第1話 最良の日から最悪の日

帝歴1999年

国立ウェスタリス大学 帝都第1キャンパス 魔法科学部棟 教員オフィス


 魔法科学部棟にある教授のオフィスに私はいた。

 来客用の椅子に私は身を縮こませ座っていた。

 机越しに座っている私の指導教官は私がつい先ほど書き上げたばかりの論文を読んでいた。

 時折ペンで論文に線を入れたり、付箋を貼ったりしている。

 そのたびに私の心臓がどくって嫌な跳ね方をした。


「うーむむむ。うーん…」


 眉根を歪めて唸る先生の様子に、私の胃がきゅーっとなる。

 この論文を書くために死ぬほど頑張ったのだ。

 だけどこの反応は芳しいものに思えない。

 却下されてしまうのかも知れない。

 そう言われても耐えられるように私はスカートをぎゅっと握って返答を待つ。


「ふむ。素晴らしい論文だ。いいよ。これはジャーナルに出そう。もしかしたら巻頭に載れるかもしれない」


「え…本当ですか!」


 私は思わず机に手をついて先生の方へ身を乗り出す。

 先生は楽しそうに笑って。


「本当だとも。自信を持っていいよ。これはなかなかインパクトのある研究結果だ。どうだろう。ジャーナルのついでに学会で発表するのは?」


 どうやら学会発表の機会も貰えるらしい。


「ポスターですか?それならすぐにでも用意します!」


「いや。ポスターじゃない。口頭発表のプレゼンテーションの方」


「プレゼン?!うそ!そんな!」


 私は先生の提案に驚いて、両手で口を隠した。

 涙が出てきそうなくらい嬉しい。


「君はよく頑張ったよ。まだ付属の学生なのにこのレベルの研究結果を出せただなんてね」


 私は大学部の研究室の博士課程に在籍しているが、本籍は大学付属の魔導士育成学校にある。

 実践魔導士の育成コースに通いながら、研究者を目指しているのだ。

 ちょっと変則的な飛び級扱いだが、魔法実技のスキルは社会に出た時に色々と役に立つ。

 私みたいな学生はこの世界じゃそこまで珍しくはない。


「ありがとうございます!」


「いや。君の努力の成果だよ。それを誇りに思いなさい。これからも頑張ってほしい」


 そう言って先生は椅子から立ち上がり、部屋の隅に掛けてあった背広の上着を着て。


「私は帰るけど、君は実験していくかい?」


「はい!学会発表するならさらにデータを上乗せしたいです!」


「真面目だねぇ。まあ頑張って。でもあまり遅くならないようにしてね」


「はい!頑張ります!」


 私と先生は部屋を出て、別れの挨拶した。

 渡り廊下を通って、実験棟に向かう。


「てかさ、聞いてよー。私の彼氏、サキュバス・パークに行ってたんだけど!」


「え?!まじ!?かわいそー」


 廊下の向こう側からちょっと派手めな女子大生の2人組が歩いてきた、彼女たちは大きな声でお喋りしていた。


「で、それを問い詰めたら逆切れしてさ!お前もあの娘たちの可愛さを見習えよって!なんであんなビッチ共を見なわきゃ行けないんだよって!」


「だよねー。サキュバスと比較するとかまじないね。あれは可愛いんじゃなくてエロいだけなんだし!だいたいあいつら男とヤることしか考えてないんでしょ?一緒にされたくないし!」


 彼氏への愚痴で盛り上がる二人と私はすれ違った。

 その時ふと彼女たちが私の方をジロッと見たような気がした。


「あの子が飛び級の天才?なんか思ってたのと違くない?」


「え?そう?むしろイメージ通りじゃない?眼鏡分厚いし、髪の毛後ろで縛ってるだけだし、メッチャがり勉っぽくない?」


 がり勉。よく人からそう言われる。でもそれは否定しない。

 勉強は好きだ。やればやるほど結果が出る。

 努力が必ず報われる世界だ。

 これほど公平な世界は他にない。

 それについさっきその成果が出たばかり。

 だから別にそう言われても、今の私には気にならなかった。


「でもさ。意味なくない?勉強だけできてもねぇ」


「まああれじゃあ彼氏は無理っぽいよね。勉強できても可愛くないのは損だよね」


 可愛くない。これも良く言われる。

 露骨にブスと言われたこともある。

 今みたいなのはまだましだ。

 でも本当に酷いなって思う。

 なんで同じ女にこんなこと言われなきゃいけないんだろう?

