言葉巧みに騙しベットへ連れ込むの。そして何も知らないいたいけな女の体をねちっこくて濃く責めるの。若い男にはない経験という毒で女の体を開発し淫らなに咲かせる)


「大丈夫かい?今ぼーっとしてたけど。何か不調なところがあれば、どうぞ遠慮せずに言ってくださいね」


 心配してくれているのだろう、若いな医師が私の顔を覗き込んで頼もし気に微笑んでくれた。

 IDカードには『Dr.リシャール・リュードベリ』とある。さらさらした金髪でなかなかのハンサムさん。

 女性にとてもモテそうに思える。

 (若い男はいつも女を乱暴に扱うもの。だけどその荒々しさにこそ、激しい情熱が垣間見えて…。普段は社会に奉仕する凛々しさが、女の前でだけ消えて獣に堕ちる。雌の肉を求める雄の野生にこそ、濡れて熱くて痺れて!)


「っあ…ン…。…あ、はい。大丈夫です…。すこしお腹が減ってるだけです」


 今のはなんだ?なんで私は男のことを見ただけで、淫らな妄想をしたの?

 それを気取られたくなくて、ちょっと間抜けな言い訳をしてしまう。

 だけどまるっきりの嘘ではない。不思議とお腹がすごく減っているのは事実だった。

 

「お腹減ってるの?なら何か食べる?コンビニのでよかったらあるよ。診察前に食べるといい」


 そう言って中年の医師は私におにぎりとサンドウィッチが入った袋をくれた。

 ありがたい申し出だった。


「すみません。いただきますね」


 私はおにぎりとサンドウィッチをすぐに平らげた。 

 本当にお腹が減っていたのだ。くれた袋の中には5,6個入っていたのに全部食べてしまった。


「お腹いっぱいになれたかな?」


 先生がそう尋ねてきた。だけど空腹のままだった。

 あんなに食べたのにちっとも足りない。 

 普段の私は小食の方なのに…。


「ごめんなさい。…ちょっと足りなかったです…」


 体のことで医師に嘘をつくわけにはいかなかったので、正直に伝えた。

 食いしん坊に思われたならすごく恥ずかしい。


「そう。まあ後でちゃんと他のが出るからもう少し我慢してね」


 先生は心配そうというか、そんなような顔をした。

 食いしん坊だと思われてる…!?

 羞恥で顔が赤くなりそう。

 だから話の流れを変えたくてこちらから尋ねる。


「あの。私、かなり大けがしたはずですよね?なのにかすり傷さえないんですけど…どうしてですか?」


 私は中年の方の医師に尋ねた。

 彼は一瞬だけ目を細めて、それから再び優し気に微笑んで。


「色々奇跡が起きてね。それで綺麗に元通りだ。だけどまだ予断は許さない状況だ。いくつか検査をさせてもらっていいかな?」


 どうやら質問はスルーされたようだった。

 何かを隠しているような感じがする。


「ええ、構いませんけど…」


「じゃあまずこれを書いてくれないかな?問診表なんだ」


 レポート盤に張ってある問診票を渡された。

 かなりびっちりと色々な質問が書いてある。

 そこでふと気がついた。

 視力が良くなってる。

 私はそこそこ視力が低い。

 眼鏡がないと黒板が見えないし、近くの人の顔もボヤっとしてしまう。

 部屋を改めて見回し、医師と看護師たちの顔を見る。

 くっきりと見えた。裸眼なのにきれいに見える。

 気絶している間になにかすごい治療を受けたのだろうか?

 それで視力もよくなった?

 この状況への混乱にますます拍車がかかる。

 私は問診票の質問に答えていく。

 基本的には悩むような質問はなかった。

 だけどいくつかの質問の時、ペンが思わず止まってしまった。

 『異性を見ると性的衝動を強く覚えることが以前より増えた』

 酷くタイムリーな質問に思えた。

 だけど馬鹿正直に答えるのはどうにも恥ずかしい。だけどこれは医療目的に使われる。嘘をつくのはよくない。

 ちょっと悩んでしまったが、正直に答えた。

 さらに質問に回答していくが、たびたび性的な事柄への質問が出てきてそのたびにペンが止まり、逡巡して、答えてを繰り返した。

 答え終わって問診票を医師に渡す。


「うーん。リシャールくん。これ見て。ここらへんの質問への回答なんだけど」


「たしかに今の反応を見ても典型的に思えますが…」


「うん。だけどまだ自覚はない。そんな感じだね」


 医師二人は私には聞こえないように小声で話していた。

 普通なら聞き取れないはず。なのに今の私にはくっきりと聞き取れた。

 2人の話している内容が何処か不穏に思える。

 やっぱり何か事故の影響が私の体に残っているのだろうか?

