⑦ 心配したいカレと逃避行

 海の浅瀬を二人、なにも言わずに歩いている。

 寄せては返す波の中にふいにきらりと光るものを見つけて、拾い上げた。

 手のひらサイズの真っ白い巻貝が、太陽の光に反射して光る。

 いいことを思いついて、あたしは巻貝をそっと髪にかざしてみる。

「かみやん」

 前を行く彼が、振り返る。

「見て。人魚姫みたい?」

 にっこり笑って見せる。

 ちょっとしたおふざけのつもりだったのに。

「すっげー! よく見つけたな!」

 彼は目を輝かせて、走り寄ってきて……。

「じつはさ、オレこういうの目がないんだよ」

 へ?

 ただ貝殻を頭にのせただけで、おおげさじゃない?

 でもカレのきらきらした目を見たら、そうは言えない。

「めちゃめちゃかわいいじゃねーか、もっと近くにきて見してくれよ」

 な、な……!?

 なんなの、このストレート発言。

「い、いやだ、ただちょっと飾っただけで。でも、正直ね。そういうとこ、きらいじゃ、ないわ」

「いや、マジでそうとうな美人だって」

 美人!? 

 もう、なに言い出すの。

 彼はあたしのすぐ近くにかけよって、きれいな貝殻をそっとなでた。

 そして、そっとささやく。

「この、ヤドカリ」

 数秒沈黙のあと。

「ぎゃーーっ!」

 ぶんぶん、頭を振り乱す。

 最悪なことに、あたしが貝殻と間違えたヤドカリもびっくりしたのか、揺れるあたしの頭から肩、腕と大移動をはじめたの!

「きゃっ、気持ち悪いっ。かみやん、とって!」

「えぇ? なんだ、わからずにつけてたのかよ」

「いいから、早く!」

「……しかし、なぁ」

 さっと赤くなったカレを見て、ふと、自分の姿を確認する。

 ヤドカリはなんと、あたしの腰のあたりで、恐怖にちぢこまっていた。

 そこからちっとも動いてくれない。

 ぶるぶると寒気におそわれる。

「もたもたしないで、早くとってってば!」

 首筋をかきかき、彼はため息をついた。

「あーもう、わかったよ。大人しくしてろ。少し肌に触れても文句言うなよ」

 そーっと、カレの指がやどかりをきゃっちして、太陽の光にかざした。

「おーすげー。ほんもののヤドカリだ」

 しげしげと眺めた後、あたしに向きなおる。

「でもなせいら。気持ち悪いはひどいぞ。このヤドカリからしたらせいらなんか自分の命をどうとでもできる巨人なんだからな」

 助けてもらったのにむくむくと、怒りが沸き起こる。

 なによ、めずらしく素直だと思ったら。美人ってヤドカリのことだったの。

 ぷくっとふくらましたほほをそむける。

「ふん、最近お菓子食べ過ぎてサイズがやや大きくなってて悪かったわね」

「んなこと言ってねーだろ」

 苦笑しながら彼はやどかりを人差し指でなでる。

「おーよしよし。せいらがでかい声でおどかして悪かったな」

 首をかしげて、ヤドカリに笑いかけてる。

「なー、やどりん。お前どっから来たんだ? 見つからないように岩陰に隠れてたんだけど、寂しくなって波に乗ってきたってとこか?」

 ヤドカリの身の上話聞いてどーすんのよ。

 しかもやどりんって、ネーミングセンスなさすぎ。

 でも笑うその目が無邪気で。

「オレの前では、もう、隠れなくて大丈夫だからな」

 どき……。

 こういうカレにもつい見とれてしまう。

 ふいに恥ずかしくなって目をそらす。

 波の音だけが響いている。

 もう一度見たとき、カレの表情は別人みたく真剣だった。

「なぁ。……せいら」

 息をつめたような苦しげにすら見える瞳で、こっちを見てる。

「かみ、やん……?」

 さっきまで少年みたいだと思ったら、いったい、なんなの?

