⑫ 漆黒のナイトの正体

 ナイトさんは、フロアの奥の扉の中へと入って行った。

 彼が最終決戦の相手なら、やっぱりナイトさんこそ、ブラックブックスのトップ、ルーシュンさんなんだ――。

 扉を押して、中へ入る。

 薄暗い部屋の周りには、燭台が置かれて、炎がちろちろ揺れていた。

 周りには無数の色とりどりの本たちが、むぞうざに置かれている。

 天井はつきぬけるほど高くて、四方の壁という壁に本がぎっしりつまっていた。

 きっと盗んだ本の一部なんだ。

 正面の高い位地に王座のような真っ赤な椅子があって、そこに長い銀髪と金色の目をもつ人が、足を組んで座っていた。

「よくやってくれたよ、ナイト。大事なお客様のご案内、ご苦労だったね」

 あれは、たしかに。

 ルーシュンさん。

 てことは。

 わたしは王座の少し手前に立っている黒いマントの人を見た。

 ナイトさんは、ルーシュンさんじゃ、ない?

 悪い予想が外れたことにどこかほっとする。

 ナイトさんはブラックブックスの人だけど、悪い人じゃないと思ってたんだ。

「それはどうかな」

 そんなわたしの心を読んだように、ルーシュンさんが口を開く。

「彼の目的は僕と同じだよ。だからこそこうして命令にしたがってきみをおびきよせた。計画通り、きみ一人をね」

 炎をうつして光る金の目を真正面から見据えた。

「わたしのなにが目的なんですか」

 ルーシュンさんは首をふって、

「まぁそう急がないで。まずは、かるくウォーミングアップといこうか。治療の前に麻酔があったほうがいいだろう」

 治療?

 はっとしてあたりを見まわすと、わたしの立っている絨毯の左右がガラスで囲まれていることに気づく。

 なんなんだろう、これ。

 ルーシュンさんが王座の近くの機械に手をかざすと、ガラスから黒い電気のようなものが流れ てこっちへ襲ってくる。

 よけなきゃ。

 そう思うよりはやく、身体が倒されて――。

「ナイトさん?」

 彼がとっさにわたしを抱きかかえてふせて、かばってくれたの。

 あたたかさが伝わってくる。

 この人。

 ブラックブックスの一味。

 そして、ほんとうは栞町側の人で、スパイのようなことをやっているらしい、素顔が不明の人。

 敵なのにいざというときいつもわたしをかばってくれた。

 いったい、だれなの。

 倒れたまま、ナイトさんの黒い腕のなかからそっと顔をだして、わたしは全身が固まった。

 そこには金にふちどられた黒い仮面が転がってる。

 ナイトさんの素顔をいつも覆っている、仮面。

 やれやれと息をつくルーシュンさんの声がする。

「なに、その不満そうな目。強い刺激を最初にあたえてしまえば、あとは楽になるんだ。親切心のつもりだったんだけど」

 今、顔をあげれば、この人の正体が、わかる――。

 必死に首をよじって、ルーシュンさんのほうに向けられたその顔を、なんとか見ようとする。

 でも、その動作は、必要なかったんだ。

「ルーシュン、約束が違う。苦痛は最小限にすると、あれだけ念を押した」

 わたしは、その瞬間から、動くことができなくなった。

 時間がとまったみたい。

 間違いであってほしいと思った。

 でも、わかってる。

 わたしがこの声を、聞き間違えるはずはない。

 出した声はかすれて、震えていた。

「星崎、さん……」

 ゆっくりと向けられたのは、大好きな切れ長の目。

 いつも微笑んでいるその目が、今は気づまりそうにふせられている。

「星崎さんが、漆黒のナイトさん? ブラックブックスの一味? どうして……」

 彼は答えてくれない。

 ただ悲しそうに瞳を揺らすだけで。

「あのさー、もたもたしないでくれる。きみがもちかけたことだよね。やるの、やらないの?」

 星崎さんが、もちかけた? ルーシュンさんに?

 わたしをおびきよせて、なにかをしようとしてる。

 がたがたと、心の壁がくずれていく。

 いたむように目を閉じて、大好きな彼はうなずいた。

「じゃ、ご希望通り、ぶっつけ本番でいくよ」

 ルーシュンさんがもう一度手を伸ばして。

 その瞬間、電気のような稲妻が体中を襲った。

 痛い。

 息が、できない。

 ぐっと、胸の真ん中あたりをつかまれる。

 もう一方の手でわたしを抱きしめて動きを封じているのは。

 ほんとうに、あなたなの。

 だれより、だいすきな、やさしい人が。

 どうして、こんなこと。

 彼の手が離れたとたん、衝撃と痛みと、そして体の力が抜けて、その場に座り込む。

 次に放たれた言葉は、わたしに向けられたものじゃなかった。

「経過は」

 短く訊かれたルーシュンさんは肩をすくめる。

「まだなんとも。その後の彼女の様子を見ないことには」

「……そうか」

「そろそろ時間だ。ナイト、帰るよ」

「あぁ」

 二人が話す声が耳を通過していく。

 気づいたら、肩に感触を感じていた。

「夢ちゃん」

 黒い、王子様のような衣装。

 もし、ちがった場所で着てくれたら、のんきにみとれられたのに。

 名前を呼ばれてももう、今までのように返事がでてこなかった。

 ただ涙としゃっくりがこみあげてくるだけ。

「よく聴いて。わけあって、もう一緒に暮らせなくなった」

 一番恐れていた言葉が現実になって、のどの奥からやっと言葉を押し出す。

「いや。お願いです。ルーシュンさん。本はあげます。だから……星崎さんを、つれていかないで」

 背中をさすられながらなだめるように言われる。

「ごめんね、夢ちゃん。そういうわけにはいかない。彼のもとに行くのは、オレの意志なんだよ」

 わたしは顔をあげた。

「うそ。そんなわけない。本を盗む組織に入るなんて、星崎さんは、そんなことできる人じゃないです。だれより本を大事にして、人に手渡すことを、あんなに愛してて。わたしにだっていっぱい、物語のこと教えてくれたじゃない。なのに、なんで?」

 すっと、彼の瞳に影が差す。

 今まで見たこともないような、深い影。

「夢ちゃん。大人には時には神様に逆らいたくなる時があるんだ。そのためなら、悪魔になってもいいと思う。そんなときが」

「ブラックブックスのほうが、大切になったの? わたしよりも……?」

 すっと彼の瞳が細くなる。

「今オレが言えることは、一つだけ。ごめん。叶えたいことができたんだ。ブラックブックスの力を借りても。その望みを捨てることが、オレにはできなかった。たとえ、きみに嫌われたとしても」

 彼は、変わってしまった。

 その事実を受け入れるには、その笑顔があんまり、いつもどおりで。

 いちばん訊きたかったことが、のどの奥から漏れ出た。

「四年後、待っててくれるって。あれは、嘘だったんですか」

 泣きじゃくるわたしの髪をなだめるようになでながら、彼は言った。

「約束を果たせなくてごめんね。きみにはきっと、すてきな人が現れるから。かわいい天使さん、さようなら」

 でも、その顔を見返すことができない。

 はっと気づいた時には、彼は立ち上がって、ルーシュンさんについて、行ってしまっていて。

 その黒いマントを追いかけるようにわたしは最後の声をしぼりだした。

 星崎さん。

 星崎さん……っ!

 肩で息をするわたしを彼が振り返って見ることは、なかった。

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