⑤ 退廃なカレは危うい香り
せいらちゃんがパーシーさんと話しだし、ももちゃんもエドワードさんと会話をはじめたみたい。
それでもわたしと目の前のお兄さんは、黙っていた。
ちらちらと、横眼でそのホストさんをうかがう。
カーキ色のスーツは、ほかの輝くばかりのホストさんたちのそれと違って、くたびれている。
派手なアクセサリーもつけず、ネクタイは緩んでいる。
栗色の髪も元気がないように下がっていて。
何度か盗み見ていると、目があった。
だるそうな口元の端が、にやりとあがった。
「あなたも、不運な人だ。ホストクラブにきて、よりによってこんなダメ男をあてがわれるなんて」
立ち上がると、華奢な身体が危うげにゆらりかしぐ。
彼は倒れこむように、わたしの方に腕をかけた。
「あ、あのっ」
とっさにその体重を支える。
「だいじょうぶですか。もしかして、どこか悪いんじゃ」
にたっと彼は笑った。
「えぇそうですよ。どこもかしこも悪いとこだらけ!」
そう言うと、けたけたと一人で笑いころげる。
「でもね、お客様。これでも仕事はできるほうなんです。このシドニー・カートンが、きちきちんとおもてなしさせていただくので、どうぞご安心を!」
「あぁ、そんなに伸びあがったら危ないです!」
実際、天井に向かってのびあがった彼は自分を支えきれずにもんどりうってしまう。
彼を支えながらなんとかソファまで行きつく。
ちっともだいじょうぶに見えない。
この声、この匂い、このかんじには、覚えがあった。
まずい調子のときのお父さんと似てる。
「あの、シドニーさん」
座ったとたんにがくりとうなだれるカレに、周りに聞こえないように小さくした声で、訪ねた。
「ひょっとして、お酒、飲みましたか? けっこうたくさん」
ひょいっと彼は顔をあげる。
栗色の前髪の隙間から、目を細めてにんまり笑う。
「はい。けっこうたくさんじゃなくて、とほうもなくたっくさん」
顔いっぱいの笑顔だけど、わたしにはわかった。
これは悲しいことをたくさん抱えてる人の笑顔だって。
「あの。ちょっと横になったほうがいいと思います」
心配になってきて、わたしは言った。
お父さんがおかしくなってしまったときは、寝ないかぎりもとにもどらないんだ。
「そんな! めっそうもない! お客様の前で居眠りするホストがいますか!」
「わたしならだいじょうぶです! ソファで楽な姿勢になってください」
「いやいや、さっすがにそんな、失礼なことできませんよ! お客様、ぼくをばかにしてるんですか!」
なぜか怒られる。
そんなことを繰り返しているうちに、ドリンクがきた。
すると彼がはじかれたように立ち上がる。
「ほらきた、僕の仕事だ! おつぎしますよ、お客様」
「あ、あぁあの、すみません」
あわててグラスを持つ。
なんだかこっちまでおどおどしちゃう。
カレのかたむけたボトルからきれいなワイン色のいちごジュースが注がれる。
そうしているあいだにも、シドニーさんはしゃべりつづけた。
「僕なんかがあたってしまって、すみませんね。僕みたいな人間はね、魔女のお客にでもあたって魔術で地獄に送られてしまうべきなんですよ。それなのに、ここへ来るお客様ときたら、みな愛らしくて優しい方ばかりなんですからね」
怒涛のようにしゃべりつづけるシドニーさんだけど、わたしはいちごジュースを注ぐ危うい手元が気になってよくお話に集中できない。
「今夜のお客様――ええと」
「あ、わたし? 夢未です」
「夢未さんなんて、とりわけそうですよ。あなたは見たところ、純朴で、ひとかけらの悪意すらないようじゃないですか」
カレの手は、やっぱりふるえていて――ちょっと危なっかしい。
「同情しちゃいますね。いいですか。悲劇の王は、あなたのように、純粋でかわいい女性が大好物なんですよ!」
わっ。赤いジュースが大きく波打った。
代わりにつぎましょうかとか、言うべきかな?
考えていると、ガチャリと、グラスが音を立てた。
せいらちゃんと話していたパーシーさんが言う。
「あちゃ~っ、なにしてるんだいシドニー。ほら、すぐにお客様のお召し物お拭きして」
「あ、あああはい。すみません、ほんとうに、もうしわけありません、僕ってやつは、このとおりのでくの坊で、何の価値もない、ごみみたいな男でして」
いや、そこまで言わなくても。
シドニーさんはかわいそうなくらいうろたえてジュースで濡れたわたしのスカートをふいてくれる。
「あの。だいじょうぶです。それを言うなら、わたしもちょっとぬけてて。こういうことはしょっちゅうです。いつも星崎さんにめいわくかけてるし」
彼が一瞬手をとめて、こっちを見る。
「あ、いっしょに暮らしてる人です。わたしが飲み物こぼしちゃうと、おおげさに心配して、ふいてくれるんです。さいしょに、必ずこう言うんです。『動かないで! ガラスが散ったかもしれないから』ってきりっと」
あは、我ながらうまいモノマネ。
「このまえなんか、ちょっとスカートにジュースが一滴かかっただけでも、バスタオル持ってきてくれたことがあって」
「一滴のジュースにバスタオル! それは」
思い出すと、笑っちゃう。
彼も同じようで、ようやく笑顔をみせてくれる。
しばらく微笑みながらスカートをふいてくれると、なぜか意を決したように大きな声で言う。
「お召し替えに、別室をご用意させてください。夢未さん、どうぞこちらへ」
だいじょうぶ? というせいらちゃんやももちゃんの声にうなずいて、わたしは手を差し出されるままに、シドニーさんについて、奥へ向かった。
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