④ 職員室のカレ
海まであと二日を数えるほどになった日の夜。
あたしはアイスティー片手に、家でゆっくり読書を楽しんでいた。
そろそろ寝ようかしら。
読みかけの本に付箋を貼ろうとして、ふっと思い出して顔が熱くなる。
おととい、このハート柄の付箋にカレの名前と“だいすき”って書いて。
あら。
そういえばあれ、あのあと見てないけど、どうしたんだったかしら。
しばらく考えて、思い当たったとき、あたしの顔は赤から青に変わった。
ケストナー先生から電話があったからとっさに宿題ノートにはさんで、それから記憶がない。
ということは。
「あの付箋を貼ったままかみやんにノートを提出しちゃったんだわ!」
♡
職員室の扉をそっと開ける。
2センチくらいまで開けたとき、思わず静止。
だって、見えてしまったの。
かみやんの机の周りに集まる先生たち。
その中に、ふんわりハーフアップの泉先生がいた。
泉先生はこの学校の先生じゃない。小学生のとき奥付塾にいたときの、国語の先生だ。
そしてかみやんのもと婚約者。
「じゃ、奥付学習塾の忘れ物も返せたし、わたしそろそろ行きますね」
ふんわり微笑んで泉先生の言った言葉に、ほっ。
そういうことだったの。
でもそのあとだった。
「聞いたぞ。神谷。わたしの妹分の泉を泣かせて、どこの令嬢と結ばれようというのだ」
かみやんの席のすぐわきには、教室で使う長い刺し棒をもって、仁王立ちになる利津先生の姿が。
理科担当の利津先生は、長い髪をポニーテールにしたジャージ姿の、男前な女性の先生。
「妹分?」
眉をひそめるかみやんに、泉先生が答える。
「利津先生とは以前、ほかの小学校でご一緒したことがあるんです」
「はぁ。先生の世界も狭いっすね」
たいへんなのはそのあとなの。
「答えろ、神谷龍介」
高々と棒を掲げる利津先生の斜め下方で、彼はふつうにファイルに目を通してる。
「すみません。こればっかりは、言えないんです」
かみやん、なにやってるのよ。
利津先生を怒らせたら、大ごと。
いつもの軽い調子で切り抜けて!
「ぬかせ! どうしても言わぬというのなら、我が鉄拳が――」
かみやんはファイルをパタンと閉じて、利津先生に向きなおる。
「殴ってください」
「なに?」
「泉先生に迷惑かけたのは本当すから。それには抵抗ありません」
きゃー! どうしよう。
「うむ。なかなかの心意気。では、覚悟!」
やめて!
彼を殴らないで。
そこへ、救いの手が差し伸べられる。
「あら利津先生、わたしがふったんですわ。あまりに煮え切らないもんだから、こっちからお断りしましたの」
泉先生。
ナイスだわ……。
「うむ。……まあ、泉がそう申すのならば、そういうことにしておいてやる」
しぶしぶ、棒をおろす、利津先生。
ほっ。
横でこのあいだの数学のテストを採点しながら、風馬先生が口をはさむ。
「それがいいですよ、利津先生。神谷っちに女の人を泣かせるなんてできるわけないじゃないすか。かわいそうに、この男は、この外見にして誰とも付き合ったことのない、隠れ非モテなんですから」
ちなみに、かみやんと同期らしいこの先生は、茶髪にピアスのちょっとチャラ先生で有名。
「け。あたりかまわずくどいちゃ、そのたびふられてる、オープン非モテよかましだろ」
かみやんにしっかりやり返された風馬先生は、
「……みなさーん、ここで担当よりお知らせでーす」
話題を、変えた!?
