③ 苦学生せいらの夜デート ~side:せいら~

 焼き鳥屋県居酒屋のカウンターで、一人、彼待ち。

 腕時計を見ると、午後7時を過ぎている。

 中学に勤める彼は生徒指導が入って遅れるかもしれないって言ってた。

 どうも、今行ってる中学、一部の生徒が荒れているらしいのよね。

 詳しくは聴いてないけど。

 だいじょうぶ、かしら。

 ぼうっと考えていると、一人のサラリーマンふうの人が危うい足取りでこっちにやってくる。

「ん? あれぇ?」

 おじさまがあたしの顔をまじまじと見る。

「『グラッツェ』の露木ちゃんじゃない!」

 ばれたわ。

 グラッツェはあたしがウエイトレスのバイトをしてるレストラン。この方は常連さんなの。

 じつはさっきから後ろのテーブルにいるなって思って、間が悪いと思ってたの。

「一人で飲んでるの? そっかそっか~。まだそのおとうしの鯛食べないの?」

 腕をたたいて、肩、頭とやたら触れてくるのは、正直辟易なのよね。

「わかる、おじさんにはわかるよ、露木ちゃん。きみみたいなお人よしタイプは、鯛はつれても男はつれない!」

 すぐ後ろのテーブルの酔っ払いたちが、どっとうける。

 はぁ。だからこの手のおじさんって困るのよ。なにがおかしいんだか。

 それはセクハラだって指摘するのも立場上あとあとめんどうだし。

 ここは、覚悟を決めて。

 あたしは営業スマイルを作った。

「そうなんです。だれも拾ってくれなくて、寂しい毎日なの。困ったわ」

 これで何事もなくのりきるつもりだった。

 でも、おじさんの目がぎらりとひかって。

「それじゃ、ぼくに拾われちゃう? ねぇ」

 ぐいぐいと、あたしの上体に頭を押し付けてくる。

「やだ。このあいだご家族とお店にいらしてたじゃない」

 あわててのけようとするけど、胸に頭をおしつけてくるその力は強くて。

 はじめて恐怖を感じた。

「ちょっと。や、やめ――」

 言いかけてたその時、おじさまの肩がとんとんとたたかれて、

「あんだよ? 今いいとこなのに――」

 ふりかえったおじさまが、勢いよく居酒屋の柱にふっとんだ。

 そこにはスーツのジャケットを脱いでシャツ姿の、彼がいる。

 整ったその顔は平生見ないほど……ぴりぴりだわ。

「悪いけど、こいつは売約済みなんだ。ほかあたってくれるか」

 静かに放たれたその一言で、おじさんは千鳥足で店を去って行った。

 なんだかきまずくて、あたしたちもお店を変えることにして。

 夜の街を二人、歩く。

 少し前を歩く彼――かみやんはじっと黙っている。

 完全に怒ってるわ。

 どうしよう。でも、お礼くらいは言わないと。

「あの、かみやん――」

「だいじょうぶか」

 ふいに立ち止まった彼に気遣われて、どぎまぎする。

「ったく。なれなれしく触ってんじゃねーよ、あのおやじ」

「……あの」

「せいらもだぜ。『だれもひろってくれない』はないだろ。こういうときこそ、普通カレシのこと使うもんだ。それともそんなに使えねーかな、オレは」

 いつものようにちょっとだけおどけた彼に安心して、わけを話す。

「バイト先の常連さんだから、穏便に済ましたくて」

「なに?」

 ぴくりと彼の眉があがる。

「そのバイト、もう禁止だ」

「ふだんはああいう人じゃないのよ。それに接客じゃよくあることなの」

 彼はその身体をあたしに向ける。

「お前どうした。らしくねーぞ。弱気になりすぎだ。たかが司法試験一回だめだったくらいで」

「……はひっ?」

 あまりの衝撃に、変な声出しちゃったじゃない。

 ふっと彼が優しく微笑む。

「ま、今回はまだその時じゃなかったってこったな。そう気ぃ落とすな」

「ちょちょ、ちょっと!」

歩き出してしまう彼にあわてて追いついて、

「なんでまだなにも言ってないのに、結果わかるのよ?」

「顔色と、放ってる殺気」

「かみやん?」

「だからそう怒んなって」

 ひらひらと彼の右手がなびく。

「そうすんなりいくと思ったか? 国家最難関だぜ? どんだけの勉強オタクが集まってくるかってことくらいわかんだろ」

 それは。

 わかってた、けど。

 でも。

 彼はあたしを引き寄せて、肩を貸してくれる。

「ま、オレとしては、早いとこ見切りつけて、こっちに来てくれるぶんには歓迎だけどね」

「……かみやん、ごめんなさい。まだ、かみやんだけのものにはなれない」

 ぐっと彼の肩から顔をあげて、こぶしをつくる。

「世の中にはあたしの助けを求めてる人がごまんといるから!」

「あー、そうすか」

 首ずしをかいて、彼は笑った。

「その意気だ。じゃ、もう一軒行くか」

 このときあたしは気づかなかった。

 彼のほうこそ、いっぱいいっぱいだったんだって。

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