力の誤認
二人の女騎士含め、崖の下を見つめる騎士たちは気付きもしていなかった。
幸か不幸か、地に伏した仰木だけがそれを視認していた。
奥の林から這い出るいくつもの角。暗がりにぼんやりと滲む赤い光。
見開いた眼は確かにその姿を知っていた。
「ちょっととあんたいつまで寝てんのよ? いくら軍師だからって女の子の蹴りにそこまで悶えて、恥ずかしくないわけ?」
見向きもせずに鼻で笑う赤髪。その可憐な後ろ姿に忍び寄る影の存在などまったく知る由もないだろう。
早く伝えなくては――。
「……う……後ろ……だ……!」
「はぁ?」と振り向いた彼女。
「盗賊なんかより先に片付けないといけない相手が来てるぞ……!」
「?? なにそれどういう――」
彼女が仰木の指差した先を見つめた時にはすでにそれは目の前まで迫っていた。
つられて振り返った薄紫髪の騎士は反射で弓に手を掛ける。
他の騎士たちが振り返り、その群れを視界に収めた瞬間、誰かが叫び声を上げた。
「レ……レッドファングの群れだぁあああああ!!!!!」
「ちょ!! なんで同時にこんな数湧いて出てきてんのよ!? レッドファングは群れを作らないはずじゃ!?」
「落ち着きなさいエルレ!」
「でもダージル!」
「今目の前で起こっていることが事実よ! 対応するの!」
二人の女騎士長、エルレとダージルは豪華に装飾された剣と弓を構える。
一団に迫る大型の獣、成長したレッドファングはパッと見積もっても十体以上の群れを成している。先に仰木が戦ったあの一体など、子供どころか赤ん坊に思えるほどの巨体が眼光を瞬かさせてにじり寄る。
「ちっ! ほんっとついてない! これも全部こののろま軍師の――!!」
「俺に任せとけって! 騎士様よぉ!」
焦る二人の前に、仰木は勇んで前に出た。
両手に構えるはあの棒切れ。
数刻前にレッドファングを八つ裂きにしたあの棒切れである。
「……任せとけだと? そんな木の枝で何ができるというんだ?」
「棒切れじゃねぇ!! これは、槍だ!!」
「……はぁ??」
頬に汗を流しながら困惑する二人。
そんな彼女たちのことなどお構いなしに、仰木は群れへ一歩、また一歩と進んでゆく。
「槍って……! その棒のどこが槍なわけ!? 刃もついてないただの木屑じゃない!! ていうか軍師が前に出るな!!」
後ろからの罵声に「まぁ見てろって」と鼻を鳴らした彼は、口元を吊り上げた。
確かに彼女の言う通りだろう。
こんなただの棒で大型の獣数体に勝てるとは到底思えない。自殺行為に等しい惨めな愚行と言える。
ただ、彼の全身は再び叫んでいた。
「――負ける気がしねぇ……!」
盗賊たちとの一戦同じく、両手に握られたただの棒であるはずのものから、身体を震わせるほどの力の波が押し寄せてきていたのだ。一体感などという感覚を遥かに超越した直感の濁流、何千パターンにも及ぶ攻撃手段が両手に握られていた。
絶対に勝てる、いや、逆にどうすれば負けることができるのか教えてほしいとさえ本気で思える。
「誰と勘違いしてるか知らねぇが、こいつら全滅させたら俺への態度も改めるだろ……」
手のひらを反し擦り寄って来るに違いない――、と自分の名誉の回復も兼ねて彼は魔物の群れに立ち向かう。
力を見せる必要がある。
目にも止まらぬ゙瞬殺゙が望ましい。
一度大きく深呼吸を行い、眼を見開いた。
「行くぜ!! イノシシ共!!」
次の瞬間、力を爆発させた。
一瞬のうちに一体の正面へ移動し、掲げた棒切れの先端はすでに眉間へ伸びている。
「なに!?!?」
「ちょ! あいつ!」
二人の驚く声に再び口元を緩めた仰木。
そのまま棒切れを眉間へ突き刺した。
――まずは一体――、と目を光らせたその時、耳に届いたのは予想外の音だった。
――――ボキッ――――
「え」と力なく声が鳴った。
レッドファングの眉間を貫いたかのように思えた棒切れは、あっけなく折れていた。
そのいわば当然の光景を目の当たりにした彼は、ようやく理解することができた。
彼の得た力、それは槍という武器を手にした際に発揮する技術の力であり、決して槍自体を強化する力ではないのだ。
素人が使おうが達人が使おうが棒切れは棒切れ。木屑は木屑。
いくら人知を超越した力を有していても砕けるものは砕ける。
すでに何人もの盗賊を切り伏せるのに使ったのなら尚更。
仰木はその当たり前が分かっていなかった。
槍の力ならその全てに関連するものが最高値の状態へ昇華していると誤認していたのだ。
「う、うわああああああ!!!!!」
額で跳ね飛ばされて騎士の中に突っ込んだ。数人の騎士が巻き添えをくらう。
「あんたはなにしてんのよ!! ふざけてんの!?」
「それに構わないでエルレ!! 囲まれてしまう……!!」
二人の焦りが聞こえる中、騎士の肩を借りて立ち上がった仰木は近くで槍を構える騎士に叫んだ。
「その槍を貸してくれ!!」
「し、しかし軍師殿!!」
「いいから早く!! 急げ!!」
歯噛みした騎士はボールをパスするように槍を投げた。
鉄製の大槍。二メートルはあろう長身の先端には立派な刃が携えられている。先程の棒切れとはなにもかも段違い、砕けることなど絶対にありえないはずだ。
「よし! これで――!!」
片手でキャッチした彼だったが、愚かしくそのまま地面に倒れてしまった。
そしてもう一度、彼は理解した。
思っていた通りだ。なにもかも段違いだった。
手に伝わるこの存在感、この重量感。
「おも――」
仰木は槍を振るうどころか持ち上げることすらできなかったのだ。
スピードや感覚などの飛躍的な身体能力の向上はまともに槍を握り構えてから発動する。力を発揮する以前の問題だった。
当然だ。ドラッグストアのバイトに精を出す帰宅部の高校生に大振りの鉄槍など扱えるわけがない。そんな筋力など持ち合わせていない。
騎士団は群れに取り囲まれ、そして混戦になった。
一人、また一人と屈強な鎧の騎士たちが赤い角に薙ぎ払われ、貫かれてゆく。
騎士長エルレとダージルも応戦するが、数が多すぎてまともに太刀打ちできなかった。
全滅を危惧した二人は下級軍師の殻を被った仰木一人を拾い上げ、他の騎士たちを残して馬を走らせて戦線を離脱、王城へ逃げ帰ることとなる。
かくしてエルレとダージル、またの名をエルレ=ファブ=ガルディアとダージル=ルル。ガルディア王国第一王女と筆頭大公家の一人娘を長とする騎士団は当の二人を残して全滅した。
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