 あれだけの高濃度魔力暴露事故なら不思議ではないように思えて怖い。


「すまないね。不安がらせちゃったかな?でも君の体の方は健康そのものだよ。それは医師として保障するからね」


 言い回しに引っかかるものを覚えた。『体の方は健康』とはどういう意味なのだろうか?


「じゃあ次はこれを見て欲しい」


 そう言って中年の先生がタブレット端末に何かのアプリを起動させて私に画面を向ける。

 それと同時に看護師さんたちが、私の指にクリップの電極を挟み、何かのモニターに接続した。


「今から色々な写真を見せるから。感想は特に言わなくてもいいよ。黙っていてくれていい」


「はあ。そうですか…」


 いったいなんの検査なのだろうか。

 タブレットに写真がポンポンと表示されていく。

 何の取り留めもない、共通項もなさそうな写真ばかり。

 電車やら、飛行機やら、花やら、食べ物やら、エトセトラエトセトラ。

 はっきり言って退屈であくびが出そう。

 そして途中から写真は人の姿に変わっていった。

 おじいちゃん、おばあちゃん、普通の女の人、普通の男の人。

 別に目を見張るような何かがあるわけではなさそう。

 そしていきなりセミヌードの女の人の写真が表示された。


「あの。こういうのってセクハラじゃ…」


 肌を晒して煽情的なポーズを取ってる女の人を見るのは、私には昔から不愉快だった。


「ごめんね。でもやるのが決まりなんだ。すまないけど続けるよ」


 先生は私の文句に軽く謝りを入れるが、それでも写真の表示を続ける。

 女の写真はすぐに消えて次は男の写真が出た。

 短くきれいに刈りそろえた髪型のかっこいい男。

 派手な色の背広をびっしと着こなしている。

 (連れて歩くならこういう男が一番いい。そして抱かれるときは、自分からではなく女に脱がせてほしい。綺麗なシャツの似合う男は服の下に逞しくも愛おしい滑らかな肉体があるものだから)


「どうかした?ぼーっとしてるよ?」


「え?いいえ!大丈夫です!大丈夫!続けてください!」


「…わかった。続けるね」


 何故なのか、中年の先生は一瞬寂し気な顔を浮かべたように見えた。

 さらに写真は男の姿を映していく。いずれも色々と魅力的な美しい男ばかり。

 そしてその服装はどんどんと薄くなっていく。


「はあ…はあ…はあ…」

 

 体が不思議と熱くなっていくような気がした。

 風を引いたときの様に汗ばむのを感じる。

 だけど不快な感じはない。

 熱さがすごく心地いい。

 そしてとうとう写真にはビキニパンツだけをはいた男の姿が映る。

 海から爽やかに上がる瞬間を取った美しい写真。

 素敵な笑顔、白く輝く歯、細く引き締まっていて、綺麗な凹凸を浮かべる筋肉。

 …何より、何より!

 私はあまりに強い羞恥を覚えて顔を両手で覆う。

 顔が熱い。きっと真っ赤になってる。

 パンツにはくっきりと大きく何かで膨らんでいた。

 そう。何かが。何かが大きく!大きくて!求めてる!

 言葉を誤魔化した。だけど誤魔化さなきゃ!

 女の子がそんな!そんなこと!考えちゃダメ!駄目!駄目えええ!