 だから、男の人ってわからないの。

「お前も、隠してるよな、オレに、なにか大事なこと」

 どっきん。

 心臓が、大きくはねた。

 じょうずにつくろえば、ごまかすこともできる。

 でもその選択肢をとるにはとうに手遅れなくらい、あたしは動揺を表に出してしまっている。

 悔し気にため息をついたカレが、すぐそばにくる。

 肩を抱かれたとき、心地よい波が、足元にさっと押し寄せた。

「どんだけ一人で持ったら気がすむんだよ」

 触れるその手が、かすかにふるえている。

「オレが気づかないと思ったか」

「ち、違うの。かみやん」

 あわてて顔をあげて、せいいっぱい、言葉をつむぐ。

「たしかにあたし、かみやんに言ってないことがある」

 認めた言葉が静かに波間にとけていく。

「でも、同じ使命の仲間だっているし。あたしは、だいじょうぶだから。心配しないで」

 笑ってみせたけど、それでもカレの顔は切なげなままだ。

「どうしても、だめか」

「え?」

「オレに心配させちゃくんないのか」

「……かみやん」

 カレの瞳が、水平線の向こうに投げられる。

「ただでさえオレは、お前に隠し事をさせてんだぜ」

 苦し気な声に泣きたい心地になる。

 あたしたちのことを、みんなに話せないこと――まだ、祝福してもらうわけにはいかないことなら、あたしは平気だ。

 さいしょは両想いの望みすら、かけらほどの恋だった。

 あなたといっしょにいられることだけで、あたしはいたいほど幸せなのに。

 そんなことを気に病んでくれていたなんて。

「せめて、オレたち二人のあいだだけは、そういうのなしにしたいんだ」

 静かに、波がひいていく。

 あたしの抱えるものをいっしょにもってくれること。

 それが、彼の心の底からの、望みなんだったら。

 迷いが、着実に、失せていった。

「かみやん」

 カレが、ゆっくりとこっちを見る。

「あたし、ブラックブックスっていう盗賊集団と戦っているの。――夢っちやももぽん、マーティンくんと、いっしょに」

 あたしは、かみやんにすべてを話した。

 春のキャンプのとき現れた怪しい男女も、ブラックブックスの一味だったこと。彼らから『飛ぶ教室』を取り返したことや、待ち伏せ作戦なんて、危ないまねを実行したことも、隠さずに。

 話し終えて、じっと、彼の反応を待つ。

 かみやんが口をひらきかけて――警戒するように、さっと顔をこわばらせる。

 複数の人たちの話し声がして、そっちに目を向けると、見慣れた団体がやってくるのが見える。

 あたしはさっと血の気がひいた。

 一団を率いている体格のいい男の人がよびかけている。

「よーし、じゃ各自このあたりで訓練開始。一時間後には集合して、栞町中に帰るからな」

 あたしたちの中学の、水泳部だわ!

 合宿に来てるのね。

 なんて間が悪い。

 今、かみやんといるところを見られたりしたら――。

 恐怖に震えていると、手をつかまれた。

 そのまま走り出す。

「せいら。悪い、ちょっと付き合え」

 かみやんがに連れられて向かった先は、数メートル先にある桟橋の、船着き場だった。

 そのうちの一つの小さな船に、乗り込む。

 やってきたのは一番前の操縦スぺース

 慣れた手つきでエンジンをかけながら、カレの切迫した声がする。

「砂浜全域にちらばった部員たち全員の目をくらますには、これしかない」

 って、海に向かって漕ぎ出すの?

「本気? この先に島とかあったかしら?」

「さぁな」

 エンジンのかかる音がする。

「さぁなって、どこにもたどりつけなかったらどーすんのよっ」

「まぁ最悪それでも」

 船を漕ぎ出しながら、彼はなんてことのないように笑いかけてくる。

「お前と別れるはめになるよりましだ」

 すぐに正面に向けられた顔はひきしまっている。

「つかまれ。揺れるぞ」

 あわてて彼の腕にしがみついたのと、がたんと大きな衝撃がきたのと同時だった。

 もう。

「ばか、強引、考えなし!」

 罵倒しながらあたしはぎゅっとカレの左腕に抱き着いた。

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