⑫ 漆黒のナイトの裏切り

 ブラックブックタワー。

 一階の実験室に、わたしは向かっていた。

 あのときわたしと星崎さんをかこった二つの壁。

 あの壁面に立った人たちのあいだを病は行き来する。

 あのとき星崎さんがわたしを抱きしめたのは、病の移行には、お互いに触れる必要があるんだろう。

 そして、この機械を稼働させることができるのはルーシュンさんただ一人。

 やるべきことは決まっている。

 ふいに、歩いている廊下の壁面の向こうから物音がする。

 複数の声。

 ブラックブックスの人たちが集まっているのかもしれない。

 ということは、星崎さんも――?

 壁にひっついて、じっと耳をそばだてる。

「全員揃ったかな」

 ルーシュンさんの声だ。

「ナイトが見えないようだけど、ボス」

 アイリーンさんのきれいな声。

 少しがっかり。

 星崎さんは、向こうの部屋にいないんだ。

「拷問部屋で反省中さ」

 とたんに、全身を剣でつらぬかれたような痛みが走る。

「集まってもらったのは、やつの処分についてだ。あいつは見事僕らを裏切ってくれた。

倉庫に保管してある本の魂たちを、一気にこの時代に解き放ってくれてね」

 みんなが息をのむ。

 そしてわたしも。

 この時代に本が戻ったのは、星崎さんのおかげだったんだ。

 きゅっと、胸の真ん中あたりが熱くなる。

 変わってしまったなんて、一瞬でも思ってごめんなさい。

 やっぱり彼は彼のままだ。

 なにもかも。

 悲しいほどに。

「むろん、この時代に帰っていった物語はすべて、僕が責任をもって回収する。きみたちへの報酬は保障するから、安心したまえ」

 一ミリも揺らがないルーシュンさんの声に、ふつふつと怒りがこみあげる。

 どうして平然としていられるの。

 ふいに、四天王さんお一人、アイリーンさんが沈黙を破った。

「ねぇルーシュン、もういいんじゃないかしら」

 ぐっと、耳を近づけてそばだてる。

「貧しい人との結婚のために、資金が必要でこの組織に加わったけれど。『シャーロックホームズ』の本のなかでの役どころ、わたしはけっこう、気に入っているの。教育も受けられない貧しい人もいる中、一部の人が本を楽しむのは不公平だと思ったから、理解のない人たちから本を奪って新たな時代にささげる会社の趣旨にも賛同していだけれど、ナイトから聞いたの。この時代はぐんと識字率も伸びているようだし、ふさわしい楽しみかたをしている人もおおぜいいるって。もうじゅうぶんだわ」

 続いておずおず口を開いたのは、白雪ママ。

「じつは……わらわも、そのう、さいしょは、悪役としてしか描かれない物語世界が不満だったが、本の対決のために勉強していくうちに、なんだか、おもしろくなってきてな。いや、ナイトのやつがそのぅ、ビブリオバトルや漫才のコツを伝授してくれての。

この時代から本を盗んでもうけるものすてがたいが、それよりかは、むしろ、この時代の人と本について語りたくなってきたのじゃ」

 そして、シンデレラママも。

「わかるわぁ。娘たちにも読ませて、楽しんでもらいたいカンジ。ナイトによく、年ごろの娘におすすめの本をきいたもんよ。ボス、どう? みんなこう言ってることだしさぁ、ナイトのこと、許してあげたら?」

 いつになくあせったようなブラックドールさんの声がする。

「みなさま。恐れながら、それはトップであるルーシュン様への不敬かと――」

だん、と音がした。

「決めた」

 まったく平然とした声で。

 ルーシュンさんは言い放った。

「漆黒のナイトを死刑にする」

 四天王さんたちがわざめき、そして、わたしは一瞬、何も聞こえなくなった。

「よけいなことをしてくれるから、組織全体の士気が下がってしかたない」

 そして、ふと名案を思い立ったように。

「あ、そうだ。見せしめが必要だよね。ちょうどいい。あいつは精神の病をその身にもらいうけたわけだし。どうせならたっぷりと追加してやる。ぎりぎりまで狂って、死んでもらおう」

 身体がふるえて、歯ががちがちと言う。

 星崎さんが、狂わされて、殺されてしまう。

 そんなことになったらわたしも、死んでしまう。

 ぱしっと、ほっぺをたたいた。

 しゃんとして、夢未。

 ルーシュンさんが、ふたたび病の移行機械を発動させる。

 これは、大ピンチであり、そして、大大チャンスだ。

 それこそ、わたしの狙っていたことでもあったんだ。

 今度は両膝をたたいて立ち上がる。

 行こう。

 ルーシュンさんに先回りして、実験室へ――。

 複雑に入り組んだ通路を抜けて、走る。

 以前ここにきたとき、漆黒のナイトさん――星崎さんに連れられてきた道を思い出しながら。

 ある曲がり角まできたとき、誰かが身を乗り出して道をふさいだ。

 わたしは目を疑う。

 ポニーテールに、大きな目の。

「ももちゃん……」

 両手を広げたまま、親友は聞いてくる。

「実験室に、行く気だね」

「どうして」

 手をさげて、うつむいた。

 大きな瞳が揺れている。

「わかるよ、夢の考えてることくらい」

 その目を見返して、わたしはうなずいた。

「そのつもりできたの」

「……」

 親友は一言だけ確認した。

「ほんとに、いいんだね」

 わたしも一言、返す。

「もう、決めたんだ」

 後ろから、親友の彼が顔を出す。

「本気なんだな、夢未」

 黙ってうなずく。

「どうする。もも叶」

 マーティンに見られて、じっと目を閉じて。

 ももちゃんの決断は。

「わかった。行って」

 わたしはほほ笑んだ。

「ありがとう。ももちゃん」

 そして、親友の先の道を歩き出す。


「もも叶」

 夢の背中を見送りながら、マーティンが肩に手を置いてきた。

「僕は、これでよかったと思う」

「あたしは……正直わかんない」

 ほんとうはこんなこと、協力なんかしたくない。

 ひっぱたいて目を覚まさせたい。

 でも。

 いたいほどわかるんだもん。

 夢の気持ち。

 それなら、応援してあげるしかできない。

 切ない決断をくだしたそのときだった。

 後ろから声がした。

「ブラックドール、夢っちはここよ。遠慮せず、あの二人を片付けちゃって!」

 この声は。

 あたしたちを片付けろと、ブラックブックス秘書のドールに指図している。彼女が、まさか……?

「ご希望でなくても、そういたします。すばらしき成果をおさめたルーシュン様の実験を、なかったことにしようとする方々は、失礼ながら、阻ませていただきます」

 黒いゴスロリ衣装のドールが、背後からあたしたちの前に現れる。

「露木様、情報提供、感謝いたします」

「いいから、早くももぽんとマーティンくんの動きを封じるのよ!」

「仰せのままに」

 ドールの黒い手袋に包まれた手が伸びてくる――。

「ちょっとせいら、何言ってるの?」

 数メートル後ろで。

 水色に白のふりふりのエプロンドレスをひるがえし、堂々と宣言したせいらを振り返る。

 すごい似合ってるけど、あの手のガーリーな服装は苦手なはずなのに。

 そこまで考えてあたしははっとした。

 もしかしてあれ、物語ドレス?

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