失墜
大理石が敷き詰められた廊下に、「ガチャリ」と重々しい音が響く。
柱に拳を打ち付けたエルレは赤髪に眼元を埋め、歯を食いしばる。
先程仕えるべき王であり、自身の父親でもある男の口から告げられた言葉が今でも信じられない。
「……全部あの蛆虫の所為よ……! あんな奴に関わらなければこんなことには……!!」
それでも彼女は自分の非を認めなかった。すべて自分以外の誰かの所為だと、その責任を被ろうとしない。
そういう風に生きてきた人間なのである。
俯いて歩き出した彼女は、ぶつぶつと言葉を無駄に続ける。
「お父様は頭が固いから理解ができないんだわ。そう、王としての器が無いのよ。騎士団だってそう。たかが魔物の群れにやられる雑魚じゃなければ全滅なんてしな――」
その時、進める足が何かに引っかけられエルレは倒された。床に伏した彼女の耳に聞こえてきたのは世界一聞きたくない笑い声だった。
「あらあらあらあら、そんなところで寝ていてはネズミに耳をかじられてしまいますわよ、お嬢さん?」
睨みを利かせた片目で見上げると、そこにはドレス姿の女性が三人立っていた。玉座の間でほくそ笑んでいたあの王女達である。
「あ、あんたら!! なにしてくれてんのよ!? 私が誰だと思って――!!」
「誰、なんですの?」
ニヤニヤとしながら足を引っ込めた女が問う。
ガルディア王国王位継承者、第一王女のエルレよ。と、高らかに叫べたのは昨日までの彼女。すでにその権利は剥奪されている。ほんの数分前、この三人の眼の前で。
「……国王の……娘よ……」
必死で捻りだした自分の地位。
それを聞いた三人は愉快そうに吹き出した。
「は、あははははは!!!! お二人とも聞きました!? 国王の娘ですって! つい先程その国王様に縁を切られていたではありませんこと!? 可哀想に、すでにネズミに耳を食べられた後だったのねぇ!!」
立ち上がったエルレを醜い六つの眼が向かえる。下卑た家畜でも見るように、うっとりと見下している。
「いいお医者を紹介いたしましょうか? お転婆エルレ」
「!!」
まだ彼女が幼い時に呼ばれていた仇名。地位に臆した周囲の人間が徐々に呼ばなくなっていった名が今再び口にされる。
歳十七にして呼ばれるそれはすでに仇名などではない。
「その蔑称……。今すぐに訂正しなさい。さもなくば……!」
睨んだエルレに、三人は顔を寄せて睨み返した。
「さもなくば、なによ?」
エルレの腕がドレスの襟元を掴む。
「……切り捨てるわ。あんたたちみたいな、ただクッキーかじって紅茶啜ってるだけの女とは、私は違うのよ」
その女王たちはエルレのように騎士であるどころか、護身術も習っていない。剣の握り方も知らない素人である。
優位にたったように微笑むエルレ。その横顔に折りたたまれた扇子が一閃した。
「ぐ!! なにを!!」
「触るな、無礼者」
掴まれた女王の瞳は怒りに満ちている。
「国王に見限られた女が粋がってんじゃないわよ!! いつまでそうやって偉そうに振る舞っている気かしら!? 自分の立場を弁えなさい!!」
「私たちは王女よ!! この雌犬!!」
すでに逆転した立場。
今までエルレがやってきたように、三人は彼女を蔑んだ。
「雌犬……だと!? あんたら――!!」
腰にぶら下がった剣に手を掛けた瞬間、王女達は顎でエルレの背後を指した。
「――!!」
振り返ると、そこには抜刀した数人の騎士たち。切っ先はエルレに向いている。
「ちょ、あんたたち……! 誰に向かって剣を!?」
「同胞を見殺しにした最低最悪の騎士長様に、よねぇ? あらごめんなさい、元、だったかしら?」
下品な囁きが背後で鳴る。
そう、今回の一件でエルレとダージルの二人を最も険悪に思っているのは他でもない、二人の部下であった騎士たちなのである。すでにその事実は騎士団全体に広がり、王城を出て街まで届こうとしている。
「あ、あんたたち……。本気で……!」
構えを解かない騎士たち。その中の一人が口を開いた。
「……剣からお手をお放し下さい、エルレ様……。王女様方を前に剣を抜けば、あなた様を国に反した叛逆者として切らなければならなくなります……!」
戦友を見殺しにされてなお忠義があるのか、最低限の言葉遣いは守る騎士。
残酷な現実に法然とするエルレに、王女達はまた笑う。
「まだこんな女を気遣うなんて、本当に忠義の厚い立派な騎士達ね! そんな騎士たちを何人も見殺しにして自分だけ助かるなんて、とんだ騎士長もいたものだわ! 失墜してくれてなによりよ!」
皮肉が詰まりに詰まった叱咤は続く。
「それに良かったじゃないあなたたち。この雌犬が騎士団から追い出されたおかげで、騎士たちはもう余計な手加減をしなくて良くなったんだから!!」
「……手加減? どういうことよ、それ」
「あら、まさか気付いていなかったのかしら? 騎士たちね、あなたとの手合せでずっと手を抜いていたのよ? 負けると文句をつけたり、怪我させられたって大騒ぎして面倒だからってね!」
信じたくない事実にエルレは眼を見開いた。
常勝とまで言われた彼女、その正体は王女故に持ち上げられただけの惨めな人形だった。
「知っているこちらからしたら本当に滑稽な人形劇だったわ。手を抜いた騎士に勝って喜ぶあなたの笑顔ときたら、それはもう馬鹿らしくてね――」
耳にするのが耐えられない言葉の数々。
王女が言い終える前に、エルレは走去った。
背後から響く笑い声から身を守るように、両手で耳を塞いでがむしゃらに走った。
悔しさに瞑ったその瞳の隙間から、きらきらと涙がこぼれたのだった。
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