⑪ わたしを労わる手の記憶
ベランダから、月が柔らかく微笑んでいる。
一人で夕飯を作って、後片付けを終えたわたしは、リビングで、昼間学校図書室で借りた
『児童文学図鑑』をめくっていた。
ももちゃんのことはやっぱり気になる。
けど、せいらちゃんもああ言ってくれたし。
こんなときは、読書に没頭して忘れるのがいちばんだ。
分厚い本の中には、挿絵付きでいろんな本の感動の名シーンが紹介されている。
読書案内のための本なんだけど、すでに読んでしまった本がほとんどだ。
でも、たまにおさらいのために、こういう本を読む。
原書とは違った挿絵も新鮮で、それが自分のイメージとあわないとちょっと残念だけど、画家さんの表現がぴったりくることだってあるし、ときにはなるほど、そう描くんだって感心させられたり。
『一ダースの男の子より、わしにはアン、お前のほうがいいよ』
言葉少ななマシューおじさんが赤毛のアンに贈った言葉。
おたふく風邪にかかってしまったジュディーのもとにとどいたあしなおじさんからのバラの花束。
屋根裏にとじこめられたセーラに差出人のない手紙とともにとどく、豪華なごちそう。
主人公が悲しんでいる時手を差し伸べてくれる誰か。
そんなシーンが図鑑にはたくさん描かれていた。
こういうところを読むとすぐ感動して泣いてしまうのは、きっとこんな体験したことないからだろうな。
そう、思った。
……あれ。
おかしいな。
それなのに、わたしには今、はっきりと感じることができた。
アンの満たされた静かな幸せも、泣きながらバラにキスしたくなるジュディーの気持ちも、手紙を抱きしめたセーラが心で流した涙も。
ページをめくる手はとうとう、裏表紙までやってくる。
真っ白なページ。
そこにふいに絵が浮かんだ気がした。
お父さんに殴られ、書店に逃げ込んだ女の子が、手当てをされている。
痛いところに宛てられたガーゼがひんやりと気持ちいい。
ぼろぼろの身体を、抱きしめてくれる、誰かの手。
怖い夢を見たとき、ふとんでくるんでくれたことも。
お父さんに騙されて悪い人に連れて行かれそうになった時来てくれたこともあった。
わたしを本の中のヒロインとおなじように大切な子だと思わせてくれた人がいた。
その人の名前を、わたしはつぶやいていた。
「――」
今、わたしの病気をその身に受けて、一人、消えていこうとしている。
彼の名前を、もう一度。
「星崎、さん」
名前と同時に、頬から涙が滑り降りる。
ふいに窓から月明かりが差し込んで、今はもう白く戻ってしまったページを照らした。
天の啓示といって、神様の言葉をきいたことがあるという人が歴史上には何人かいるというけれど。
その言葉をきいたとき、わたしの中に巻き起こったのはそれにごく近いものだったと思う。
目の前に光がさっとひらけたように、とつぜん、わかったの。
わたしがどうしたらいいのか。
ううん。
わたしが、どうしたいのか。
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