⑤ いざ海へ!

 ちょん。

 振り向いたカレのほっぺたにあたしの人差し指がささる。

「あっ、もも……!」

 こっちを見るなり、海水パンツにシャツを着たカレはあたしの名前を最後まで呼べないほど真っ赤になって。

 くるっと向いてしまう。

「やきそばとかき氷、買ってきたよ。一緒に食べよ。はい、あーん」

「……」

「どしたの? こっち向いてよ。ねぇ」

 焼きそばをからめたおはしで追いかけるけど、彼の顔は右へ左へ逃げていく。

 ふふっと、笑いが漏れる。

「あ、この格好?」

 わざとすりよって、耳元で囁いて見せる。

「マーティンが見たいって言ったんでしょ。『頼む、着てくれ』って懇願したんじゃん」

「な。僕は、そんなこと頼んでな……!」

 チャンス。

 ぱくっとその口に焼きそばを入れる。

「おいしい?」

 ふいふいと首が縦に動く。

「さいしょから素直に食べなさいって!」

 ぎゅっと胸にその頭を抱き寄せてなでてあげようとするけど。

「わわっ、もも叶、それはちょっと、無理……ごほっ」

 焼きそばのどに詰まらせるし。

「すごいね、マーティンとももちゃん」

「なんていうか、お泊りデート以降パワーアップしたわね」

「ほらそこ、イチャイチャすんなー。いったん集合」

 向こうでラブラブな空気を出すマーティンくんとももぽんに、かみやんが号令をかける。

 今日はパープルにヤシの木の描かれたシャツに、海水パンツ姿。

 悔しいけど、どんなかっこうもにあうのよね、カレ。

 全員集合した砂浜には、白い網がとりつけられていて。

「ビーチバレーのチーム決め、するぞ」

 いえーい!

「くじびきでもしようか」

 白いシャツを着た星崎さんが言うけど、こっち側の陣地にはあたしにももぽん、マーティンくんと夢っち、そしてかみやん。向こう側には、星崎さんがいて。

「いや。ここは年より対若者でいいんじゃないですか」

 つかつかと、星崎さんがこっちにあゆみよって、ぐっとかみやんの襟首をつかんだ。

「いたたっ」

「誰が年寄りだ。というか、なに若者チームに入ろうとしてるんだ? 龍介はこっち」

 連行されてっちゃった……。

 でも。

「えー、神谷先生と星崎王子が組んじゃったらもう敵わないよ~」

「うん。すごい速さのボール飛んできそう。わたし怖いな」

 そうよね。

 ところがそんなももぽんと夢っちの肩を後ろから同時にぽんとたたく人が。

「そんなことは断じてない」

 カレ――マーティンくんは前に歩み出て、サーブの姿勢をとった!

「女の子たちは、僕一人で引き受けます」

 ふふん、とかみやんが笑ってカレを見る。

「大丈夫か、少年?」

 むっと、マーティンくんは口元を引き結んだ。

「十分です」

「よっ、マーティンかっこいいぞ~」

「はやし立てるな、もも叶」

 よーし、これでチームは整った。

「じゃ行くぞ。試合開始!」

 ビーチバレーの結果は三点差で星崎さんたち人生の先輩チームの勝ち。

 ボールがすごくはやく動いて、ああいうのはいい勝負、っていうんだと思う。

 健闘したのはわたし、夢未以外のみんななんだけど……。

「夢っち~、逃げるばっかじゃだめよ」

「そうだよ。ちょっとは戦力になってくんなきゃ」

「えーん。だってだって。ボールが、見えないんだよ~」

「いいんだよ。人には得手不得手ってものがある」

「王子、甘やかさないでください」

 ギャグのような会話をしたあと、自然とそれそれカップルで別行動になる。

 カップルっていっても、わたしの場合は、カレじゃないけど……。

 浜辺に敷いたシートに座って、じっと考えてしまう。

 星崎さんは、大好きな人だけど。

 一緒に暮らしてて。

 とても大事にしてくれて。

 一度だけキスされたことがあって。

 でも。

 わたしのことは、どう思ってるんだろう。

「つかれた?」

 座っているとなりの位置に、缶ジュースが置かれる。

 カレが隣に腰かけたところだった。

「いいえ」

 とがめるような視線に、かんねんする。

「はい。……少しだけ」

 頬に片手で触れられて持ち上げられる。

「ふだん学校では、しんどくなることない?」

 切れ長の澄んだ目でみつめられると……う、嘘がつけない。

「たまに、ちょっとだけ」

 ふっと星崎さんが複雑そうに微笑んだ。

 そういうことは早く言えって言ってるのに。

 その目がそう言っていた。

「夢ちゃん。どうしてきみの道ばかりが、平坦じゃないんだろうね」

 カレの目はまっすぐ前を見ている。

 数メートル先では、真っ青な波が行ったり来たりを繰り返してる。

「わたしも、そう思ったことはあります。どうしてこんなにつらいのかなって。でも、ほかのだれかの人生とかわってほしいとは思わないんです。だって」

 だって。

 お父さんに殴られるひどい運命がなければ、星崎さんにひきとってもらえることはなかった。

 布団の中優しく言葉をかけてくれたり、

 心の中に閉じこもったわたしを助けてくれたり。

 そう言うと、カレは耳元で、そっとささやく。

「今日は、薬飲んだ?」

「はい」

 ちゃんと、それだけは守ってるから。

 自信をもって、笑ってみる。

「わたし、きっとよくなると思うんです。心配してくれる人がいるから。幸せ、だから」

 あ――。

 ぎゅっと、頭が胸に引き寄せられる。

 シャツの隙間からじかに、カレの体温を感じる。

「きっと治してあげるから」

 確信に満ちた口ぶりがおかしくって、うれしくて、笑いが漏れた。

「星崎さんがいくらなんでもできても。こればっかりは神様に頼むしかないかなって」

 でも、カレの声は笑っていなかった。

「神様には任せられない。きみに重荷ばかり負わせるから」

「星崎さん……?」

 肩に手をおかれて、正面から見つめられる。

「オレに言わせて。必ず治してあげるって」

 やっぱり、こぼれてくるのは幸せの笑顔だけだった。

「ありがとう、星崎さん。なんか、元気でてきちゃいました」

 立ち上がって、ぐーっと伸びをする。

「ちょっとだけ泳いできます」

 そう言うと、星崎さんははじめて、少しだけ笑ってくれた。

「気をつけてね」

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