 勉強してきた、成果も出した。

 でも外見が可愛くないと誰も評価してくれない。

 私はこれ以上聞きたくなくて、少し足を速める。

 早く実験室に逃げ込みたかった。



 実験室に着いて、まず実験ノートに今日の実験内容を書いた。

 手法の順番の確認、試薬のLOT番号、使用機材等々を書き込みながら準備を進める。

 幸い今日は機材の順番待ちがなかったので、すぐに実験を開始することが出来た。

 試薬とサンプルを調合し、私はインキュベーターに放り込もうと思い蓋を開ける。

 中を見ると別の誰かが置いたであろうフラスコを見つけた。

 そのフラスコの中の薬品は何かの魔力反応でチカチカと光っていた。

 

「置き忘れかな?それとも実験中?…困ったなぁ…この魔力光って私の試薬に影響しちゃうかも…」


 魔法薬の実験では、時に魔力が発する光が結果に影響することがある。

 これは実験のコンタミネーションの原因に成りかねない。

 私は自分の試薬を他のインキュベーターに入れることにした。

 その時だった。手に取っていたインキュベーターの蓋がカタカタと揺れているのに気がつく。

 光るフラスコが揺れている。中の薬品がブクブクと泡立っているのが見えた。

 まずい!

 おそらくこの薬品はかなりの長時間インキュベーターにかけられていたのだろう。

 温まり過ぎてフラスコ内部の圧力が高まっている!破裂する前にフラスコを外に出そうと私は手を伸ばした。

 だけど目の前のフラスコはぴしっと乾いた音を出してひび割れる。

 私はとっさに両手で顔を隠しその場に伏せた。

 ぱきいいんとガラスの砕ける音が響いてあたり一面に気化したフラスコ内部の薬品が漏れ出る。

 私はハンカチで口を塞いで、すぐにそこから離れる。

 だけど漏れた薬品のガスは酷く禍々しい色に鈍く輝き周囲に恐ろしい勢いで拡散する。

 昔講習で習った魔力漏れ事故そのものだった。

 高密度高濃度の魔力を含んだガスは密室内では人間の足より速く部屋に広がる。

 私は近くにある緊急排気装置のボタンを押し、デスクに供えてあるガスマスクを被る。

 マニュアル通りの行動。こうすれば助かるはず。あとはガスが排気される尽くせば大丈夫。

 だが事態は予測できない方へ向かった。ガスは私が調合した試薬の瓶に触れたのだ。

 魔力光はガラス程度ではその影響を排除できない。 

 瓶の中の試薬もガスと同じように光りはじめ沸騰し始めて。

 次の瞬間。瓶が激しい音を立てて爆発した。

 轟音と共に禍々しく虹色に光る魔力ガスが私の体を包んだ。

 その時私の体の奥で何かが弾けたような痺れを感じた。

 そして音はすぐに聞こえなくなった。代わりに感じたのは浮遊感。

 爆風によって私の体は吹き飛ばされる。

 窓を突き破り、私の体は建物の外へはじき出される。

 私は中庭に落ちてしばらくそのままの勢いでゴロゴロと転がり、木か何かにぶつかって止まった。

 全身が痛い。ちっとも体が動いてくれない。せめて指だけでも動かそうと思った。

 だけど無理だった。右手はどの指はバキバキに折れていて動かせない。そして左腕はひじの部分で曲がっちゃいけない方へ曲がっていた。

 

「あっ…っ…うぅぅ…あ」


 呼吸が苦しい。喉の中に焼けた鉄を押し付けたかのような熱い痛み。


「嘘ってでしょ…そんな…」


 そして何よりショックだったのは…。視界の端に私の右足が落ちていたこと。

 膝から先でちぎれてしまったらしい。

 そして段々と視界がぼやけていく。

 きっと頭を強く打ったせいだろう。

 もう多分私は助からない。

 

「はは。こんなんが終わりかぁ…。学会…出たかったなぁ…」


 せっかく長年の努力が報われたのに、誰かが置き忘れた物に命を奪われてしまった。

 こうして私という人間は死んでしまったのだった。





「おい!しっかりしてください!」


「酷いけがだ…。すぐに付属病院にオペの準備を!」


「ショック症状です!バイタルが…え?嘘…」


「おい…これって…」


「念のために、あの機関に通報するんだ!もしかしたらこの子は…」


「でもそれじゃあ助かっても…」


「法律で決まってるんだ…。可哀そうな話だけどな…」








 

 

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