⑩ ジョニーの誘い
ピロリンと音がして、あたしはうっすらと目を開いた。
起き上がって、自分がかんぺき斜めにベッドに寝ていたことに気づく。
すぐとなりでは、カレが、これまた斜めになって、静かに寝息をたててる。
あ……そっか。
けっきょく、いっしょのベッドで寝ちゃったんだ。
そう気がついて、顔に血がのぼる。
きゃ~っ。ももぽんたらいやだわ、大胆すぎるっ。
ももちゃんて、やっぱり、なんか、すごいね……。
脳内で再生される友人約二名の声を一喝する。
ええいっ、しょうがなかったの! だいたいせいらはともかく、夢は王子に添い寝してもらったことあるくせにっ。
脳内の夢が黙ったので、現実に思考を戻す。
夕べ、パパと話したあとのマーティンは、ごく自然に、明るくふるまってた。
僕は持参した寝袋で寝るってなぞなこと言い張るからつい、こっちもムキになってあたしのベッドで寝ればいいじゃんって言い張ってしまって、最後まで決着はつかなかったけど。
ベッドの上で延々言い争いながらUNOをやってたら(マーティンが何度もあがりそうになったけど、言い争いに夢中で最後の一枚になったとき「UNO」って言うのを三回くらい忘れて長引いた)結局そのまま眠っちゃったみたいだ。
一晩明けて、冷静に思い返すと笑えてくる。
あどけないカレの顔に、ささやく。
なにやってたんだろうね、あたしたち。
ベッドの上のぶー吉ぶー助も笑ってる気がする。
そのとなりのスマホにふと目が留まった。
そういえばさっきラインの着信音がしたっけ。
壁の時計を見るとまだ五時前だ。
こんな時間に誰だろ。
あたしはなにげなくトーク画面を開いて――目を疑った。
♡
まだ朝日も昇り切ってない栞町を、ひっかけてきたパーカーと、結い上げる間もなかったから、とかしただけの髪とスニーカーで走る。
ラインにあったとおり、角を曲がった大通りに、彼はいた。
「ジョニー」
呼びかけるまでもなく、彼は痛むような目でこっちを見ている。
マーティンに知れたらとめられるだろうから、起こさないまま一人で来たんだ。
やっぱり友達とあんな別れ方したままは、いやだった。
ジョニーは街路樹にもたれてそっと言った。
「昨日のこと、あやまりたくて。なにも説明しないまま、きみをさらおうとした。
僕はきみを、だました」
あのあと、列車と扉が閉まる直前にマーティンがあたしを外に連れ出して。
列車に乗ったジョニーはすぐ、本の外に引き返してきたんだって。
「あんなことしたのには、きっと、理由があるんだよね」
それは、ちゃんとたしかめたかったこと。
ジョニーは悔しそうに目を強く閉じると、街路樹に手をついた。
「『飛ぶ教室』の本が盗まれたら、僕らは必然的に本の中に消える。きみとは、もう会えなくなる。そんなのは、いやだ」
右手をとられて彼の胸に近づけられる。
「今度は、ちゃんと言うよ。――もも叶ちゃん、僕の故郷に、一緒に来ないか」
「……」
あたしはすぐに拒絶できなかった。
ふっと自嘲的に微笑んで、ジョニーが続ける。
「卑怯ついでに言わせてもらえば、マーティンはきみを本の中へ連れていく気はないよ。ここで家族や友達といるのがきみの幸せだと思ってる」
そう。――そうなんだ。
昨日の彼の涙が、鮮やかによみがえる。
「でも、もも叶ちゃんはそれでいいのかな」
それは、昨日からずっと考えていたこと。
この誘いに乗れば、『飛ぶ教室』の世界に行ける。
カレとも、一緒にいられるってことだ。
つかまれた手をぐっとひかれて、身体ごと引き寄せられる。
「マーティンと一緒にいたいから。それが理由でもいいよ。今はそれでも、いずれは僕のほうを向かせて見せるから」
耳元で、ささやかれた声が甘い毒のように全身に回っていく。
「どうする? もも叶ちゃん」
しびれたようになった頭に浮かぶのは、カレのことだけだった。
眠りかけてはいてもはっきりと残っている、抱き上げられた感触。
パパやママと仲良く話してくれたこと。
ぜんぶ、この肌の記憶にしみついてる。
ジョニーの胸を、あたしは――ぐっと、押しのけた。
「ごめん」
わざとさっぱり笑ってみせる。
あたしを家族や友達と引き離せない。
そういって泣いた彼。
あの涙だけはどうしても裏切れない。
「あたし欲張りだから。マーティンともみんなともいっしょにいたい。ブラックブックスから飛ぶ教室を守り切る方向で考えたいんだ」
ジョニーはひどく寂しそうな顔をして、そして――笑った。
いつものように小さな紳士の笑顔で、くしゃっと、ウェーブがかったきれいな髪をかきあげる。
「今回も出る幕なしか。さてはマーティンのやつ、また君の心をつかんだね」
え。
心をつかむなんて、また詩的な言いかたするなぁ。
ま、まぁ……つかまれたかと訊かれれば、今回のお泊りデートでは、つかまれっぱなしかもだけど。
「悔しいな。僕はどうやってそれをなそうか、いつもそればかり考えてるのに。あいつのほうは、完全に無自覚でやってのけるんだから、まいるよ」
うん、たしかに。
ジョニーがふとしたときに見せる強引さの引力はちょっとすごくて、正直思わず飲まれそうになるけど。
マーティンはなんていうか、そういう計算ができなくてまっすぐすぎて。
「そこが……いいんだよ」
つい、ぼそりとこぼせば、
「僕の前でだけは、のろけるのはやめてくれる?」
かるくにらまれてしまう。
「あ。……ごめん」
ふいにジョニーが真剣な顔になる。
「ブラックブックスの盗みの阻止はかんたんじゃないと思う」
うん。
「でも、やれるとこまでやってみよう。こうなったら僕も協力するから」
いったんはなれた手を、今度は優しく差し出される。
あたしはそっとその手を握った。
「ありがとう。……ジョニーなら、そう言ってくれるって、思ってた」
そう言うと、ジョニーはなぜか不満そうな顔をして。
「やっとわりきったそばから、そうやって期待させるんだから」
え?
わりばしとそば?
「もう行くよ。これいじょうきみと話してると、悲壮な決意をひるがえしたくなりそうだから」
うーん。
悲壮とか決意とか、ジョニーっていつも難しい言葉使うんだよな。
でも最後に、じゃぁね、と言った笑顔はさわやかだったから。
あたしは笑ってその背中に手をふった。
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