⑨ 星崎さんの目的

 パズルのピースは、わたしのなかですでにいくつか、埋まりかけていた。

 わたしが病気だと診断された夏口あたりからずっと。

 星崎さんは夜遅く帰ってくることが増えた。

 きっと、このカフェを訪れていたんだ。

 そして、この人と会っていたんだった。

 その人とはもちろん――。

 星崎さんの向かい側の席に立った今優雅に腰かけたのは、銀髪に金の目。

 ブラックブックスのボス、ルーシュンさん。

 二人の目的は、面接だ。

 ルーシュンさんは、お祭りで言っていたように、とある実験の実験台になる人を探していた。

 それに志願してきたのが星崎さん。

 ルーシュンさんが口を開いた。

「前置きは抜きにして、本題に入りたい」

「同感だ」

 星崎さんの表情も、なにかを急いているようにかたい。

 こんな星崎さんははじめてだ。

「きみが志願している、僕の実験台になる権利なんだけどね。ほかの人に決まりそうなんだ」

 星崎さんの表情は、揺らがない。

「悪く思わないでほしい。条件のいい志願者が多くてね」

 口の端に笑みを浮かべて。

 ルーシュンさんはくるくると、遊ぶようにアイスティーの中をかきまわす。

 かちゃりと、グラスの中の氷が崩れた。


「なにせ、成功すれば一人の人間からかんぜんに病をとりのぞくことができる実験だから」


 蒸し暑いはずのこの世界が、凍った。

 わたしだけじゃない。

 ももちゃんも、せいらちゃんも。

 息をのんで、なにも言わない。

 言えない。

 ただ一人、星崎さんだけが、冷静で、この場を動かしているように思えた。

「なんでもする。頼む」

「そう言われてもね。もう一人の志願者もさ、謝礼に僕のもとで働いてもいいって言うんだよね。そのうえ、この計画の一番やっかいな点もクリアできそうなんだ」

 頬杖をついて、ルーシュンさんは氷をかきまわす。

 凍てついた世界の表面が裂けるのは、ここからだった。

 病をかんぺきに人からとりのぞくなんて、ふつうに考えたら理想的なこと。

 ただし、この実験には、必要なものがあった。

 用意するのがとほうもなくむずかしい、でもどうしても必要なものが。

「もう一人の志願者というのは、とある本の中に住んでいる島国の王でね。うまくいけば、奴隷の中から確保できそうなんだって――病を移す入れ物となる人間を」

 この実験には病気をある人からなくすかわりに、その病気をかわりにもらいうけてくれる人が、必要なんだ。

「すまないね。だからきみの話はなかったことに――」

「そういうことなら」

 ルーシュンさんの謝罪を、星崎さんが遮った。

「あなたは彼をけってオレに決めると、断言する」

 つまらなそうだった金の瞳に、かすかな光が宿る。

「ほう?」

「病気を移す容器の提供なら、確約できるからだ」

 ルーシュンさんの目が疑いに細まる。

 反対に、わたしの心は、確信に。

 そして、――雪崩のような恐怖。

 ぎゅっと、両方の手で親友二人の手を握る。

 ももちゃん、せいらちゃん。

 もういやだ。

 聴きたくない。

「そう言い切るからには、もちろん、ライバルの志願者以上に高い確率だろうね。つまり、百パーセントって解釈していいのかな」 

 両手から伝わってくる確かな力も、震えをとめられない。

 だめ。

 やめて。

 星崎さん。

 そんな契約しちゃだめ――。

 心で叫んでも、彼はためらわずにうなずいた。

「オレ自身が、入れ物になる」



 気が付くと、わたしたち三人は、マンションのベランダに立っていた。

 窓ガラスの奥に、眠っているわたしと、その様子を見ている星崎さんがいる。

 眠れなくて、なだめてもらったあの夜だ。

 眠ったわたしの唇にかすかにふれて、

 星崎さんはつぶやく。

「たとえ悪魔に身を売っても、きみを救い出す。必ず」

 あのときわたしは何も知らずに、ほっとして眠っていた。


『彼は僕と、実験体になる契約を結んでいる。その目的は――病をきみからもらいうけること』



 その夜、わたしは、ベッドにいた。

 自分のじゃなく。

 彼の枕を、全身でぎゅっと抱きしめる。

 星崎さん……。

 出そうとした声は、声になることなく、消えた。

 彼のことを考えるとまた、強い眠気が襲う。

 まるで禁じられているみたいに、ロックがかかっているよう。

 そのわけはわかってる。

 星崎さんが、わたしをこんなふうにしたの。

 こんなことって。

 星崎さんの枕をよりいっそう強く、抱きしめる。

 水色の布が一滴、涙で深い青に染まっていく。

 悪夢が消えて、回復のための眠りになった。

 ぜんぶ、彼の中に移ったってこと。

 「星崎さん……」

 ずっと、わかりませんでした。

 神様に逆らいたいときがある。

 悪魔になってもいいって。

 世界でいちばんやさしい人がどうしてそんなことを言ったのかって。

 でも、今ならわかる。

 星崎さんがブラックブックスに入ったのはぜんぶ、わたしの病気を、もらってくれるためだったんだ――。

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