⑩ アイリーンの新居へ ~ワトソンの語り~

 ホームズと僕が少女とともに向かったのは、イギリスの郊外にあるとある広大な別荘地だった。

 小間使い、使用人、執事……、何人もにわたるとりつぎのあと、ようやく通された居間の外で、ようやくお目当ての人物のおめにかからんとするとき、少女は、僕らにここで待っていると言った。これはきみの依頼なのだから、一部始終を見届けたくはないのかという問いを僕は飲み込んだ。ホームズが黙ってうなずいたからだ。

 部屋の中で待っていたのは、胸元を強調したノースリーブの真っ黒いナイトドレスに、長い髪をアップにしたそれは美しい女性の後姿だった。

「アイリーン・アドラー。こうしてお目にかかるのははじめてですかな」

 彼女が振り向いた。

「ホームズさん、ごきげんよう」

 その真っ赤な口元が妖艶に微笑む様子は注意していなければ思わず見とれてしまいそうなほどの妖 艶さをかもしだしている。

 ボヘミア王のかつての恋人であり、王が結婚するときに自分とのツーショットの写真を武器にゆすった女性。わたしとホームズが取り返そうと試みたものの、その写真はまだ彼女の手中にある。

 その話題に触れてきたのは彼女のほうからだった。

「あたしと王様がのったあの写真なら、渡す気は毛頭なくてよ」

 ホームズは動じる気配を見せず、言う。

「わかっている。この件に関しては保留にしよう。今日は別件で来た」

 美しいアイリーンの眉が半分上がった。

「きみは、この世のすべての本を盗んだブラックブックタワーの書庫から、ふたたび本が解き放たれる直前の写真を、持っているそうだが」

 ふっと、真っ赤な唇が微笑む。

「えぇ、持っているわ。でも、ただでお渡しするというのは、おもしろみにかけないこと?」

 獲物をしとめた狼のように、ホームズの口元が勝算の香りにゆがんだ。

「そうくると思ってね」

 ホームズがその細い指を鳴らすと、応接間の扉が開いて、そこには例の少女が立っていた。小さな体で一人前に、スカートをつまんで礼をする。

「お久しぶりです。アイリーン・アドラーさん。あたしをご記憶でしょうか?」

 アイリーンはなおも微笑んでいる。

「えぇもちろん。チーム・文学乙女のブレインさん。本のタイトル付けゲームはおもしろかったわね」

「はい」

 そして少女もまた微笑んだ。

「あたしはあなたと戦った経験がある。あなたがブラックブックスの四天王の一人だったスキャンダルを、今の旦那さんに証言することも可能です」

「ふっ……」

 その美しい口を開け、アイリーンは笑い出した。

「立派な脅しだわ」

 少女もまた劣らぬ妖艶さで笑った。

「えぇ。こちらにも、仲間の運命がかかっているものですから」

 微笑み、牽制しあう二人の女性。

「どうする、アイリーン」

 ホームズの言葉に、アイリーンはかすかに、息を吐いた。

 最後に勝利のピリオドを打ったのはせいらというその少女だった。

「あたしもホームズさんも、やられっぱなしは性に合わないんです」

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