三度目の涙

 「国王公認の客員魔術士にそんな言い方はあんまりじゃなぁい? あなたに魔法を教えたのは誰だったかしら?」


 足を組んで腰掛けながら、黒衣の解放者は言う。

 その眼はどこか見下しているように覗える。


 「うるさい! あたしは何であんたみたいなのがあたしの部屋にいるのって聞いてるのよ! 質問に答えなさい!」


 エルレは声を張って檄を飛ばしたが、手足はガクガクと震えていた。目の前のこの女が心底苦手らしい。

 「はぁ」と大きく溜息を付いた解放者、王国に仕える魔術士の黒辻澪は青く塗り潰された爪に眼を落とす。


 「国王様にこの部屋の掃除を命じられたのよ。家主が居なくなったから、今日中に片付けろとね。馬鹿な女が邪魔しようとしてきたから、少し遊んでしまったけど」


 「馬鹿な女って……!! ダージル!? あんたダージルに何したのよ!? あの子はどこ!?」


 激高したエルレは震えを押し殺して喰ってかかった。


 「どこって、眼の前にいるじゃない? ほら」


 黒辻は細長い片手に持っていた扇子を掲げると、勢いよく下に振るった。

 「バチンッ!」と、弾けるような音が室内に響く。それに次いで細い悲鳴のような声が漏れた。


 「ダ……ダージル?」


 黒辻を前にして視野が狭くなっていたエルレには見えていなかった。

 黒辻が腰掛けていたのは椅子でもベッドでもない。

 服を剥がれ、下着姿で手と膝を付き跪いていたダージルの背中に座り込んでいたのだ。


 叩かれた大きな尻がじんわりと赤く染まり、豊満に実った胸がぶるんと揺れる。

痛みに悶えて首を振った彼女は顔を上げた。

 眼と口と耳は拘束具で覆われている。


 「なかなか座り心地が良くて気に入ったの。椅子の才能あるわ、この子――」


 「きっさまあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 瞬く間に剣を抜き去り、切りかかったエルレ。

 親友を辱められた怒り。その姿は鬼気迫るものがあったが、振るわれた刃は届かなかった。

 黒辻の額寸前のところで、顕現した魔法陣に防がれ、弾かれる。


 「ぐはぁ!」


 自室の床に転がった。

 黒辻は指先一つ動かしていない。


 「羽虫でも止まったかしら?」


 「ぐっ……この下卑た魔女が……!!」


 「口の利き方に気を付けなさい」


 どこからともなく現れた黒い鎖が彼女の身体を飛ばし、扉に叩き付ける。

 嗚咽するエルレに、黒辻は冷酷に告げた。


 「お願い事があるなら、態度で表しなさい? 元お姫様ならそのくらい分かるわよね?」


 「く……!!」


 こんな薄汚い余所者に頭など下げたくはない。そんなことは王族としてのプライドが許さない。


 でも――。


 エルレはダージルを見る。

 何が起こっているのか分からずに首を振り、口元からよだれを垂らした親友。

 露わにされた美しい恵体。白い肌。

 自分にしか見せたことのない彼女の身体。


 ――あたしのダージル――


 これ以上蝕まれてはいけない。

 これ以上辱められてはいけない。

 血が出るほど唇を噛み締め、意を決したエルレは両手を床に突いた。


 「……お願い……します。ダージルを解放して下さい、解放者様――」


 背中を丸くして、額を床に付けた。

 大理石の冷たさが熱くなった頭を冷やす。


 彼女は今日三度目の涙を落とした。

 一度目は父への恐れに。

 二度目は居場所を失った悔しさに。

 そして三度目は自分の情けなさに。


 辛くて悲しくて頭が割れそうだった。

 そんなエルレを引き戻すように、拍手が響いた。


 「よくできました、エルレお嬢様。この黒辻も嬉しゅうございます」


 「……御託はいいから早くダージルを解放して」


 「もちろんですわ。明日、あなたが勝ったら、ね」


 エルレは顔を上げ、目を細める。


 「それはどういう――?」


 「国王様から聞いているわよ。軍師モドキの男と決闘するそうね。その男に勝って見せたらこの椅子は解放してあげるわ。愛弟子を思いやった、我ながら甘すぎる条件でしょう?」


 国王に続き、この女も明日の決闘に条件付けてきた。

 一瞬歯噛みしたエルレだが、直ぐに口を開く。


 「分かったわ。勝ったらすぐにダージルを解放してもらうわよ。いいわね?」


 「ええ、約束するわ。でももし負けるようなことがあったら――そうね」


 黒辻は再び、ダージルの尻を叩いた。


 「この牛みたいな身体を使ってペットの魔人たちの相手をしてもらおうかしら。最近注入した魔薬が強烈だったのか、発情したまま収まらなくって。サイズ的にもちょうどいいし、ちょっと抜いてあげてほしいのよねぇ」


 口に指先を突っ込み、べろべろと舌で舐め回す。

 その姿に瞳孔を開かせたエルレ。身体の震えが恐怖からなのか、怒りからなのか、もうわからない。


 「大公家を追い出されて行き場に困ってたって聞くし、ちょうどいいわよね? ああ、私ったらなんて優しい先生なのかしらぁ」


 うっとりと酔った瞳は変わらずエルレに向けられている。

 このえげつない程の挑発、思いのままにされるわけにはいかない。


 「そんなことには……ならない。私が勝って、ダージルをあんたの手から取り戻すから」


 「いい心意気ね。口先だけの元お姫様がどこまで頑張れるか、見ていてあげるわ。さぁ、もうお行き。ここはもうあなたの部屋じゃないのよ?」


 「ダ、ダージルは!?」


 面妖に尻を撫でる黒辻は、呆れたように呟いた。


 「さっき言ったでしょう? この椅子を解放するのはあなたが決闘に勝ってから。それまでは私のおもちゃよ。私に逆らって矢を放ったこの子には、キツ~いお仕置きが必要なの。今夜は熱い夜になりそうだから、この部屋には寄り付かないことね」


 爆発寸前のエルレであったが、ダージル自慢のポニーテールを荒く引っ張る黒辻の前にものを言えず、囚われた親友に背を向けることしかできなかった。

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