「やめてください!すぐに消して!その写真消して!」


 私は恥も外聞もなく大声を出した。見たくないこれ以上こんなもの見たくない。


「それはどうしてかな?この写真に何か問題があるのかい?」


「あるでしょ!そんな!そんな!煽情的な!」


「でも男の写真だよ?ごく一般的なファッション誌の男性水着の広告から引用した普通の写真」


「違います!こんないやらしい写真を見せないでください!私は女なんですよ!こんなの見せられて嬉しいわけないんです!だから見せないで!」


「わかった。ではこの検査はここまでにしよう」


 先生はタブレットのアプリを切って、それを看護師に渡す。


「じゃあ最後にちょっと触診させてね」


 触診…?触る?男の人が私に?なぜか喉が渇いた気がして、生唾を飲み込んでしまう。


「じゃあリシャール君、お願いね」


「はい。わかりました」


 ひどく真剣な表情で頷いた若い先生は私の方へ近寄って来た。

 

「大丈夫。力を抜いてください」


「…は…い…あっ…」


 彼の右手はまず私の頬に触れた。そこから顔全体にじわりと熱が伝わっていく。


「顔赤いね?」


「そんな…こと…ないで…す…ん」


 そしてそのまま彼の右手は私の顎をくいッと上げた。

 そしてその親指が私の下唇に触れる。

 触れたところが柔らかくなっていく。

 ふにゃふにゃと力が抜けて…。


「柔らかいんだね。君の唇」


 当たり前のことを聞かれてるのに、ひどく甘く聞こえる。

 私に触れている男はやわかな笑みを浮かべているのに、瞳は真剣すぎるくらいで。

 ああ…、瞳に私の顔が写ってる。上気して瞳を濡らした雌の顔してる。

 羞恥に塗れた興奮が体の芯を震わす。

 思わず両足をきゅっと閉じてしまう。


「…ちがう…これは…ちがう…ちがう…」


 体が熱くなっていく。お尻の方がむずむずする。背中もびりびりと窮屈なツッパリ感を覚え、頭はぼーっとする。

 

「何が違うの?言ってごらんよ」


 彼は私の下唇を親指で押す。そのせいで私の口は少し開いてしまった。

 見られたくなかった。きっと今の私の舌はだらしなく濡れているはずだから。

 だからほんの少しの抵抗をする。 

 私は唇をユックリ閉めた。その時彼の親指を唇の間に挟んでしまった。

 甘くかんでいる。男の指を、この私が甘くかんでいる!こんなことが私の人生に起こるなんて!

 その事実だけで心が跳ねる。涙が出そうになるほど、体が悦びに震えてる!

 そしてその時、飢餓感を思い出した。

 そう。でももうわかってる。この飢えは、この男で満たせばいい!


「…ちゅ…っ……」


 私は彼の指を軽く吸った。

 その時確かに見えた。光り輝く何かが彼の体から出て、この私の中に流れ込んでいくのが。

 それは私の体を温めながら満たしていく。

 お腹にじわりと広がっていく、恍惚な甘い痺れが飢えを満たしていく。


「ああっ!」


 若い医師は甘い響きを伴った悲鳴を出して膝をついた。

 そして私から指を放してそのまま床に倒れてしまったのだ。


「きゃああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 看護師の一人が倒れた先生を見て悲鳴を上げる。その顔は私を見て恐怖に歪んでいた。

 その恐怖は残りの女たちにも伝染していく。 

 彼女たちは若い先生を抱えてから、一目散に部屋から駆け足で逃げ出した。


「え?なに?何が起きたの?」


 部屋には私と中年の先生だけが残された。


「どうだい?今は満腹なんじゃないかな?」


 その通りだった。さっきまでと違って今はお腹いっぱいだった。

 だから先生に向かって頷く。


「先生…。私、今何をしちゃったの?」


 先生は悲しそうに首を振る。


「吸精」


「吸精…?」


「そう。君はリシャール君から精気を吸ったんだ。初めてだったんでしょ?だから加減ができなくて、吸い過ぎてしまった。だから彼は気絶した。そして君は満腹になれた」


 精気を吸った?そんな馬鹿。そんなことあり得ない。だって私は人間だ。そんなことできるわけがない。


「まだ若いのにね…可哀そうに。だけど受け入れて欲しい。残念ながら君はサキュバスになったんだ」


「嘘…そんなこと…」


「そしてもう、元に戻ることはできないということも」


 それはどこか死刑宣告にも似た残酷な響きを伴っているように聞こえたんだ。






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