⑬ アリスの思わぬ妨害 ~もも叶の語り~

「なんてことだ! ブラックドールに寝返ったんだな、せいら」

 マーティンの叫びにもせいらは屈しない。

「夢っち、逃がさないわよ!」

 あたしは混乱するばかりだ。

「ちょっと待ってよ! なんでせいらが夢を捕まえようとするの? なにがどうなってんの?」

 それを察してるらしいマーティンが、すばやく数歩先で立ち止まっていた夢に向かう。

「夢未、ここはまかせて、行くんだ!」

「う、うん!」

 はじかれたように、夢が走り出す。

 まさかのここへきて仲間割れ!?

 せいらはエプロンのポケットから、四角いマイクを取り出すと、女性警官のように叫ぶ。

「夢っち。とまりなさい。あなたは完全に包囲されている」

「ごめん、せいらちゃん、わたし大事な用事が」

「こっちも重要案件よ。抵抗せずとまりなさい!」

 しびれをきらしたように、夢が叫ぶ。

「急がなきゃ。わたしには、時間がないの!」

 ぐん、と、せいらがマイクを夢にかかげた。

 とたん、真っ白い光があたりを包んで――。

 もう一度目を開けたとき、前を行く夢は、白い長い耳にもふもふのしっぽをつけた、うさぎさん衣装になっていた!

 いったいなんなんだ。

 意味がわからなすぎて頭をかかえていると、

「失礼いたします!」

 へ?

 ドールが大きな剣を手に、切りかかってきていた。

 マーティンが前にでてかばってくれる。

「すきありすぎなんだもも叶は!」

 ご、ごめんなさい。

 何度も剣をふって。

 切っ先がマーティンの顔をかすめる、と。

 彼が顔を覆って下を向いた。

「だいじょうぶ?!」

「あぁ。かすっただけだ」

 マーティンの顔を見て――。

「ぷっ」

 こんなときに思わず笑ってしまった。

 だって、鼻は黒く塗られて。

 ほっぺに三本ずつのひげ。

「ねこみたいだよ」

「えっ」

「はいはい、じっとして」

 あたしはハンカチで彼の顔をふいてあげる。

 マイク越しにせいらが叫んだ。

「かかったわね」

 とたんに光に包まれて――目を開くと、あたしたちの衣装も変わっていた。

 マーティンは白い猫耳に、ふわふわのシャツとしっぽのついた半ズボン。

 あたしも、しっぽのついた黒いミニスカートにシャツに変わっていた。手を頭にかざすとやっぱり耳らしきものがついてる。

「マーティン、かわいい……!」

「いや、そんなことは。もも叶のほうが。って、照れてる場合じゃない!」

 そうだ。夢をフォローしてあげないと!

 夢を追いかけるせいら。あたいとマーティンは二人のあいだに入ろうとするが、結界のようなものに阻まれていけない。

「なんで? いったいなにがどうなってんの?」

「名言フォンだ」

 マーティンの言葉にぱっとひらめくものがある。

 モンゴメリさんが、ディナーベルといっしょにくれたグッズ。

 たしか、物語の登場人物を同じ言動をすると、その人物の衣装になって、同じ運命を背負うん……だっけ。

 あれはせいらが保管していた。

「名言フォンで、ぼくらに『鏡の国のアリス』の衣装を着せた」

 すばやく視線を巡らせる。

 アリスがせいら。うさぎが夢で、あたしたちが猫。

「僕らに猫の衣装を着せたのは、介入をはばむためだ」

 そうか。

 アリスの冒険のあいだ、猫たちはふしぎの国に行くことはない。

 お留守番役だよね。

『鏡の国のアリス』冒頭で、お母さん猫が子猫の顔をふいてあげるシーンがあったっけ。

 それと同じことをしたことで、まんまと猫と同じ役割をさせられてしまったんだ。

 我ながらなんて単純、情けない。

 悔しいから力づくで衣装をひっぱろうとする。

「うぬーっ、この衣裳、かんたんに脱げないようになってる」

「お、落ち着くんだ。もも叶。ここでいきなりその、そういうことされると困る」

 あ、ごめん。

 マーティンは赤くなった顔をとりつくろって、夢に視線を戻す。

「夢未に『時間がない』と言わせてうさぎの衣装を着せたのは――」

 さすがにわかる。

 アリスのせいらが追いかけて捕まえるためだ。

 せいらはどんどん夢との距離を縮めている。

 どうすれば……。

 考えていると、マーティンが案を出してくれる。

「僕らが着替えられないよう衣裳に細工されているなら、せいらの衣装を変えるのはどうだろう」

 え? どういうこと。

「そうだな。……『鏡の国のアリス』のなかだったら、せいらに赤の女王のセリフでも、言わせられればいいんだけど」

 考え込むマーティンについていこうと、必死で頭の中の読書記録をたどる。

『ふしぎの国のアリス』の続編『鏡の国のアリス』。

 アリスが鏡の国に迷い込んでしまうお話。

 続編ではアリスはうさぎじゃなくて大きくなったチェスのこま、赤の女王といっしょに走る。

 ところがその結果は――。

 そうか!

