正体

その場にいる全ての人は彼女に向いていた。


 先程までの罵詈雑言が嘘のように静まり返り、風の音だけが闘技場に鳴る。

 いくつもの視線の先には黒衣の解放者。蛇の様な双眸を振り向いた仰木に当てていた。


 「あ……あ……あなた? あなた――――」


 口を震わせる解放者、黒辻。

 しかし先に言葉を投げたのは意外にも仰木の方だった。


 「あ!! あんたもしかしてあの時の!?!?」


 指を差した彼は、再会を喜ぶように言い放った。


 「昨日、東京で俺が助けたOL美女だろ!! あんた!!」


 そう、ガルディア王国の解放者とは、仰木が命掛けで鉄骨から救ったあのビジネススーツ美女だったのだ。


 あの時、振り向いた顔がフラッシュバックする。ほんの一瞬の出来事だったが、その整った顔立ちを脳裏に刻むのには十分すぎる時間であった。


 「なんであんたまでこっちの世界に来てるんだよ!? 俺が鉄骨から守ってやったじゃねぇか!」


 あのOLがここにいるということはつまり、彼が命を掛けて飛び込んだ意味が無かったということになってしまうだろう。二人で鉄骨の下敷きになったのなら、仰木の行動は無駄の一言に尽きる。


 「なんでだ!? 命の恩人なんだから教えてくれよ!」


 仰木の問いかけを、黒辻は眼線一つ、指一本動かさず聞いていた。

 彼女だけ時間が止まったように口を半開きにして動かない。

 しばらくして、凍り付いた空気を割るように彼女は呟いた。


 「……助けた? 守ってやった? 命の、恩人――――?」


 「え、そうだろ? だって俺はあんたを――」


 次の瞬間だった。

 闘技場が、大地がガタガタと揺れ始めたのだ。


 雲一つ無い晴天だった空はどす黒い雲に覆われ、日は陰り、皮膚を裂くような冷気が吹き荒れた。

 ものの数秒の内に世界は変貌を遂げた。

 民衆は脅え、我先にと逃げてゆく。


 「な、なんなんだ!? これはOLさん、あんたがやったのか!?」


 「――――やっと見つけたぁ」


 「……え?」


 環境と共に、彼女の顔も変貌していた。

 口は裂けるほど両端が吊り上がり、瞳は炯々と瞬いている。

 突き出した長い舌先が空間を舐め取るように妖艶に動いた。


 「せっかくあと少しで超召喚の力が手に入ろうとしてたのに、無駄になってしまったわねぇ……。だって、だって、今目の前にいるんですものぉ……ずっとずっと、ずーーーーと探してた男が、今、目の前にねぇ……!!」


 頬を赤らめた黒辻は絶頂を迎えているかのように、うっとりと言葉を繋ぎ、仰木に手を伸ばす。


 「ひゃ、百年間? 何言って――」


 「――――――――――――!!!!」


 雷鳴と共に、黒辻は絶叫した。

 天を仰いだ彼女に答えるようにして漆黒の雷が降り注ぐ。


 「きた!! きた!! きったあぁぁぁ!!! 遂にこの瞬間が来たのよぉ!! 捕らえて、繋いで、滅茶苦茶にする時がねぇ!! 長かったわぁ!! 百年の月日は本当に長くて、長くて……!!」


 明らかに様子がおかしい。

 呆気に取られていた仰木は気付かなかったが、すでに客席には誰一人いない。彼女の味方であるはずの国王や騎士もとっくに逃げているようだ。


 「俺も一旦引いた方が良さそうだ……」


 怖気付き一歩後退りした時、黒辻の瞳が怪しく瞬いた。


 「動くなぁああああ!!!!」


 叫びの音波で身体が折れそうだった。

 向けられた顔を見上げた瞬間、背中が凍り付く。


 「OLさん……? あんたおかしいぜ……? 人の顔じゃあ……!!」


 あまりにも豹変した顔面。既に人のものではない。


 「人間なんて当の昔に捨てたわぁ。全部、あなたのためよ、くん」


 「なんで俺の名前を!?」


 「ぜ~んぶ知ってるわよあなたのことは。お家も、親も、兄弟も、学校も、友達はちょっと少なかったけど、でもぜ~んぶ知っているわ。ただ、居場所だけがずっと分からなかったのよぉ。でもね、あなたはこうして私に会いに来てくれたぁ! それが私、嬉しくって、嬉しくって……!!」


 空中に浮かんだ黒辻の周囲に、いくつもの魔法陣が展開される。


 「壊れちゃいそうなのぉぉぉ!!!!!」


 絶叫と同時に、魔法陣から黒い鎖がとび出した。

 一直線に飛来する巨大な鎖を前に、仰木は槍を構え対応に掛かる。

 剣撃と同じように流してやり過ごすが、人が振るう剣と比べてあまりにも重量感に違いがある。


 「くっそ重い……!!」


 「あらあら強いのねぇ大和く~ん。そんな棒切れ一本で頑張るなんてそそるわぁ。さてはスキルいっぱい振っちゃったのかしらぁ?」


 黒辻は一瞬も手を止めること無く、踊るようにして魔術を発動し続ける。

 仰木も巧みに躱し続けているが、直前の鎖を流すのに精一杯で逃げる事も攻めることもままならない。


 「大和くんの格好いいところ、もっと見ていたいけどごめんなさいねぇ。私もう限界なのぉ。大和くんのこと早くイジメたくて我慢できないのよぉ!!!!」


 鎖が収まったかと思えば、上空に巨大な魔法陣が顕現。

 無数の巨大な鉄球のようなものが生み出され、隕石のように落下してくる。


 ――これはさすがに流せねぇ!! どうする!? どうする!?


 辺りに眼を走らせるが、一発逆転の術は見当たらない。

 万事休すか――と、空を睨み付けた瞬間、空間から這い出るように魔術師の優男は現れた。


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