真実
真っ白な霧の中をただ走った。
身体を打つ大量の雨粒は体温を下げ、吐く息を白く染める。
危険な行動なのは分かっていた。
今にも彼女の眼に止まってしまうかもしれない。
ただ止まることができなかった。
――今すぐに確かめねぇと――
この真相を知る人間が一人だけいる。
何十年と彼女と共に旅をした友人が。
「エリー!!!」
霧の中で振り向いた青いローブの肩を荒々しく掴む。
動揺したエリーは問いかけた。
「オーギじゃないか! どうしたんだい!? 外に出るのは危険だと――!」
「あいつは!!」
俯いた仰木の両手から震えが伝わってくる。
ただならぬ気配に、エリーは息を呑んだ。
「……え?」
「あのOL……黒辻は!! 殺したのか!? 俺の友達や……家族を……!」
そして眼を見開いた。宝石のような碧の瞳が風に揺れるフードの奥で輝く。
「どうなんだ!! エリー!!」
違うと言ってくれ。
勘違いだといつものように笑ってくれ。
そんな仰木の願いは、残酷なことに届かなかった。
「……キサラギだね」
声色が別物だった。
泣きそうな顔を上げた仰木の目に映ったのは自分を憐れむエリーの顔。彼もまた、涙が零れそうな表情を浮かべていた。
すでに隠すことを諦めた男が、意を決して彼に向く。
「……言えなかったんだ。君が悲しみに沈んで、壊れてしまうと思ったから。ごめんオーギ……」
「……じゃあ」
小刻みに頷くエリーは、脅えているように見える。
この事実を伝えれば、彼はどう思うだろう。
肉親の仇と共に旅をしてきた自分をどう思うだろう。
友人から捨てられる覚悟を決めて、彼は事実を告げた。
「……うん。澪は君の家族と友人をみんな殺したと言っていた。消えた君がもし戻ることがあった時、絶望するようにって。自分と同じ、居場所を失った悲しみを味わさせてやるって」
「そう言って、笑っていた――」
その瞬間、降る雨は止まり、風が止んだように感じた。全てが停止した世界で、自分の身体だけが崩れてゆく。
水溜りに額を付けて、彼は
エリーは足元を見ることができなかった。
「……どうやって死んだんだ?」
細く消えそうな声が鳴る。
押し黙ったままのエリーに、もう一度仰木は問いかける。
「俺の家族はどうやって殺されたんだよ……?」
「オーギ……」
「知ってるんだろ教えてくれよ……!」
歯を食い縛ったエリー。
しかし彼の伝えられる事実はそこまでだった。
「――教えない。知らない方がいい」
そこで仰木はすべてを悟った。
自分の家族が口にも出せないような方法で惨殺されたこと。
苦しみの果てに死に落ちたこと。
そしてその全ては、すでに起こってしまったと過去であることを。
「オーギ。ここは冷える。身体を壊してしまうよ。街の中に――」
「放っておいてくれ」
屈んで差し伸べた手が振り払われる。
今の彼に優しさは届かない。
「もういい。一人にしてくれ……」
じっと見つめるエリーだったが、しばらくして立ち上がり仰木を残してその場を去ってゆく。
「この一帯は霧で覆ってあるからしばらくは大丈夫だから……あんまり遠くにはいかないようにね……」
絶望する友人を前に、エリーは何もできなかった。
奇跡のような魔術を持ってしても、救う術を知らなかったのだ。
雨の中、エリーはゆっくりと離れてゆく。
そして誰もいなくなった霧の中で、断末魔の叫びが上がったのだった。
洞窟を奥へと進み、街の入り口に掛かったアーチに差し掛かる。
フードに覆われた碧眼が木造の柱に寄りかかり腕を組んだ着物姿の男を捕らえた。
硬く閉じた口を開く。
「……無駄な入れ知恵だったよ」
「ふんっ」と鼻を鳴らした男は呟いた。
「事実を教えてやったまでだ。知らぬままなどあんまりであろう」
立ち止まったエリー。どう言い返そうか歯を食い縛ったところにキサラギは続ける。
「それにあの魔女のことだ。どうせ仰木の知るところとなっていたさ。相対した時、その事実を告げられて使い物にならなくなっては困るのでな」
エリーは苛立ちを覚えた反面、彼の言葉に納得してしまった。
確かに黒辻はその事実を仰木に伝えることさえも攻撃手段の一つとして準備しているのかもしれない、と。
「でも……それでオーギが折れてしまったらどうする気だい……?」
「それは奴次第さ。折れればこの穴倉に捨ててゆくまで。どうせここで折れてしまうような
吐き捨てたキサラギを、エリーは堪らず睨み付けた。
キサラギもその眼に答える。
「――仰木のためさ。正念場で気が抜ければあの魔女は絶対に見逃さない。隙を絡め取られて、仰木は死ぬ。お前なら分かるだろ」
何十年と共にいた黒辻という女がどういう人間なのか、エリーはその徹底さを痛い程知っていた。
弱さなど、一回たりとも見たことが無い。
見せたことのない女だ。
本物の、魔性の魔女だ。
爪が喰い込むほど両手を強く握ったエリーは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
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