 うん。

 いい作戦だ。

 というか、これしかない。

 はやいはなしが、赤の女王のような威張ったたかびーなせりふをせいらに言わせればいいんだ。

 あたしはありったけの知識を動員して考えた。

 せいらの怒りにふれそうなワードをならべたてる。

「せいらのわからんちんっ、とんま、まぬっけっ」

 ところが。

「ふんっ。なんとでも言うがいいわ! もう、ももぽんたちには任しちゃおけないのよっ」

 せいらは自分の意志をかたくしたらしく、うぉっしゃ~とますますスピードを増し、夢との距離をますます縮めていく。

「まずいぞ」

 うう、マーティン、わかってるよ。

 ええと、考えろ。なにか、なにかもっときのきいたこと。

「親友の恋路をはばむせいらなんか、馬にけられてしまえ~っ」

「もも叶……」

 マーティンががくりと肩をおとす。

 はい。もはや自分でも何言ってるかわかりません。

「夢っちの恋の道、ですって?」

 全力疾走中のせいらが、応答した。

「人生には恋の道以外にも友情の道ってもんがあるのよ。あたしが走ってるのはダチに続く一本道なの! あたしの大事な道なのよっ!」

 と絶叫して、ますますダッシュ。

 あぁよもやこでまでか。

 とそのとき、マーティンが小さくつぶやいた。

 やった。と。

 え?

 せいらの身体がひかりに包まれ衣装がチェンジしていく。

 水色のエプロンドレスは消え失せ、かわりに、咲き誇るバラのような真っ赤な王冠。名言フォンの代わりに、バラのつぼみのような真っ赤な杖をにぎって。

 やっぱり赤いドレスにマント。ドレスの先はきれいな円を描いてぴったりと床についていて、まるで置物みたいな愉快なデザイン。

 そして、なにより変わったのが。

「え? なにこれ?」

 本人も気づいたようだ。

「走っても走っても、同じ景色がついてくる~、ちょっとどうしてっ」

 はたから見たら、せいらはそこで全力で足ぶみしているように見える。

 マーティンがつぶやく。

「『あたしの大事な道』。せいらはそう言った」

 鏡の国のアリスのワンシーン。

 自分の道がわからなくなったと言うアリスに、赤の女王は言う。

「あなたの道とはなんのことやらわかりませんね。この道はすべてわたしのものです」

 そして、赤の女王はいきなりアリスの手を握って走り出す。

 ところが走っても走ってもつくのはスタート地点の木の下。

 へとへとのアリスに女王は平然と言う。

「ここではね、同じ場所にとどまるためには、全速力で走らなくてはならないのです」

 足踏みをするせいらと、先を行く夢の距離が、開いていく。

 そしてとうとう、夢は見えなくなる――。

 ほっとして、あたしはその場にひざをついた。

 ちらと、せいらに視線を走らせる。

 頭脳明晰なはずの我らがブレインは、それでも、走っていた。

 赤の女王の衣装を着て、同じ世界を走るせいらだけど、それは衣装の登場人物のとんちんかんな 堂々ぶりとは程遠いものだった。

「はぁはぁ……。夢っち……。待って。待ってよ……」

 でも、限界がきたらしい。

 すわりこんでしまった。

 遠くの夢は一瞬立ち止まる。

「せいらちゃん。ごめん……。ありがとう」

 そう言い残して、走って行った。

 取り残された彼女のもとに駆け寄る。

「せいら、なんで――」

「もも叶」

 マーティンにとめられて。

 よくよく様子をうかがう。

 あ――。

 せいらは、泣いていた。

 いつも強気なこの子が、ぺたっと地面に足をつけて。顔をぐしゃぐしゃにして。

 小さな子みたいに。

「あたしはいや。ぜったいいやよ。たとえ夢っちが望んだとしたって」

 喉元にこみあげる熱を飲み下そうとする。

 わかってしまった。

 せいらの本心。

「いや。……夢っちが一生病気を背負ってくなんて」

 真っ赤なレースの肩に、手を置いた人がいる。

「せいら」

「なによ……!」

 せいらはその手を振り払った。

「かみやんまで、夢っちのことを尊重しろとか言うの? 夢っちが病気になれって、言うの?」

 せいらの抵抗するのもかまわずに、ハンカチでごしごしせいらの顔を拭きながら、神谷先生は言う。

「悲しいことだけどな、せいら。病気は夢未ちゃんのものなんだ」

 しかめた目から、ますます涙が零れ落ちる。

「そんなのって。わかんない。理不尽よ。

たまたまいやな親のもとに生まれたからって、なんであたしのダチがここまで背負わなくちゃなんないのよ」

くしゃっとハンカチを握りしめた手を、神谷先生はせいらの頭にのせる。

「通帳預けるとき、星崎先輩は、オレに言ったんだ。夢未ちゃんが人生においてするいかなる選択も、認めてあげてほしいって。楽な道をじょうずに歩いて行ける子じゃない。でもあの子が選ぶ道なら、だいじょうぶだろうって。そして、痛みを受け入れることを彼女は選んだ」

 せいらがこっちを見る。

 もらい泣きしそうになるのをこらえて、うなずく。

 いやいやをするように、せいらは顔をふった。

「夢っちだってただの女の子なのに。控えめで主張がうまくなくて、ちょっとぬけてて。あたしが守ってあげなきゃいけないくらい、危なっかしい子なんだから」

 その顔を、神谷先生はぐっとあげて、見つめ合う。

「あの子のこと、友達として心配になるせいらの気持ちはわかる。でも、彼女にはここに持ってんだよ。せいらや、それから何人も、そのおもっ苦しい運命のことを思って、一緒に泣く人間を」 

 せいらは神谷先生を、あたしをマーティンを順番に見て、また泣いた。

 いっぱい泣いて、泣いて。そしてかすかに、うなずいた。

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