⑧ たくされた名言フォン ~もも叶の語り~
メルヒェンガルテンは、星たちがつくる宇宙のような空間。
本に感動する人の心から作られるブーフシュテルン。
この庭にはいつも、ブーフシュテルンを花びらの中心に守るようにつけた花たちが季節ごとに咲き誇っているんだけど、今日はしおれていて元気がない。本の中に起きていることを案じるかのように。
道を少し行ったところに、いつものショップ&カフェはあった。
桜色の屋根。ミルクティー色の壁にかかる、ポインセチアで飾られた看板。
でも、ひとたびその扉を開けると、フチなし眼鏡をカウンターに置いて、両手を組んで顔をふせていた女店主さんはぜんぜんいつもどおりじゃなかった。
「もも叶、せいら……! どうやってここに?」
いつもきちっとまとめられてる髪は一筋の乱れがある。
眼鏡をかけていないその目は、疲れの色が濃い。
テーブル席に促されながら、あたしたちは、これまでのいきさつを話す。
本の外の世界が、ブラックブックスに支配されていること。
ブラックブックタワーに二度乗り込んだこと。
本言葉祭りでの思わしくない人物の再来。
夢がふさぎこんでいることと、そのわけも。
「夢未の好きな彼が、ブラックブックスの一味」
驚きのあまり繰り返すと、モンゴメリさんはまた深く考え込んでしまう。
「でも、あたしたちにはそれがどうも信じられなくて――星崎王子にはきっと、ブラックブックスに入った理由があるんだと思う!」
高々と宣言すると、せいらも続く。
「彼がブラックブックスと連絡をとったその瞬間を見に行くために、ディナーベルを、貸していただきたいんです」
ようやくここまでこぎつけた。
なのにモンゴメリさんの返事は、即決じゃなかった。
「あなたたちに、今ディナーベルをさずけることはかんたんだわ」
眼鏡のない目をすがめて宙をにらむようにすると、ゆっくりと言葉をつむぐ。
「でも、もう一度よく考えて。夢未はそちらの世界で、ルーシュンに会ったと言ったわね。すでに真実を知ったうえで、大きくショックを受けている」
ちくりと、胸の奥の痛いところを針がさす。
わかってる。
けどどこかで、直視しないようにしていた。
「えぇ。それはつまり、真実がわたしたちに味方するものじゃない可能性が高い、ということですわ」
驚いてとなりを見ると、せいらがしゃんと背筋をのばして、まっすぐにモンゴメリさんを、見つめ返していた。
「だからこそ、あたしたちは同じ真実を見たいんです。そしてどうするか考えたい。夢っちの笑顔のために。あたしたちふたりとも、あの子に超絶、救われてるの」
しんのある藍色の目。
驚きのさきにあったのは、共感、同意――どちらもちがう。
じんと、熱い血が心臓に流れ入る。
そうだ。
夢の好きな人には、ひどいことをしたわけがある。
でももしかしたら、そうじゃないかもしれない。
その可能性が頭にちらつきつつ、それでもここまできた理由。
せいらが、言葉にできずにいた想いを、かんぺきに言葉にしてくれた。
付け加えるべきことは一言もなかった。
モンゴメリさんも、とうとう深く目を閉じ――うなずく。
何も言わずに席を立つと、カウンター奥の戸棚から白い箱を取り出して、こっちに来る。
中身は、もうわかっている。
せいらに目で促され、あたしはそっと、箱を開ける。
入っているものを取り出して、そっとかかげた。
きらきら金色に輝くベル。
持ち手のところにきちんと縛られた真っ赤なリボンのように、きゅっと身がしまる。
「あら? ベルの下にもなにか入ってる」
せいらの声で我に返ると、ほんとだ。
小型の四角いマイクだ。警官が使うようなやつ。小さな星のマークが右端についている。
「あなたたちのために、開発中だったアイテムがあるの。その名は名言ペン。さきがマイクになっていて、その登場人物の名言を叫ぶと、物語ドレスに着替えられる道具。取り寄せる物語ドレスは、登場人物の運命だけじゃない。同じ能力や資質を受け継ぐことができるというもの」
あたしたちはかすかな歓声を飲み込む。
めちゃくちゃ便利だ。
敵との戦闘にもってこいじゃない。
「でも今言ったように、まだ開発中で。代わりにこれを渡しておきたいの。名前は名言フォン。名言ペンの仲間なのだけれど、少し使い方注意でね。ほかのだれかにこのマイクを向けて、名言を言わせ、強制的に物語ドレスや衣装を着せるもの。登場人物と同じ困難を与えることができる。本来は正義のために、本の中の警察なんかが使うものなんだけど」