「かねてから話題にのぼっていた、各部活の合宿の日にちが決まりました~。勤務日の方はよろしくでーす」
先生たちに詳細の用紙を配っていく。
そこで、授業開始のチャイムが鳴った。
「かみやっちもいくつも部活動兼任してて大変だろ? たまには飲みいこうぜ。どうよ、今週末」
風馬先生をかみやんは軽くあしらう。
「悪いな。前からちょっと都合がさ」
「えー、なに、オレといっしょで普段は自宅と学校の往復のくせに」
かみやんはちょっといじわるな笑みを浮かべて、
「ま、お前には縁のないような用事さ」
「おー、奥付海岸のあの事件、解決したんだ~」
「って、聞いてんのかよ」
風馬先生は、すぐ手元にあった新聞を手に取る。
「知ってます? あの女子児童誘拐事件すよ。学校の先生が生徒に手を出しちゃったっていう。犯人つかまったんですって。女生徒を車で連れまわし、海に向かって愛を叫んでるところをつかまったとか」
「信じられん。教え子に手を出すとは不届きな」
「生徒たち、遅い時間に帰ることが多いもの。気を付けるよう言わなくちゃですね」
利津先生と泉先生もそれぞれうなずく。
あたしはそっと扉を開けようとする。
そろそろ出てってもいいかしら。
その場の先生たちが、それぞれ持ち場に戻ろうとしている。
でも、そのときだったの。
「人間なんだから、図らずも、予定外の相手を好きになっちゃうことだってあるんじゃないですか」
その場の全員が――あたしも、静止する。
「神谷。お前は犯人の肩をもつのか?」
「そういうわけじゃ、ないですけど」
利津先生に答えたかみやんの目にはいつもの力がない。
「かみやっち、今日はなんかへんだ」
風馬先生も不思議そう。
「神谷先生……」
泉先生だけは、切なそうに視線をそむけた。
あたしも胸の奥がきゅっとなる。
かみやん――。
がらがらと扉を開けて、失礼しますと一言。
「利津先生。課題のプリント、全員分です」
「おお、露木。礼を言う」
利津先生はプリントを受け取ると、力強く頭をなでてくれる。
「この間のテストもなかなかのできだった。全教科にわたりあなたの努力は模範的である。その調子で精進するように」
「ありがとうございます、先生」
すかさず泉先生の声が。
「露木さん、久しぶり。相変わらずがんばってるみたいね」
利津先生が目を丸くする。
「なんと。泉、知り合いか」
あたしは優等生らしく答える。
「小学校のとき、奥付学習塾でお世話になっていました」
「へー。露木ちゃん、そういえば数学の質問あるって言ってたよね。今時間あるからいいよ~」
風馬先生がそう言ってくれたので、あたしはすかさず数学の参考書を取り出す。
職員室にくるとき、質問したい先生がいるかもしれないから、疑問を持っている教科の問題集は携帯する。これ常識。
「ここなんですけど」
ここの先生たちはみんな、頑張りをたくさんほめてくれるから、大好き。
ちょっと照れ臭いけどね。
風馬先生に問題を教えてもらってると、ぽんと頭に感触がした。
教室に行く彼だって、すぐにわかった。
「根詰めすぎんなよ」
それだけ言うと、かみやんは職員室を出ていった。
きゅんともう一度、あたしの胸を狭くして。
だいすきな、かみやん。
そう心でつぶやいて、あたしはようやく気が付いた。
「あっ」
一番の目的、忘れてた!
♡
「だめだ」
風馬先生に数学の問題を教えてもらったあと、廊下を早歩きして追いついたさきで。
かみやんの返答は予測通りだった。
「お願い、どうしてもあのノートを返してほしいの。一瞬で済むわ。直したいとこが――」
「だめと言ったらだめだ。宿題はテストと同等。一発勝負。みんなこのルールでやってんだからな」
うう~。
なによ、かみやんの鬼教師~。
心で毒づいていると、ふっと彼の眉が下がる。
「はぁ。そういう顔されちゃしゃーねーな。どこだ、直したいとこって? 場合によっちゃ情状酌量してやるから」
わぁ、さっすがかみやん。
えっとね、“かみやんだいすき♡”って書いた付箋をノートにつけっぱなしにしちゃって。
恥ずかしすぎるから、取り戻したいの♡
って……。
言えるかーっ!
心で泣いてあたしは言った。
「やっぱり、いいわ。みんなと同じ条件で。勉強はフェアにやらないとね」
こうなったらもう、カレが付箋に気づかないでくれることを祈るしかなさそう。
何も知らないかみやんはにこっと笑う。
「えらい。それでこそせいらだ」
お願い、カレのちょっと大雑把な性格が、吉と出ますように……!
祈っていると、耳元で声がする。
「じゃ、明日駅でな。楽しみにしてるぜ」
あたしは笑顔で手を振って、は~とため息をついた。
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