夜韻

1

レースは正直、何が起きたのか自分でもさっぱりだった。

ゴール直後、膝をついて息を整えていると、いろはが近づいてきた。

「いいレースだった。ありがとう。」

そういって右手を差し出してきた。

「ありがとうございます」

戸惑いつつ、手をとる。

ちらりと顔を盗み見たつもりが思い切り目があってしまった。静かに微笑み返してくれる。

なんだろう、この人のこの感じ。

インターハイ二連覇というものすごいことをやってのけた直後なのに、この落ち着き。しかもその微笑みは、普通達成感に満ち溢れてることこそあっても、こんなに静かなことがあるだろうか。そしてそれと全く対照的な、あの力強い走り。目が離せなくなって、固まってしまっていると、

「また表彰式で」

と言って行ってしまった。


ふと、我に返ると、そのレースで三着に入ったのは、橘女子付属のセバスチャンではなく、同じく2年の角野七星だった。セバスチャンは残り200mのところで、アキレス腱に痛みが出てリタイアしていたのだ。もし走りきれていたら、最後抜かれていただろう。


続々とゴールインし、そのまま残っていてもじゃまなので、召集場に一旦戻ると優子が泣きながら抱きついてきた。斎藤も涙目だ。

燈真先輩は点呼の最中だが、見ていてくれていたはずだ。

あらためて、インターハイ二位という結果を噛み締める。たしかに上り調子な感じはあったけど、できすぎなくらいの結果。真木いろはの不思議な引っ張り。やはり、まだ、実感がわかない。ただ、今までになく気持ちのいい走りをした感覚だけは確かだ。



決勝のレースのあとはトラックの脇で入賞者の簡単な表彰式がある。

「女子3000の入賞者のかたはこちらに!」

運営の声にしたがって、選手が集まってくる。簡素な表彰台が用意され、8位から順に呼ばれる。

それを近くでながめていると、隣に真木いろはがいた。

「レース、気持ちよかった」

唐突に話しかけられた。

「すごかったです。どんどん加速して」

一気に加速して突き放してゴール。気持ちいいだろうな、と思って言った。

「ちがくて。後ろからついてくるの感じたから。気持ちよかった。」

予想外の言葉に、なにもいえなくなる。

「気持ちよくなかった?私たちだけの世界のまっすぐな勝負って感じがして」

よく、わからない。華もきょとんとしていたのだろう。

「あはは、ごめんね。わかんないよね。いいんだ、私は気持ちよかった。なんの駆け引きもなく、まっすぐ走って、それにまっすぐに一緒に走ってくれて。」

「あの...感覚はちょっと違うかもですけど、わたしも今までで一番楽しかったです。真木...先輩の走るリズム、気持ちよかった。」

それを聞くと、ふふっと可愛らしくわらった。

「いろはでいいよ。いろは先輩って呼んで?嬉しいな、わたしのリズムか。華ちゃんも同じリズムで走ってたよね」

驚いた、名前も知っててくれたんだ。

「また走ろうよ。一緒に。」

「走れるように、頑張ります。」

うん、そろそろうちらも呼ばれるよ、と朗らかにわらった。

不思議な人だ。さっきとは全然印象が違う。

係の人に呼ばれ台にのぼると、首から小さいメダルを掛けられた。そして、表彰状。

ふうん、と思う。あんまり、感動しない。


しかし、隣の人の表情はレース直後と同じだった。先ほど華と話していたときの可愛らしさ、朗らかさはなく、静かな微笑みだった。そして、神妙にメダルを眺め、表彰状を受けとる。その動作はものすごく丁寧なのに、なぜか、華に落ち着かない気分にさせたのだった。

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