「安心してください。本の世界の正義のためにしか使いません」
せいらがかたくうなずいて、受け取る。
「信じているわ」
誓いのようにうなずきあって、あたしとせいらは、モンゴメリさんが用意してくれた抜け道の扉から、秘密の花園をあとにした。
♡
約束の日は、翌日学校が終わってから。
いつものように、夢のマンション。部屋で伏せっている夢にあいさつをして。
リビングへと、あたしたちはやってきた。
「ももぽん、覚悟はいいわね」
「うん」
ソファにこしかけて、あたしたちのあいだにあるのは、ディナーベル。
ごくりとつばを飲んで、赤いリボンを飾った金のベルを、持ち上げる。
「過去の幽霊、ここに来て」
――リン。
あたりが白い煙につつまれて――やってきたのは、『クリスマスキャロル』に描かれた厳粛な雰囲気の幽霊、とはちょっと違う、真っ白い身体をふわふわとさせたいわゆるみんなが想像するオーソドックスな幽霊だった。雪だるまみたいに点と線で描かれた顔がなんとも気がぬける感じだけどしかたない。
過去の幽霊は忙しいらしい。あたしたちが呼んだときいつもやってきてくれるのは、その弟子なのだ。
「ぷはーっ、シャンパンうまーっ」
そして言動も少々残念なのも毎度のこと。
「幽霊の弟子さん。過去の世界に行って、あたしたちに見せていただきたいの。星崎さんがブラックブックスに入ったわけ」
せいらの熱心な頼みもなんのその。
「えー。めんどくさー」
なまけものぶりもあいかわらずで、いらいらする。
「あのさー、今僕ドバイの高級ホテルに宿泊中なわけ。バカンスまっさいちゅうなの、わかる?」
てかあんた、呼び出すたびバカンス行ってないか。
いらいら……。
「そんなのは夢未ちゃんにきけばいいことじゃん。ルーシュンから話してもらったんでしょ~? 僕はこの世界のことなら、な~んでも知ってるんだから。どんなもんだい」
いらいら……。
「この手のシンプルな問題になんでわざわざこの偉大な幽霊呼び出すかなー」
深刻な雰囲気をめっためたにする自分のことはすっかり棚にあげて、空気読んでよね、と言わんばかりにふんぞり返った幽霊に、ついに、ぶちっときた。
「友達だからこそあえてきかないってこともあるんだよ。部屋の向こうの夢の超シリアスな顔が見えないの? つべこべ言わずにとっとと過去の世界に連れてけこのケーワイ幽霊!」
そして、この幽霊は一喝に弱い。
「……もう、わかったよ。一回だけだからね」
せいらがあたしに向けて、親指を突き立てる。
あたしもばっちり、サインを返した。そのとき。
がちゃ、と、リビングの扉が開いて――。
「待って。幽霊さん」
ふらつきながらやってきた夢を、せいらがとっさに支える。
「夢。今の、聞こえてた?」
「ごめんなさい、夢っち。かくれるつもりは――」
せいらの腕から顔を上げた夢は――笑っていた。
「ありがとう」
弱りはてて泣きそうな顔で、でも笑って。
「わたしのためにありがとう、二人とも」
……。
せいらと二人、なにも言えずに顔を見合わせる。
「わたしも、見たい。星崎さんがブラックブックスに入った、そのときのこと」
「夢」
だいじょうぶ?
いいの?
そう言おうとした言葉を、飲み込んだ。
あれだけショックを受けていた夢が、起きたことに向き合おうとしている。
せいらと、どちらからともなくうなずき合うと、両側から夢を支えて、ソファに腰かける。
夢がしっかりと前を見つめた。
「幽霊さん、いいよ。はじめて」
「ほ~い。じゃ、いくよ~」
幽霊が、小さな体を旋回させる。
白い霧が充満して、晴れたとき、あたしたちは栞町の夜のネオンにかこまれていた。
カフェの広いソファ席に、三人身を寄せ合うように、座っている。
外の花壇にはミニヒマワリが咲いていて、お客さんや店員さんはみんな半そで。
ここは、数か月前――まだ夏の栞町らしい。
右隣からかすかな振動を感じて、夢を見ると、通路を挟んで向かい側を見ていた。
あたしは息を飲んだ。
星崎王子だ――。
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