すてーたす

 どんなに歩いても家一軒、人っ子一人見当たらない。


 強い日差しの元、草原を歩いて早三十分以上は経っているが人の気配はおろか自分が見知ったものの一つとして見つけることが出来ていなかった。


 「そうだ、携帯使えばいいんだ……」


 参ったといった様子の彼は肩に掛けた鞄に手を忍ばせると、画面がバキバキに割れたスマートホンを取り出した。


 さっそく電源を入れ、眼を落としたところに浮かんでいたのは【圏外】の二文字。

 あまりの虚しさに眼を細める。


 「圏外って……初めて見たわ……さっすが群馬、世の常識なんて通用しねぇんだ……」


 この場所が日本列島における未開の地だと疑わない仰木。

 スマホを雑にポケットに突っ込むと、彼はミディアムに整えた黒髪を掻いた。


 「ちょい疲れたなぁ。そこらで休憩するか」


 脇の茂みに日陰を見つけ、鞄を放ってぐったりと座り込んだ。太陽から逃れた風がワイシャツの隙間に入り、心地よく彼を癒す。


 「もう七月の下旬だってのに、まだ内陸の方は涼しいんだなぁ」


 東京の熱気に慣れた少年からすればここはとても居心地の良い場所だった。

 能天気に身体を投げて寝転び、大の字で目を瞑る。

 涼しげな風が全身を冷ましていくのと同時に、彼の頭もいい加減冴えてきた。


 「……俺、なんでこんなとこにいるんだ? 確か俺はあの時――」


落下する鉄骨から女性を守って死んだ――はずではなかったか、と。


 東京の街中にいたはずなのにそれがいきなり百キロ以上離れた群馬県とはどういうことなのかと、真剣に考え始めていた。


 「緊急事態におけるテレポートってやつ――?」


 葉の間から差した日差しに手を掲げた時だった。

 仰木は自分の右手首に巻かれた銀色のブレスレットのようなものに気が付いたのだ。深い藍色の石が装飾されたファンタジックなブレスレット。当然、彼自ら選んで身に付けていたものではない。


 「……なんだこれ? 宝石?」


 指先で藍色の石に触れた瞬間、驚くべきことが起こった。

爆ぜるように瞬いた青い光は粒となって漂い、次第に見たことのない文字を形作っていったのだ。


 「はっ!? はぁ!? なんだ!?」


 爆発でもすると思ったのか、左手を盾に身を丸くしてしまった。

 剥いた眼で文字の羅列をじっと見つめる彼だったが、次第に顔付が変わっていきそして小さく呟いた。


 「この文字……読める。えっと、す、すてー……たす?」



 仰木は心底困惑していた。

 眼の前に現れた見たことも無いへんてこな文字がなぜ読めるのか。


 そしてその字で書かれた【剣】やれ【体力】といった言葉は一体なんの意味があるのか。そしてステータスの横の【100】という数字はなんなのか。

 全く理解不能な状況に、傾げた首が戻らなかった


 「ステータスって……地位とかそういう意味だったよな……? 地位って、普通に学生だけど?」


 きっとアニメやれゲームやれを好む人間ならこの時点で大方のことは理解できそうなものだが、この男に限ってはそういった娯楽に興じた経験がゼロであるため理解など程遠い。情報が増えれば増えるほど余計に混乱するばかりである。


 指先でその文字を辿ってみれば他にも【杖】や【魔力】といったファンタジーを思わせるワードや、【運】などのどうしようもなさそうなもの、挙句の果てには【神羅万象】などという訳の分からないものまで多種多様だった。


 「地位が神羅万象って……徳が高いとかそんなレベルじゃねぇぞ……」


 苦笑いの仰木は一通り文字に眼を通すと、一ポリポリと頬を掻く。


 「よく分からんがどれか選べってことか? でも何が何だか全然分かんねぇし……なんかいいのないかなぁ」


 そう言って鞄を開け、中に入った物を取り出した。

 もともと今日使う予定だった教科書である。

 数冊の中から彼が手に取ったのはかなりのぶ厚さがある教科書。

 表紙には【世界の歴史】とある。


 「なんか手掛かり載ってんだろ、とにかく強そうなのがいいよな……」


 ぺらぺらとページを捲り、ちょうど真ん中辺りに差し掛かったところで彼はとあるイラストに眼を止めた。

 そこには中国における戦国時代の猛将、関羽雲長が勇猛果敢に大槍を振るう様が描かれている。


 「これだぁっ!!」


 約千八百年前を生きた大英雄のその姿にピンときた仰木の眼線は、手に持った大槍に注目している。

 どこの誰が書いた絵か分からないが、とにかく強そうだ。


 「槍でいいや! 槍で!」


 そう言い放った彼は教科書を草の上に放り、浮かんだ文字の羅列から【槍】の文字を探し出した。

 指先で文字に触れると、横に数字が表示されどんどんと増えていき、そしてステータスの横の数字がゼロになるのと同時に【槍】の数値が百になった。


 何回か触れてみてもこれ以上の変化がないことを考えると、どうやら彼はとりあえずやるべきことをやり終えたらしい。


 「ふう、これでいいだろ。地位が槍ってのは訳わからんけど神羅万象よりはまともな筈だ」


 気付けば文字の羅列は再び青い光の粒となって消えていた。

 彼は満足したように再び寝っ転がり、風に深呼吸をして瞳を閉じる。


 彼はまだ知らなかった。

 今しがた自分が行った行為が、後の命運を左右する重大な選択であることに。


 彼は考えもしなかった。

 この選択に、自らの全てが掛かっていた事実に。


 そして彼はそう遠くない未来に後悔することとなる。

 なんでもいいと、遊び半分に選んでしまった自分の間抜けさを心の底から呪うことになるのだ。

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